無害な生き物
「到着です」
拠点へ戻ってきたハルカは、地面に降りるとウルメアを囲っている障壁を消した。そうして訓練で怪我をしている仲間たちに治癒魔法を施してから振り返る。
ウルメアは囲いが消えたというのにその場に立ち尽くしていた。
この街で自分が暮らしていた屋敷がただの瓦礫になっているのを見て、また一つ、負けたのだということを実感していた。
「そんなところに立ってないでこっち来たら?」
ハルカが声をかけようか迷っているうちに、焚火の前で寛いでいたイーストンが先にウルメアへ話しかける。
人と話すよりはまだ半分吸血鬼のイーストンの方が話をしやすい。
悪しざまに罵ったことなどすっかり忘れて、ウルメアは一歩二歩進んで障壁がないことを確認してから、イーストンの近くまで歩み寄った。
「座れば?」
「……なぜ閉じ込めない」
「閉じ込めるまでもないから」
実力の差が、身体能力の差があり過ぎる。
ウルメアが今何か悪さをしようとしたところで、それはすぐに阻止されることだろう。
わかっていながらも聞いてしまったウルメアは、現実を突きつけられると拗ねるようにしてその場に座り込んだ。
ウルメアは黙ってハルカたちを眺める。
そうしてしばらくして、ウルメアは顔をひきつらせながら、隣に座るイーストンに尋ねた。
「人って、痛みを感じるんだよな?」
「当たり前でしょ」
「私たち……、吸血鬼と違って体はすぐに治らないんだろう?」
「そうだけど?」
「なにを……しているんだ、あいつらは」
イーストンはいつも通り凄惨な訓練風景を見て、何と表現していいか迷った挙句、見ての通りの答えを返した。
「何って……、訓練でしょ」
「人はあそこまでやらんと強くならないのか?」
「え、いや、うーん。どうだろう」
「理解できん」
怪我が怖い、痛みが怖い、死ぬのが怖い。
それらが身近になったとたん、随分と臆病になってしまったウルメアは、訓練から目を背けて俯いた。
吸血鬼の生活や考え方をよく理解しているイーストンは、そんなウルメアを横目で見ながら思う。
これから人として生きていくにあたってウルメアが見聞きし、体験することは、今までにはなかったことばかりだ。数百年生きてきたとしても、吸血鬼としての経験なんて大して役にも立たない。
その人生はきっと、今ウルメアが思っているよりも、ハルカが想定しているよりも、ずっと過酷なものになるだろう。
それはきっと、あの時死ぬよりもよほど厳しい生になる。
だからこそ、イーストンはもはやウルメアに罰など必要ないと考えている。
そして、悩み苦しみ、いつかウルメアが普通に人として生きるようになることがあれば、それが一番いいだろうと、そんなふうに思っていた。
それにしても、アルベルトたちの訓練が常軌を逸しているというのは、イーストンも大いに同意するところであったが。
夜が明けて朝が来る。
太陽が昇ってしばらくして目を覚ましたウルメアは、憎むでも攻撃するでもなく、普通に接してくるハルカたちに困惑していた。
「ウルメアも顔を洗いますか?」
普通に提案をするハルカ。
無視をされると、頬をかいて去っていくが、困ったような顔をしているだけで、そこに怒りなどは見当たらない。
「はい、朝ごはん」
朝食を差し出してくるコリン。
反応せずにいると、むっとした顔をして「いらないならいいけど」と引っ込められる。それでも黙っていると、今度は無理やり器を押し付けられた。
「いいから、ほら、食べなさいよ! まったく……」
押し付けられたものを食べていると、先に食べ終わったアルベルトが大剣を肩に担いでウルメアの横を通りすがる。そうして途中でハッと気づいたように、振り返りウルメアへ尋ねる。
「そうだ、一緒に訓練するか?」
無反応を貫き通してきたウルメアだが、それだけは首をきっちり横に振って拒否をした。昨日のような無茶苦茶な訓練に付き合っていては、命がいくらあっても足りないと思ったからだ。
「なんだよ、しねぇのかよ」
ぶつくさと文句を言うアルベルトの気持ちをウルメアは理解できない。
アルベルトからすると、強くなる手伝いでもしてやろうかと声をかけたのだが、ウルメアからすればありがた迷惑でしかなかった。
それぞれが日課をこなし、やるべきことをやっている間、ウルメアはぼんやりとそれを見ているだけだった。
あれだけ強い者たちなのに、身の回りの世話をするような者も持たず、自分たちですべてをこなしていることが不思議だった。
やがて門の外が騒がしくなってくると、ニルが門に手をかけて押し開く。
するといつも能天気に暮らしていたコボルトたちが、わらわらと微妙な列を作りながら内側へ入り込んできた。
ハルカがソファに座り、左右にコリンとモンタナ。
なんだ、やっぱりコボルトたちを従えるのだなと納得をしていたところ、主であるはずのハルカは、コボルトたちの要領を得ない質問を聞いて、丁寧に答えていくだけだ。
何を命令するわけでも、何をさせるわけでもない。
それもやっぱり不思議で、ウルメアはただぼんやりとハルカたちの少し後ろで、話を聞き様子を窺っていた。
「あっ!」
突然一人のコボルトが声を上げてウルメアを指さす。
すると列に並んでいたコボルトも、同じように「あっ!」と言って体を傾けウルメアの顔を見た。
これまで好き勝手使役してきた種族だ。
見下して大したことがないと思っていたが、今となっては声を上げたコボルトが持っている武器、魔素砲も、ウルメアにとっては脅威である。
思わず緊張して肩を竦めていると、最初に声を発したコボルトは、とぼけた顔をして言葉を続けた。
「ウルメア様だぁ。何してるの?」
「な……何を……?」
そこに敵意や悪意はなかった。
ただ知っている人がそこにいたから気づいて声をかけた、それだけのようであった。
「あー、お日様怖くなくなったの?」
「気持ちいいよね」
「うん」
「あっ!」
コボルトの一人がまた声を上げる。
そうして今度は砦の横にある屋敷の残骸を指さした。
「おうちなくなっちゃったの?」
「新しいの作る?」
「できる?」
言葉を発する気にもならず、首を振り否定する。
早く何とかしてくれないものかとハルカに視線を送ると、当の本人は笑ってコボルトたちを眺めていた。ウルメアの意思を汲んでくれそうにはない。
「そっかー、じゃあ作ってあげるね」
こんな奴らの世話にならなければいけないのか、という気持ちがほんの少し。
ただ、ウルメアが感じていた気持ちの大部分は、ああ、自分はこの生き物たちに恨まれていないのだという安心感だった。
今日漫画4話目更新です……!





