コンビニエンス魔王城前店
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魔王城前にコンビニを招致すれば便利だ。
――というのは一人娘のナナノナが言い出したことだった。
「ね、いいでしょ魔王様」
愛娘に頼まれると父親というものは甘いものだ。出店計画はあれよあれよと進んでいった。
魔王城の周囲には城下町というものがなく、かねてより不便であったのは事実だ。
最寄りの市場に辿り着くまでにはまず地上へ繋がる迷宮を百階層ほど踏破せねばならず、ようやく地底の魔王城に届く頃には新鮮な野菜も腐っているのが常だった。
私はコンビニというものをよく知らなかった。
しかし自分に不必要だからといって無知や無関心であることを誇るのも愚かしいことだ。
開店当初には立ち寄る機会もなく、まず魔王城の外に赴くことも稀であったがために愛娘の伝聞にていかなる様子かを知るのみだった。
「……これがコンビニか」
ファンシーマート魔王城前店の店構えは、けして広くもなければ、豪華ともいえなかった。
暗黒の地下世界の景観を崩さぬように暗い色遣いの外観に、電力というものがないので燭台に火を灯して照明としており、品揃えも魔界の需要に応えている。
「ほう、この宝箱は買っておくか。迷宮用の備えを切らしていたところだ」
魔王城前店の利用客はごく限られている。
魔王である私、愛娘のナナノナ、それに少数の使用人くらいだ。来客の見込みが少ないということは明白であったものの、実験的にと称して直営店舗を招致することができた。
「お、お、お、お客様、困ります! あの、その宝箱は商品ではなく店の売上が中に……!」
店員の小娘がひとり涙を凍りつかせ、心臓が今にも止まらんほど恐怖しながらそう言葉した。
私はそっと宝箱をつまみあげ、元の場所に戻してやった。
「この店に置いてあるものは売りものではないのか」
「い、いえ、売っているのは値札のあるモノだけでございまして!」
値札。
人間の文字が書かれたちいさな紙切れのことだ。値札をみて買い物をする、ということを聞き及んではいても実際にしたことがなかったので、私にはわからなかった。
「では、お前も売り物なのか」
店員の小娘にも値札がついているようにみえたが、彼女は必死にそれを否定した。
「これは値札ではなく名札でして! わ、わたしは売ってはございません!」
「左様か。魔界では生きた人間を売り買いする輩もいる、間違えられぬよう心がけるがよい」
「は、はい、今後気をつけます……!」
私は不慣れな買い物に早くも苦痛をおぼえてならなかった。
必要なものは配下に買いにこさせればよいだけだ。立ち寄ったのは興味本位にすぎない。
しかしコンビニひとつ使いこなせずには愛娘に示しがつかない。
せめて、なにか買って帰り、話を合わせねばなるまい。
「ふむ……」
品揃えが多くとも、大半は自分にとって不要そうなものばかりだ。
例えば、この「ミッソギの聖水」だ。
振りまけば、たちどころに聖なる力によって魔物を寄せつけなくなるだけでなく、瘴気から身を守ることができるという冒険道具だ。
言うまでもなく、魔界の住民が使うためのものではない。
むしろ魔王城を攻略するためにあるアイテムにもみえるが、売り物にとやかく言うのも無粋だ。
「この書物は……」
書架には見慣れぬ書物が並んでいる。勇ましい冒険者の表紙もあれば、裸婦の表紙の本もある。
裸婦の表紙のひとつが亡き妻を思い起こさせるもので、手にとって読もうとする。
しかし、書物には封がなされていた。
脆弱な、力づくで開けようと思えば容易く解ける封だ。魔王城にまで至った冒険者や魔界の住民がかような封に手こずるとも思えぬが、しかしなにかの罠かもしれない。
『セサミス』
解錠の魔法を唱えて、私は書物の封を破った。
中身を読んでいる。表紙に写っていた裸婦の姿はほんの数項にすぎず、中身の大半はいくつもの異なる絵物語であった。
「なぜこの絵物語はこのように断片的で、続きを読もうとすればすぐに途切れるものばかりなのだ」
「あああ! あの! 当店は立ち読みはご遠慮いただいておりまして!」
「左様か」
「左様でございます、お客様!」
人間界の文字は読めないが、どうも張り紙にそう記してあるらしい。
しかし、この小娘は恐ろしがりつつも堂々と、言うべきことを言う見上げた根性の持ち主だ。
私を魔王と知ってか知らずか、いずれにせよ大したものだ。
「無礼を詫びよう、人間の娘。いや、店員。この書と、それに書架にある本をすべて買おう」
「は、はい!」
そう言われて、店員はあわててカゴを持ってくると、それを我が手に渡してきた。
「こ、こちらにお入れになって、レジまでお持ちくださいますでしょうか……お手数ですが」
「ふむ」
「ひっ」
「いいだろう。しばし、待て」
私は初めてコンビニで買い物をした。
書架にあった書物を多数、これも悠久の時を生きる魔王にとって暇つぶしになるやもしれない。
「あ、あの、お客様! レジ袋はご入用でしょうか!」
「む」
「れれれ、レジ袋は昨年から有料でございまして、その……」
「もらおう」
「かしこまりました!!」
褒美を授け、いや、金銭を渡して、私は買い物を終えた。
コンビニを立ち去る時、小娘は言った。
「またのお越しをお待ちしております!」
人間の身にして、なぜ魔王城前店に勤務せねばならなくなったのか、気になりはする。
しかしこのコンビニという場において。
私は客にすぎず、あの者は店員にすぎない。魔王と人間ではない。そういうものなのだろう。
だが、しかし、気骨のある娘であった。
また気まぐれに訪ねてみるとしよう。私はそう考えつつ、百数十冊の本を手に帰った。
「魔王様、サイテー……」
しかしコンビニで買ってきたものを見せた結果、私は愛娘のナナノナに軽蔑の目を向けられた。
なぜだ。
後日、コンビニの店員に理由をたずねると、彼女は顔を赤らめながらおそるおそる言った。
「その、大変に申し上げづらいのですが、お客様のお買いになられた本の中にはおそらく……」
店員は指差す。
裸婦の表紙の漫画雑誌にほど近い、これまた裸婦の描かれた書架の一角を示している。
「成人向けコーナーの本もお買い上げになられていたのが原因ではないかと」
「……ふむ」
私は静かに、己の失敗を認め、反省した。
今後は、あれらの本は娘には隠して買うことにしよう。