港と人魚たちの受け入れ
広く長い坂道を下ると、海がだんだんと近づいてくる。
せり出した陸地はかつて埋め立てられたものなのか、それとも自然にできたものなのか、砂浜のようなものはなく、水深がそれなりにあるようであった。北側からせり出した崖が高い波を遮り、海は極めて穏やかなものだ。
港として使われていた名残なのか、石でできた桟橋の土台のようなものが、いくつか水の中からせり出しており、かつてはいく艘もの船が停泊していたであろうことがうかがえる。
観光地のような砂浜が見つからないが、遠くにいくつもの小さな島が浮かんでいて景色は非常に良かった。
「……やっぱりここはいい港になりそうだね。栄えたらあの坂道の両脇に市場ができる。海からは【夜光国】、〈ノーマーシー〉、【朧】、【鵬】、それから【自由都市同盟】。陸路は〈ノーマーシー〉を起点終点にして、北方大陸の各国と交易ができる。もしうまく街を発展させられれば、大陸で一番活気のある街になってもおかしくない」
砂浜方面へ歩き、水平線を眺めながらイーストンが滔々と語る。
人と吸血鬼、そして破壊者が共生する世界を夢想していたイーストンには、きっと理想の未来が見えているのだろう。
おそらくイーストンの方がよりくっきりと見えているけれど、きっとこれは、【神聖国レジオン】のコーディの想像するそれとも近いものである。
長く生きているはずのイーストンの横顔は、まるで希望にあふれる子供のようであった。
仲間たちが静かなことに気づいたのか、ちらりと横目で様子を窺ってから、イーストンは軽く咳払いをする。
「……さて、人魚たちはどこにいるのかな」
呟いた瞬間、ぱしゃりと水が跳ねてすぐ近くからルノゥが顔を出す。
「ここにいますよ」
「こんにちは、随分と早い到着でしたね」
「すぐに準備して移動しましたから。水の中を進む速さで、私達に匹敵する者はいません」
自慢するかのように胸を張ったルノゥにハルカは微笑む。
「お約束通り、こちらの街で一緒に暮らすことにしましょう。とはいえ、街は崖の上ですが……」
「騒がしいのも嫌いじゃありませんが、静かなのもそれはそれでいいものです。その昔は魚が好きでこの辺りで暮らしていたコボルトもいたのですが……」
ルノゥがちらりと視線を向けた先には、廃墟のようになったぼろ屋がいくつか佇んでいる。
「どうやって魚を取っていたんです?」
「私たちがとってあげていました。代わりに彼らは、有事の際には一緒に戦ってくれました。街を彼らが押さえているということ自体が、私たちにとって好都合だったのです。持ちつ持たれつというやつですね」
ルノゥは広い湾を見渡した。
ちょうどいい具合に深い海。
岩場には豊かな食料があり、子育てをするに適した穏やかな海でもある。
夜には海光虫と呼ばれる小さな生き物が光を発するから、表層はぼんやりと明るい。まさに人魚が生きるのに適した場所であった。
逆に半魚人は陸地に上がることも考慮しており、砂浜のようになっている海岸の方を好む。欲をかいてこない限り、この湾を住処にしようとは思わないだろう。
その欲をかいてくる一部を撃退するために、コボルトたちの持つ魔素砲による攻撃手段は有効だった。半魚人は数こそ多いが特別強いわけではない。日中やることもないので、戯れに魚を取って与えているだけで感謝し、守ってもらえる。
コボルトは魚が手に入って嬉しい。
かつて両者は非常に良い関係を築いていたのだ。
「では……、希望するコボルトをこの辺りに移住させても?」
「もちろん。……彼らが以前と変わらず穏やかで素朴な性格をしているのなら、ですが」
思い浮かべるまでもなく、コボルトたちの性質は当時と変わっていないだろう。
「その点については心配ありません。戻ったら話をして、そのうちこちらへコボルトをよこすかもしれません。その時はよろしくお願いします」
