お嬢さま……、ではなくレアの誘拐その二
それから何ヶ月かは平和そのものだった。三角関係はバランスよく保たれているようにレアからは見える。距離は縮まりはしても、どちらか一方が広がることなく。
イアルイドは、たまの空の散歩の寄り道でリングロウ領へ遊びに来る。アルデコチェアの屋敷ではなく、領境の平原にアフロディータとレアがいるときに、ふらりと姿を現すのだ。
その日は領で新たに品種改良に成功した果物を持ってきていた。
インディゴ・パープルと名付けられた甘酸っぱい果実は、わずかに紫にも見える紺色をしている。果実を絞って飲んでもよいし、サラダのドレッシングとしても合う。
レアが籠を持ち、アフロディータが大振りの実をイアルイドが開けた口に放り投げた。
もぐもぐと味わったイアルイドはご満悦でギィ、と鳴く。
「気に入ってくれたようですね」
「ええ。イアルイド、もっとあるからね」
竜は大口を開けて、果物を食べる時以上にあごを引き延ばして、
ぱくり。
とレアを食べた。
バスケットごと果物を食べるつもりで、レアも口に含んでしまったのか。
ぐおん、と突然かかった体への強い負担に耐えられず、レアは意識を失った。
明瞭になっていく視界に黄土色の金髪のつむじがあり、レアは前回よりも事態を把握するのが早かった。
「……また……?」
竜に拐われるのは二度目だ。物語のお姫さまでもないのに。姫はアフロディータお嬢さまであるべきなのだから。
「ああ、まただ。レア、すまない……」
顔を歪ませながらも、瞳には哀れみを浮かべる。ラウが両手を差し伸べると、イアルイドがぽとりとレアを預けた。そのレアの重さにちっとも揺るがない頑強さに、心安さを感じてしまう。
ついでに籠が地面に落ちて果実が二、三個転がるので周囲の視線を奪った。
ローレンディが駆けてきて、イアルイドをキツい口調で叱る。竜は首を竦めてギギィィオ、と鳴いた。
「『美味しかったからみんなと分けたかった』と言ってます」
少年が信じられない、とイアルイドに目を眇める。
レアを支える太い腕に力が込められた。涎が彼の服にも染みてしまう、と抵抗するもびくともしない。
「イアルイド、あっちで俺がいいと言うまで反省してろ」
竜は悲しそうにしっぽを揺らしながら、少し離れたところまで歩いて体を縮こませている。
厳しく言い渡したラウの声は地響きのようだった。被害者のレアが恐れる素振りをするので、ラウは素早く謝罪する。
「あの、私はなんともないので、イアルイドさんにはお咎めはなしでお願いします。というか地面に下ろしていただけますか」
「いや、医師にちゃんと診てもらうまでは自分で動き回るのは許可できない」
ラウは重荷などないかのように、人ひとりを抱えたまますたすたと歩く。レアは公開お姫様抱っこに人目を避けそっとラウの胸に顔が隠れるようにして、無の境地を心掛けた。
こんなふうに扱われては、まるで自分が彼の大事な人になったかのように錯覚してしまう。アフロディータの健やかな育ちを望むばかりで、レアは恋などしてこなかった。だから、男性からの優しい態度に対応すべき術がわからない。きっと彼がやっているのは業務上でのことなのに。まっ平らだった心にずぶずぶと彼のくれる微笑みが沈んでいくのを止められなかった。
一度目の誘拐のときと似たことを繰り返し、前回よりは早く全てが終わる。
翌日には隊が組まれ、レアはお嬢さまと再会にこぎつけた。
竜の背に乗って、ラウは「寒くないか」「息苦しくないか」「休憩は必要か」と話しかけた。そのことごとくに首を振り、内心ではもう構わないでほしいと思った。
優しさで勘違いをしたくないから。
呼吸が辛いのは、寒さより別な理由がある。
二度も善良なリングロウ領民を誘拐したのは故意ではない。スターサル領主は説得した。が、過失であるとして双方意見が合致。話し合いが終われば、世界最速、世界最強の軍隊を有事には無条件に借りられる契約を公に交わすことになっていた。
レアはアルデコチェア当主には感謝してもらえるなどした。彼女にかすり傷ひとつないからこそ、だが。これで手足のひとつでも失くしていたら感謝されたって恨むくらいはしていただろう。
特技もないただの従者でしかないレアの身でも役に立つこともあるものだ。
ラウは、都合がいいから優しくしてくれる。
レアが、彼の主人たるローレンディの片想い相手の、アフロディータの付き人だから。
主人らがくっつけば二つの領地に益がもたらされる。リングロウ領は竜の庇護を受けられるし、スターサル領は竜の肥育にかかる費用を抑えられる。
喜ばしいことに若い男女の将来も約束される。主人たちの関係が円滑に進むように後押ししたいのだろう。
だからレアに接するときにラウ個人の気持ちが入っているわけではない。
補足。
インディゴ・パープルのモデルとなった野菜。
Indigo Rose cherry tomato
緑→赤→紫→茶色がかった紺 に変化するミニトマト。
Feb 9th 2023
誤字訂正しました。ご指摘ありがとうございます!