お嬢さまへお坊ちゃまからご挨拶
ルティーシュ家の子息がお礼の品を持ってアルデコチェア家へ訪問する約束を取り付けた。
あれから二人が帰宅するよりも先に、スターサル領からの手紙が届いていたのには驚いた。竜による配達だったらしい。
アフロディータお嬢さまは竜と出会った昨日からそわそわと落ち着かない。
「ねぇレア、ケルドセンさまもいらっしゃると思う?」
羨ましいほどに艶やかな白金の髪を梳かしながら、鏡の中の少女に微笑みかける。
「そうですね、直接私たちとお話ししたのはあの方です。おそらくいらっしゃるのではないでしょうか」
挨拶に来たルティーシュ家の息子はどことなく紫がかった薄い髪色をくるくるとさせていた。瞳の色もごく薄いオレンジ色。十五歳のアフロディータより一つ歳下だった。
机に置かれたのは竜の鱗の螺鈿装飾を施した角の丸い箱。黒を基調として花の蒔絵が描かれている。文箱にしても宝石箱にしても良さそうだ。
「スターサル領から参りました。ローレンディ・ルティーシュです。この度は我が領の子竜がお世話になりました」
アフロディータの父母も挨拶のときだけはいたのだが、訪ねてきたのが息子のローレンディだけと知ると威圧を与えたくはない、と子供だけにしてくれた。
父母にはその場に賊がいたことは黙って、ただ手紙にあった通り、偶然見つけたスターサル領所有の子竜の怪我の手当をアフロディータがした、というのを肯定しておいた。
この場の少年の保護者風に一緒にお辞儀しているのが、平原で会ったラウ青年だった。
「ケルドセンさまもお掛けになってください」
「俺は付き添い護衛にすぎませんので」
遠慮するが、レアは彼の分のティーカップを机に並べた。
「どうぞ。お嬢さまは今回のことで竜全般に興味をお持ちです。可能であればいろいろお話していただけませんか?」
後押しするレアに、アフロディータは顔を輝かせた。
「お願いします。子竜はお元気ですか?」
彼が失礼します、とローレンディの隣に座ってから、アフロディータは質問を始めた。
「元気ですよ。ローレンディさまのお部屋で過ごしてます」
少年はラウの言を引き継いだ。ラウはあくまで少年の従者として受け答え、主人以上に話そうとはしなかった。
「今日は大事をとって家で休ませてますが、また姿を見せたいと思います。アルデコチェアさまさえ、よろしければ」
「ぜひまたお会いしたく思います」
はい、とローレンディは声を弾ませた。
「お嬢さまには、治療までしていただいて助かりました。ラウと空の散歩をしているときに、不届き者に狙われてしまって怪我をしたのです。竜は価値が高いものですから」
生きては他の追随を許さない飛行力と戦闘能力を備え、知能も高く忠誠心は固い。死してもその血肉はありがたがられ鱗や角、骨や牙に至るまで加工されて高級工芸品となる。
ただし竜と絆を結ぶことは難しい。彼らは唯一の人間をパートナーとして選び騎乗を許す。竜騎士も敬意を払い対象の竜と一生を共に過ごす。
その美徳の流儀に反する無法者も存在する。薬で弱らせ縄で縛り従わせるのが主だ。そいつらに子竜も狙われた。成体より幼体のうちに拐かして躾けたほうが無駄な怪我も少なく楽だから。
「なんて恐ろしい……」
「とくにローはちょっと特殊な個体なので他とは格が違うのです。助けていただけなければ、どうなっていたか」
それで子竜にも関わらずさま付けだったり、わざわざ保護のお礼に出向いたりしているわけだ。
「あの子は特別なのですね」
「そうですね。ローというのは僕の名前、ローレンディの一部をとったのです。僕は竜騎士ではないけれど、ローとなにかと縁があるので。僕の髪色と、ローの鱗も似たような紫で親近感もあって」
話すうちに少年少女はすっかり打ち解けて、お互い名前で呼ぶ仲になった。
帰りにはラウとローレンディが乗ってきた竜を近くで見せてもらった。屋敷の庭に寝転がる姿はどことなく犬猫のようで可愛い。
「こいつはイアルイドと言います。俺の相棒がすっかりくつろいでしまっているようで、お恥ずかしい」
ラウが嫌味を込めて紹介しても横になったまま、鼻の先のアフロディータに擦り寄る。ふざけて横に押しやった、ようにも見えた。少女はころんと転げながらも笑っていた。すぐ後ろにいたレアの香りを嗅いで、すっくと体を起こした。じっと両の目で見つめられる。竜の目玉はレアの手を広げた全体より大きい。透明感のある、物言わぬ瞳。
いま、なにを思っているのだろう。
視界にローレンディがお嬢さまを支えていたのが入っていたのに、その役目は本来レアのはずなのに、竜の魅力に捕らえられて動けなかった。
「きみの名前をまだ聞いていなかった」
無防備にしていたらそんな声が聞こえて、レアの肩が震えた。
「驚かせただろうか? 失礼」
「……私の名前をお知りになりたい、のですか」
そうだ、と竜騎士のラウは再度尋ねた。聞き間違いでもないらしい。
「レアといいます」
こんなつまらない女の名前を覚えてもなんの得もないはずなのに、ラウは明らかに喜んでいた。
アフロディータのことを訊かれたのならいくらでも答えようと心を決めていたのに、よもや自分のことを教えることになるとは。
「レア、また会おう」
「ええ、またいらしてくださいませ」
お嬢さまがお喜びになります、と言うつもりだったのに、なぜかその言葉は喉に引っかかった。