お迎えダークエルフ
「ウルメアをこちらに連れてこようと思っているんです」
ハルカはたき火を囲んでいる仲間たちに向けて話しかける。
全員が言葉に耳を傾けてくれたのを確認してハルカは続ける。
「コボルトたちの様子を見る限り、あと数日はここにいる必要があると判断しました。些細な質問ではありますが、彼らがある程度満足するまで話を聞いてあげたいんです。そうなると、いつまでも彼女を檻の中に閉じ込めておくのもどうかなと」
「反対はしないよ」
イーストンが答えてスープを啜ると、コリンも頷いて同意する。
「そうだよねー、強い魔物とかいたら、檻が破られて食べられちゃうかもしれないしー」
混沌領の特に砂漠には強い魔物が棲んでいる。
ウルメアが閉じ込められているのは、この街の近くにある森の中だが、生態調査をしてきたわけではないから何がいてもおかしくない。
木っ端な魔物はナギが降り立ったことで逃げ出していそうなものだが、逆に残っているとしたらそれなりに強いものになる。ハルカが地面から作り出した鉄製の檻が、必ずしもウルメアの命を守るとは限らない。
頑丈に作ってきてあるし、当たり前のように安全だと考えていたハルカには衝撃の言葉だった。
「ちょ、ちょっとその、今から迎えに行ってきます」
「大丈夫だと思うですけど」
立ち上がったハルカにモンタナが声をかけるが、どうしても気持ちが落ち着かないハルカは、そのまま空へと浮かぶ。
「念のためちょっと、ちょっと行ってきますね」
「おー、気をつけろよー」
食事をしているアルベルトの適当な返事を聞いて、ハルカは夜の空へ飛び立った。
まもなくしてウルメアの下へたどり着く。
幸い周りに生き物の気配はなく、ウルメアは昨日と同じく地面に座ってぼんやりとしていた。
ただしその位置は檻の端ではなくて真ん中だ。
ハルカがやって来たのを見ると、くしゃりと表情をゆがめ、泣きそうな顔をする。
「あの、大丈夫ですか?」
「……何がだ」
「その……」
鉄格子のそばの地面に引っかき傷。
あちこちに動物の毛が落ちている。
「狼に囲まれた……。少し前に諦めて帰っていったところだ」
「……ええっと、とりあえず街まで連れて行こうかと思います」
目がやや虚ろになっているのは、自分が他の生き物から食べ物と認識されたせいだろうか。
ウルメアはハルカの言葉に少し表情を明るくしてから、取り繕って頷いてみせた。
ハルカは檻を腕の力でこじ開ける。
一度魔素を通すことをやめた物質を、再び魔素へ変換する方法をハルカは知らない。故にこの出入り口のない檻からウルメアを外に出すためには、檻を壊すしかなかった。
ウルメアはハルカが難なくそれをこなすのを見ると、警戒心をあらわにしたまま檻の中から出てくる。逃げるわけでもないのにハルカから微妙に距離を取っているのは、ハルカが気まぐれで自分を殺すことが出来る存在だと理解しているからだろう。
「では行きましょうか」
ハルカはそう言うと、空を飛び、ウルメアを囲った障壁を横に並ばせる。
「さっきも思ったが、何で当たり前のように空を飛ぶんだ……。この忌々しい壁の魔法を使っているわけじゃないんだろう?」
恐る恐る障壁を叩きながらウルメアが尋ねる。
ハルカという存在が、もはや何でもありだと理解し始めていたが、声に出さずにはいられなかった。
「なんでと言われても……」
「いい、なんでもない」
ハルカが答えに窮しているのを見て、ウルメアは諦めたように座り込んだ。
何もしなくても安全な場所まで連れて行ってくれるというのなら、さっきまでの環境よりはまだましだった。
ウルメアは昼間に狼の群れに囲まれたときのことを思い出し、ぶるりと体を震わせる。
ウルメアはいつもは眠っていたはずの昼間の時間に、ぼんやりと考え事をしていた。
もはや抵抗する気も起きず、自分の命を握っているのがハルカだと完全に理解した後だった。
ウルメアは馬鹿ではないのだ。
ただ諫めるものも、間違いを正してくるものも今までいなかっただけである。
鉄格子に背中を預けため息をついていると、草が擦れる音が聞こえてきた。
緩慢に立ち上がり、のっそりと振り返って音の正体を確認した瞬間、目の前に狼の顔が迫る。ウルメアは思わず腰を抜かして地面に座り込んだ。
狼は鉄格子に阻まれたことに気が付くと、無理やりその隙間から体をねじ込もうとしている。
なんと生意気な、引き裂いてやろうと思ったのも束の間、一歩踏み出す前にウルメアは体を固まらせた。
重い体。
頼りない手足。
その拳は、鉄格子に叩きつけると酷く痛み、すぐさま内出血ができてしまうくらいには脆い。
その点、狼はどうだろうか。
鋭い爪と牙。
体重はどっこいだとしても、身軽さにおいても力強さにおいても、今のウルメアでは到底かなう存在ではなかった。
生意気ではない。
あの狼は、強者の正当な権利として、自分を食べに来たのだとウルメアは気づいてしまった。
反対側の鉄格子が鳴り、ウルメアは慌てて振り返る。
拳を叩きつけた時ぴくりともしなかったそれが、他の個体の狼の体当たりで僅かに揺れた。
ウルメアは無力だった。
だのに、弱肉強食の弱者の立場であるのに、死にたくないと思っている自分に気が付いた。
弱者は強者の餌になるのが当たり前。
下等な生き物の役割はそれ。
これまでのウルメアの考え方である。
それに従うのであれば、ウルメアは外にいる狼たちに今すぐ体を捧げるべきなのだ。
ウルメアは自らのあまりのか弱さに、いっそ笑いがこみあげてきてしまった。
それから、今死にたくないと足を震わせている自分がどうしても許せなくて、その場に座り込んで顔を伏せた。
周囲を狼が歩き回る音が聞こえる。
地面をひっかく音、鉄格子がたわむ音。
そんなものは見たくなかった。
怖かった。
癪だけれど今のウルメアにできることは、ハルカというあの規格外の何かが作り出した鉄の檻を信じることだけだった。
やがて夕暮れがやってくると、これ以上挑戦しても無駄だと気づいた狼たちがすごすごと逃げ帰っていく。もう二度とこないでくれと、そんな言葉が脳裏をよぎって、自分の弱弱しさをまた嫌悪した。
いっそ死んでしまいたい。
でも死にたくない。
相反する思いを抱えたまま夜が訪れ、ハルカがやって来た。
狼が体当たりをしても全く壊れる様子のなかった鉄格子を、ハルカがやすやすと、然程力を込めたふうでもなく捻じ曲げる。
ウルメアの心が、気持ちが、再び折れた瞬間だった。