「もちろん。私たちも街の一員ですから。代わりに、もし半魚人が来るようなことがあればよろしくお願いします。奴らは陸にも上がりますので、互いに気を付けるべきでしょう」
「わかりました、よく伝えておきます」
半魚人の危険性を繰り返し訴え、ハルカと約束を取り付けたルノゥはばれないようにほっと胸をなでおろした。
移住に反対する者もいたのを、無理を言って押し切ってきたのだ。
これで面目も立つというものである。
こっそりと海の中に沈んで話を聞いていた仲間たちも、互いに手を合わせて喜んでいる。
「人魚たちとしては、この辺りに船がくるのって問題がある?」
「いいえ? 私たちの住処は北にある崖のあたりか、あちこちに点在する島のあたりです。こちらの陸地を広く開発する分にはなにも」
「そう、ありがとう」
イーストンはルノゥの要領を得た答えに満足して頷く。どちらも物静かだけれどよく思考を巡らせる性格をしているので話が早いようだ。
「必要なものがあれば言ってください……、と言っても、私もいつもこの街にいるわけではないので、コボルトたちに伝えてもらって、こちらにいるニルさんに判断を任せることになりますが」
「ああそういえば今日はあの、白髪の人はいらしてないのですね」
「……ああ、ウルメアなら移住してきたコボルトたちの人数を数えています。そういえばお二人はなんでルノゥさんたちが来ているのを知っていたのですか?」
ニルは腰に手を当てて背筋を伸ばす。
「そりゃあ陛下よ、ウルメアにこの辺の地形を案内させていたからだ。儂が代官をするのだから領内をよく知らんというわけにはいかんだろ」
「なるほど、助かります。ええと、コボルトに暮らしの助言をしているのがウルメアで、街のまとめ役がニルさんです。他に何かありますか?」
「……いいえ」
ルノゥが答えて手をさっと上にあげると、海面に人魚たちが一斉に姿を現す。
「それではハルカ陛下。私たち人魚、約五百名。これより〈ノーマーシー〉の住人として、どうぞよろしくお願いいたします」
一斉に胸元に手を当て、目を閉じ、俯くように首を曲げた人魚たち。
「あ、えーっと……。はい、ではこれより〈ノーマーシー〉の住人として、良き隣人として、どうぞよろしくお願いいたします」
人魚たちの一部がふふっと笑う。
あまり威厳のないハルカが面白かったのだろう。
「まぁ、陛下ならこんなものか」
「こんなものって何ですか……」
「だがな、人魚たちよ。陛下は今回の旅で、お前たち人魚五百人、コボルト千五百人を街へ移住させ、この半島の南を支配する巨人たちの王となったのだ。気さくな方だが、あまり舐めてはいかんぞ」
「ニルさん、ちょっと」
人魚たちは驚いた顔をしてこそこそと隣の者と話をする。
巨人を近くで見たことがあるだけに、にわかには信じられなかったのだ。
ルノゥはパンと手のひらで水面を叩いてそれを静まらせると、真剣な顔をしてハルカに尋ねる。
「巨人の王となったというのは、本当ですか?」
「……あの後、成り行きで三人の長、西のグデゴロスさん、中のガーダイマさん、東のバンドールさんと戦うことになりまして」
「……まさか、勝ったのですか?」
「ええ、はい、勝ちまして……。言葉の通じる他種族を食べないように、むやみに争わないようにということだけ言い含めて、今まで通りに暮らしてもらっています」
ルノゥがこれまで見てきたハルカは、そんなしょうもない嘘を吐くような相手ではない。
穴を開くほどにハルカの顔をじっと見つめて、目を逸らされたところで却ってこの話が真実なのだと確信した。それから周りを囲む人魚の顔をぐるりと眺める。
自分の判断は間違っていなかった。
それを無言で群れの仲間たちへと伝えていた。





