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お嬢さま……、が今度こそ誘拐されました!

 一方お嬢さまは。


 宿にいる間に拘束され、アフロディータは声を出す余裕もなかった。よく通ると褒められた声は寝ている最中でもなければ武器になっただろうに。


 口に詰め物をされて、レアの名前を呼ぶこともできなかった。侍女は失神しているのか、男の肩の上で身じろぎもしない。血は流れていないようだが、怪我などしていないだろうかとはらはらした。窓から脱出した後は、レアを連れた集団はアフロディータたちとは反対方向に駆けていく。地面に下ろされれば剣の鞘で突かれ、誘拐犯たちについて歩いていた。


 しかし恐怖で足取りは危うく上手く歩けない。


 宿の敷地を囲む茂みが小波のような音を立てた。次いで低いうめき声がする。

 犯人たちの掲げる小さな光ではよく見えないが、薄い紫がかった髪色をした人物がーー少年が剣を片手に立っている。

 そんな。もうとっくに、家に帰り着いているものだと。


「彼女を放せ」


 赤い刃を握り直して、ローレンディはオレンジ色の瞳を怒りに燃やした。ひとりふたりと少年の剣に倒れていく。追い詰めていく中で再び茂みに近づいたところ、背後から郎党に襲われ昏倒した。剣を振っていたが血は出ていないため、ただ拳で殴ったようだ。


 アフロディータは拘束を振り切ろうとしたが男の腕力には勝てなかった。ローレンディを庇いたかったのに、近づくことさえできない。


「やめろ」


 この場の統率者らしき男が注目を集める。そこからは手信号で語りかけた。彼の仲間はしぶしぶといった様子でローレンディを縛り上げる。人質として一緒に連れていくようだ。

 騒ぐことを徹底的に避けている。ローレンディに傷を負わされ動けない奴らはその場に置いて、足切りしていった。

 血も涙もない、とアフロディータは体を凍らせる。引きずられるようにして、少女は誘拐された。




****




「リングロウからは金だな。スターサルから竜も要求できそうだぜ。なぁ、嬢ちゃんに坊ちゃん」


 誘拐犯の隠れ家は一軒家だった。二階にある鍵付きの部屋に辿り着くまでにも、何人もの人間とすれ違う。幸いなことに気を失っているローレンディとともに放り込まれた。よほど逃げられない用意があるのか、室内に見張りはつけられなかった。


 口の覆いだけは取られて、呼吸が楽になる。ローレンディに呼びかけた。しっかりしたオレンジの瞳が見えて安堵する。彼はまず謝った。


「すみません。あなたを助けられなかった」


 夜を緑の竜と竜騎士に任せたけれど、なんだか引っかかる。竜騎士たちに話しても、「もうお祭りは終わったんですから、デートもおしまいですよ」とアフロディータ恋しさなのだと勘違いされるばかり。

 どうにも胸騒ぎがして、単身宿へ引き返した。

 宿では騎士たちを呼ぶのが最善とわかりつつも、どうしても人任せにできなくて。彼らが駆けつける前に連れ去られると思ったらもう体が動いていた。


「ううん。……この場にひとりでなくて、よかったと思うわ。でもレアは……」


 いつも彼女に付き添う侍女。ローレンディは室内を見渡す。ふたり以外に人影も気配もない。


「レアは? 宿屋に置き去りに?」


「こことは別な場所に(さら)われてしまったみたいなの。それとも撹乱のために一度別れただけであとで合流するのかしら。わからないことだらけよ。ちょうど男たちが二手に別れたときにローレンディが出て来てくれて……ああ、いまレアは無事なのかしら」


「心配だね。あいつらの目的はなんだろう?」


「お金と竜だって言ってたわ」


 悠長に助けを待っていられない。身代金の要求がいまごろ両親へ届けられているか、下手したら要求が通ってしまっているか。


 ローレンディは少しの間目を閉じて考え事をした。考えがまとまったのか、くるりとした紫のまつ毛からのぞくオレンジ色がまるで紫色(ヒース)の花園に立って夕日を見上げているかの気分にさせた。


