ノーマの来歴
朝早くからナギと共に仲間たちが出かけていき、ハルカが活動を始める頃にはコリンもニルを連れて海の様子を見に向かった。海の調査が早く終われば、戻ってきて一緒に本を見るそうだが、随分と張り切って出かけたので、帰ってくるのは遅くなりそうだ。
行きかうコボルトを見ながら何やら考えているウルメアを置いて、ハルカは砦の階段に足をかける。カナが読んだ後、日記は元あった場所に戻しておいた。この街に思い入れのある人が書いたものを持ち出すのは気が進まなかったからだ。
砦の中を走り回っているコボルトは危なっかしいが、今のところ階段を踏み外して怪我をしたものはいない。
ハルカたちにとってはやや使い勝手の悪い低い階段も、コボルトたちにとっては丁度良いらしい。声をかけられる度に返事をしながら上がっていき、天辺につくと、梯子の前で佇んでいるコボルトが数人いる。
その中には見覚えのある白いコボルトも混ざっていて、ハルカが来ると、振り返って壁を指さした。
「勝手に入っちゃ駄目だって!」
壁には確かに、癖の強い文字で『コボルトたちは勝手に入らないこと』と書かれている。あの日記の筆跡と同じで、妙にカクカクとした几帳面な文字だった。
ただ、おそらく一度は〈ノーマーシー〉のコボルトたちが入ってお墓を作っているはずである。今更外から来たコボルトたちが入ってはいけない理由はない。
ハルカは少し考えてから、待機しているコボルトたちに言った。
「じゃあ、今日は私が入りますから、一緒に入ってもいいですよ」
「いいの?」
「はい。私がいいです、と言ったので勝手に入ったわけではありませんから」
「わかった!」
わかったと言ったのに、コボルトたちはその場に待機して動き出さない。
「……先にいってもいいですか?」
「うん!」
コボルトたちの間を通り、梯子に足をかける。
一段一段上るには、コボルトたちには少々間隔が広いように思えて、ハルカは一度戻って障壁を地面に張って振り返る。
「一緒にいきましょうか。周りに集まってください」
返事をすると同時にわらわらと集まってきたコボルトたちと一緒に、エレベーターのようにその狭い空間を上がっていく。一度足を止めて、ハッチのようなものを開ければそこには以前と変わらない整然とした研究所のような空間が広がっていた。
感嘆の声を漏らして周りを見ているコボルトたちを置いて、ハルカは部屋を横断し、日記を手に取って古ぼけた椅子に腰を下ろした。
「ね、あっち行っていいの?」
白いコボルトが植物園の方を指さした。
奥にはお墓もあるが、それにわざわざ悪戯をするようなこともしないだろう。
そんなことよりもこの部屋の遺物をいじられてしまう方が怖い。
「いいですよ。ただ、この部屋にあるものには無暗に触ってはいけません」
「はーい!」
つい小さな子供に語り掛けるように話してしまうし、コボルトたちも素直に返事をして言うことを聞いてくれる。これでいいような気もするし、成人した人を相手にしてると考えると、あまり良くないような気もする。
一塊になって植物園の方へ消えていくコボルトたちを見送って、ハルカは日記を開いた。
ハルカはこの日記の中に、気になる記述がいくつかあったのだ。
情報を拾うために読み飛ばしてしまっていたが、おそらくハルカとも関係してくるような内容である。
まずこの街にやって来た経緯を全体の文章から拾い上げる。
どうやらコボルトは、ある街で半ば人の召し使いのようにして暮らしていた種族であったとわかる。ノーマが住んでいたのは、おそらく今の【ディセント王国】内のどこかだ。
冬の寒さが厳しい地域であったようである。
神人戦争がはじまってしばらく、コボルトたちは無駄飯ぐらいだからと、全員殺すように通達がなされたらしい。魔素の研究者として一定の地位を築いていた変わり者のノーマは、自身の研究所でコボルトを大量に雇っており、愛好家たちから守ってほしいと、半ば無理やりコボルトたちを押し付けられたようだ。
結果、街で守ることが難しいと判断したノーマは東へ東へと大移動を開始したのだという。
その途中で、『あののろまな一つ目の巨人は生きているのだろうか』とか『くたばり損ないの小鬼は本当にくたばってしまった』などという記述があった。
そしてハルカはしばらく先に『思えばはみ出し者であるくらいで、丁度良かったのかもしれない』とか『今更山に戻りあいつに迷惑をかけるわけにはいかない』という言葉を見つける。
他にも、時折懐かしみ、そして人里へ降りたことを後悔をするような記述があちらこちらにちりばめられている。
そこからハルカは、このノーマという研究者が『はみ出し会』のブロンテスの仲間であったことを確信した。
きっとノーマは、好奇心旺盛にこの街を旅立ったコボルトの戦士の一人に、あの魔素を可視化できるモノクルを預けたのだ。四つの花弁からなる花を模した装飾は、ブロンテスのモノクルにも描かれていた。
そこまで確信するまでに、結構な長い時間を要した。
ハルカはコボルトたちはどうしただろうと、ふと顔を上げてみるが、どうも植物園から戻ってきた気配がない。
一度日記を閉じて立ち上がったハルカは、開けっ放しの扉をくぐり、植物の繁茂する天上の園を歩く。
耳を澄ましてみても、コボルトたちの声は聞こえない。
騒がしくしている印象が強いので、何かあったのではないかとハルカは少しだけ心配になった。
辛うじて道の形を保っている場所を選んで進むと、奥で墓を囲んだコボルトたちが座っているのが見えた。
ペタンと地面にお尻を付けて、じーっと墓石を眺めている。
この墓の下に眠る人物とコボルトの関係を知っているハルカは、なんとなく心がきゅっと締め付けられて、ついその場に足を止めてしまった。





