のーまーしー
距離を詰めても、コボルトたちはぼんやりとノーマの墓を見つめていた。墓石の前には、モノクルが一つ供えられている。
以前はなかったので、これはコボルトたちの誰かが供えたものに違いなかった。
「それは、大事なモノではなかったんですか?」
「うん、大事」
囲みの1人である柴犬っぽいコボルトが答える。
「お供えしていいんですか?」
「うん! 僕たち昔は海のそばに住んでたって」
「ノーマの目は、いつか返すって言われて持ってた」
「ノーマの目というのは、そのモノクルですか?」
「うん。多分、ここが返す場所」
「そうですか……、そうかもしれませんね」
コボルトたちは、なんとなくここが故郷だと理解し、そうしてなんとなく、ここがノーマの墓だと察したのだろう。
本能的なモノなのか、口伝されてきたのか。あるいはその両方かもしれない。
とにかくこんなに神妙におとなしくしているコボルトたちを、ハルカはこれまで見たことがなかった。
ハルカが来てからもしばらく静かにお墓を囲んで座っていたコボルトたちだが、やがて白いコボルトがおもむろに手を伸ばし、モノクルを拾って立ち上がる。
「……お供えじゃないですか?」
「うん! またかりた!」
「あ、なるほど」
魔素を見ることができるモノクル。
『はみ出し会』の遺産は、どうやらこれからもコボルトの戦士たちに使われることになりそうだ。
コボルトの繁栄を願い死んでいったノーマだ。
皮肉屋であったようだから、もし生きていたら、勝手に借りていくコボルトに文句の一つや二つ言うかもしれない。
それでもきっと、取り戻そうとはしないのだろう。
ハルカには、この宝物がコボルトたちに受け継がれていくのが、あるべき姿のように思えた。
石を持ったコボルトは、ノーマの墓に「かります」と汚い文字で勝手に新たな傷をつけて、意気揚々とその場から立ち去っていく。
植物園の果物にも、研究所の遺物にも見向きもせず、みんなで列をなして歩いていき、ハシゴを使わずピョンと蓋の下へと飛び降りていった。
コボルトたちの運動能力は、ポヤポヤしているように見えて実は高いのである。
コボルトたちが消えて、少しだけ寂しくなった空間で、ハルカは日記の読み込みを再開するのだった。
ノーマの人生を追いかけているうちにハルカは一つ新たな事実を発見した。
それはノーマの名前に関してである。
◇
死に近づいて今更だが、コボルトどもは最後まで私の名前をちゃんと呼ぶことがなかった。人の名前というのは結構大事なのだが、間抜けであるから仕方がないと諦めている。
私が何度名前を教え込んでも、コボルトのアホたちは間延びした呼び方をしてくる。東にある【朧】とかいう戦国時代真っ只中の日本みたいな国では、私のような苗字のものはいるらしいが、滅多にこちらにはやって来ないとか。
馴染みのない名前だから仕方がないが、たまに自分の名前を忘れそうになる。
私の名前は能間穣だ。
のーまーじょー、とかいうバカっぽい響きの名前ではない。
腹が立つのでこの街の名前を能間市にしてやったのに、あいつらはのーまーしーと言って騒いでいた。
勝手に縁起の悪い名前にするんじゃない、と思ったが、結局これも諦めた。コボルトたちと触れ合っていると、諦めることがあまりに多すぎる。
まあしかし、それもまた、失敗と挫折ばかりだった私の人生の終わりらしいとも言えるかもしれない。
◆
コボルトを愛した博士は、ハルカと同郷の人だったようだ。この世界では千年を隔てて文字で出会うこととなったが、名前や雰囲気から察するに、元の世界での年齢は離れていてもせいぜい百歳程度だ。
ハルカのように新たな体を得たのか、それともユーリのようにこの世界に生まれ直したのか、興味が尽きないところだが、ページをいくらめくってもそれについて書かれた部分は見つからなかった。
残る手段はブロンテスに直接聞いてみるくらいしかないだろう。
『はみ出し会』の仲間のその後の人生についても伝えるつもりであったから、どちらにせよまた巨釜山を訪ねる必要がありそうだった。
「わ……」
集中を解いて顔を上げると、至近距離にコリンがいてハルカは驚き声をあげる。
「ずいぶん集中してたねー」
「いつからいたんですか?」
「ん、もう結構長いこと顔見てたよ。まつ毛長いよねー、ハルカって。影ができてたよ」
「え、あ、そうですか」
「で、何かこの辺の特産品とかあった?」
ハルカはノーマについて考えていた頭を切り替えて、日記の中身について思い返す。
「ええっとですね……、基本的には土壌が豊かで寒冷な地域なので、麦の栽培が推奨されているようです。これは【レジオン】と同じです。混沌領全体を見るなら、山のほとんどが元々火山らしく、いわゆる宝石になる石が多数産出されるようです。あとは……そうですね、砂漠地帯から巨人たちの住むあたりにかけて、異様に巨大な魔物がたくさん棲んでいると書かれていました」
「なんか手をつけたら色々となりそうなものがいっぱいあるなー……。とりあえず覚えておこっと! ありがとね」
「いえ、読んでいたらすっかり夢中になってしまって。……もう、夕方近いんですね。コリンの方は何か成果ありました?」
「うん! ちょっと遠くまで歩いてみたんだけどさ、港になりそうなところから外れると、この辺って岩礁が多いんだよね。人魚たちと一緒にうろついてみたら、魚とか貝とかいっぱい棲んでてさー。漁をするのってちょっと難しいんだけど、逆に人魚に協力してもらえば、他では手に入らないようなものも手に入るかも。できれば海の生き物に詳しい人とか呼んで調べてもらいたいんだけどなー、難しいよねー……」
わーっと報告したコリンには、何か商売になりそうなものが見えているのだろう。随分と楽しそうである。
「そうですね。この場所は安易に人に伝えられませんし、魚介類が豊富なことだけ喜ぶことにしましょうか」
「ハルカって魚好きだよね。ってことで、人魚に魚もらってきたから下降りてご飯の準備するよ。ハルカも調べ物はもう終わりー。嬉しいでしょ、新鮮な魚」
「いいですね、楽しみです」
コリンに手を引かれて、ハルカは日記を机の引き出しにしまって立ち上がった。
能間穣。
ハルカはコボルトを導いた同郷の皮肉屋の名前をしっかりと脳裏に刻みつけて、茜色の光が差し込む研究所を後にするのだった。