「あなたに、僕の秘密をお見せします」


 微笑みは弱々しくも、目から光は失われていない。なぜよりによって今、ローレンディの秘密を晒す必要があるのか。この場を脱出するための妙案となり得るのか。


 アフロディータはじっと見守ることしかできなかった。


 ローレンディの身体が縮んでいく。えっ、と声が出てしまった。縄がたるみ服がしわしわになって手足が服の中心に取り込まれる。


 もぞもぞ、とシャツから羽を出したのは紫の鱗をした子竜だった。ペンダントが同じだったのは、こういうわけか。


「ロー……?」


 ぎゅる、と返事が返ってきた。

 アフロディータの背後に回る。がじがじ、と鋭い歯を使って縄を噛み切ってくれた。


「ありがとう」


 自由になった手で、子竜に手を伸ばす。すり、とアフロディータの柔らかな指先に頭を寄せて、喉を鳴らす。


 それからローレンディの洋服を口に咥えて、ベッドの向こう側へ隠れた。少年の白い肩が、生肌が現れた。アフロディータはそれ以上見てしまわぬようにくるりと回れ右をする。しばらく衣擦れの音がしたので、服を着直しているのだろう。


「ロー? それともローレンディ?」


「うん。両方僕だよ」


 彼は背筋を伸ばしてアフロディータと向き合った。


「どうして、見せてくれたの? 目を閉じていろと言われれば、わたくしは決してローの姿を見なかったのに。ずっと秘密にできたでしょう」


「アフロディータがそうやって約束を守ってくれる人だから見せたんだよ。僕がローになるところを見せても大丈夫だって思った」


「もちろん、これは秘密のままよ。一生」


 変身しても気持ち悪い、とも言わずになによりも先に約束してくれた。


「ありがとう」


 感情を抑えきれず、ローレンディはアフロディータを抱きしめた。お互い顔を染めながら、笑い合う。


「早いところ脱出しないとね」


「ここがどこかもわからないのに?」


「竜騎士たちが尽力して僕らの居場所を突き止めてくれているはずだ。近くまで来ているのを感じる。僕は戦闘能力が低いから大したことはできない。頼りなくてごめんね」


 たったひとつの武器だった剣は宿の庭に捨てられていることだろう。


「そんなことないわ。わたくしひとりだったら、どうしようもなくなって憂いて泣くくらいしかできなかったでしょう。ローレンディがいてくれて、心強いの」


 アフロディータが自分のものより大きい手を握った。少年も握り返して、その手を持ち上げて唇を落とした。


「必ずアフロディータを無事に返すよ。まずは外に出て竜に呼びかける」


 窓枠の上の方に懸垂の要領でぶら下がり、逆上がりをして屋根の上にひらりと乗り移った。上半身だけを屋根の縁から乗り出し、アフロディータに手を伸ばした。アフロディータは窓枠に足を乗せ、ローレンディに引っ張られながら屋根に上る。


「後ろを向いていてくれると助かるよ」


 ローに変身するのだ、と察して少女は言う通りに振り向いた。空はまだ暗い。ここは集落のようだが、崩れた家々がぽつぽつとあるだけで、まともな形を残しているのはアフロディータたちが立つこの家のみ。


 子竜の咆哮が響いた。


 野盗たちが異変に気づいて、騒ぎ出している。ローレンディとアフロディータが閉じ込められていた部屋に駆け込んで、二人が脱出したことに憤慨する。すぐに家宅周辺の警戒が強まった。


「おい、こっちだ」


 窓が開いていることを発見した男のひとりが、ついに屋根にまで上ってきた。


 アフロディータは深呼吸をして、攻撃魔法を放った。標的の捕捉は甘く多少急所からズレたが、非力な少女に完全に油断をしていた男たちが次々と地面へと転げ落ちていく。


 ぎゅるぎゅる、と子竜に呼応するようにグルルルルと低音が空から聞こえた。声の主は辺りを破壊しながら着陸した。攻撃してくる人間を恐れることなく長いしっぽで薙ぎ倒していく。


 一、二頭までは竜がそれなりに大きくても捕まえる気があったようだが、三頭四頭と増えていくうちに戦意を削がれ、集団は投降した。その頃には九割の軍勢は地面に伏していたが。

 


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