お嬢さま……、ではなくレアと足癖の悪い竜騎士さま
「……ひっ……!」
悲鳴はレアだったかレアを捕まえていた男のものだったか。へたり、と力が抜けて座り込む。
座り込む? 背後から絞められて無理矢理立たされていたのに、その拘束が解けていた。
目を開ければ、すらりとした背があった。そのしなやかな脚は、レアを盾にしていたメリアデグの背中を踏み潰して体重をかけている。
「お、オレは……ぐっ……」
「宿へ 『略奪者』 の手引きをしたのはお前だろう。犯罪者の言うことなんざ聞く気にもなれんな」
ぽつり、と静かな声なのにとてもよく響いた。男がやめろ、許してくれ、などと大声で喚いていたにも関わらず。
「だからお前は竜に選ばれないんだ。わかるか?」
「わかった、わかったからっ……息……っが」
「ゾイヴィットの誇りをへし折り、危害を加えた」
とろんとした目の、瑞々しい緑の鱗をした竜。かわいそうに、あれは薬を盛られて中毒になっていた。
「こ、ろすのか」
「その首を差し出せば罪を償えるとでも? 頭のおめでたい奴だな、お前の命がそれほど重いものか。レアがどれだけ恐ろしい思いをしたと?」
縊って脅した。縄も解かずにいた。レアを無事に返そうとしていたわけがない。男をいかにして嬲り殺そうかと憤りを感じつつも、動きを封じるだけだ、とラウがどこか冷静でいられるのはレアがそこにいるから。生きていてくれた。大切な彼女をこれ以上残酷な目には遭わせられない。
けれど、この男が泣かせた。その分の償いはあって当然。
この男の意図的な発言にラウとレアの仲は掻き乱されたこともある。
「レア、イアルイドのことを見ててくれるか?」
振り返りもせずラウは告げた。
ギィォ、と竜が鳴くのでレアがそちらに頭を向けると、後ろで剣が風を切る音とほぼ同時に男のうめき声が上がった。
追いかけてきた竜の足下にも数人荒くれ者が気を失って倒れている。
竜の瞳は細められ、嗤っているようにも見えた。ほの明るい朝日を弾いて、紺色の体は薄い青に縁取られる。
「いま縄を切る」
レアの近くへと歩むラウには先程までの鬼のような雰囲気はない。怖がらせないようになのか、臆病なほどに優しい手つきで、縄の取れたレアの手首を痛ましそうに撫でる。擦れた皮膚がヒリヒリとしていたが、氷のような手でラウの指先を握った。いまだ鼓動はドクドクと体に響いている。
「ラウ、さん……あの人の、息の根を……?」
「いいや。ちょっと強めに殴っただけだ。子女誘拐事件の重要参考人だしな」
手になにか握り込んでいたほうが力を込めやすいから、剣を握ったまま。
そう不満気に言って、いまだ腰が抜けているレアを横に抱きかかえた。自由な両手で温もりにしがみつく。薄い夜着しか身につけていないからずっと凍えていた。恐ろしいと思うのに、ラウに触れていれば恐怖がたちまちに消え失せる。
今度こそ、助かったのだ。
イアルイドの目の前に来ると、ラウはレアを竜の体に寄りかからせた。薄い布越しに、優しい温もりが沁みてくる。
「少し待っててくれ」
と言ってイアルイドに上ったが、ほんとうにすぐ戻ってきた。分厚いコートを広げて細い肩にかけ、それごとレアを抱きしめる。苦しいくらいの力だったが、レアはそのほうが生きている実感がして安心できた。
「生きてる、よな?」
レアのまつげに引っかかる髪を優しく払いながら、土埃をかぶる顔を覗きこまれる。
「はい。助けてくださって、ありがとうございます」
「遅くなってしまってすまない」
いいえ、でも、とレアは訴える。
「お嬢さまもどこかに隠されているはずなんです。別な場所に」
「別働隊が動きを掴んでいる。……というか、俺のほうが別働隊だな。いまごろ本隊がアフロディータさまとローレンディさまを保護しているだろう」
「ほんとうですか?! ……え、あれ? ローレンディさまもいなくなっていたんですか?」
「ああ。俺ははじめ、団員たちと行方不明のローレンディさまを追っていた。そこにアフロディータさまもレアもいると踏んでたから。だがイアルイドがこちらに来ると言って聞かなくて……隊からはぐれてやってきたらレアがいた」
「イアルイドさんが、私のことを……?」
「ああ。お手柄だ」
イアルイドがフフンと得意げに鼻を鳴らす。
「だんちょー!」
気の抜けた声がラウを空から呼んだ。
「フレーフォイルスとエルワナだな」
小型の竜はシューッと下降し、トトトッと軽快に地を蹴りながら降りてきた。エルワナが敬礼して報告する。
「ローレンディさまとアフロディータさまは保護が完了しました! こちらも洞窟の抜け穴で待ち伏せして奴ら全員捕らえてありますよ! しぶとい連中で、せいぜい死にかけと切り傷骨折くらいですねー」
もっと痛い目をみせてもよかったけど、と小さく付け加える。ラウは短く労った。
「よくやった」
イアルイドの背の上で護送されながら、レアはラウの腕の中にいた。彼が離れることを許さなかった。
ラウの指がするするとレアの絡まった髪を梳く。耳に近い一房を持って、口を近づける。
「き、汚いですよ」
絶対に泥に塗れて土臭い。
もともとレアの髪は細くて絡まりやすく、まとめていなければボサボサに広がってしまう。だから常に結んで団子のように固めており、人前で下ろし髪にすることは稀だった。
「どんな姿でもきみは綺麗だ」
顔は見えないけれど笑っていた、と思う。吐息が頬を撫でる。彼はわざと音を立ててレアの髪にキスをした。
レアは冷風にさらされながらも、頬の紅潮が収まらないだろうことを自覚する。




