老境の期待
しばらく待っても騒ぎの収まらないコボルトたちに、ハルカが大きく手を振って注目を集めようとすると、気付いたコボルトたちも真似をするように両手を振ってくる。
そういう話ではないのだが、その光景はなかなかに和やかではあった。
仕方なくハルカは声を張り上げる。
「解散してください! 用事がある方は訪ねてきてください!」
五度同じ言葉を繰り返し、ハルカは耳のカフスを触りながら「大丈夫ですかね?」と誰に言うでもなく尋ねる。
「大丈夫じゃない?」
「分かんなきゃ聞きに来るだろ」
いつまでも手を振っているコボルトたちに苦笑しながら手を振りつつ、ハルカは門の中へ戻っていく仲間の後に続く。
門へとたどり着いてもう一度振り返ると、ぞろりとハルカの後ろにコボルトの列ができていた。コボルトは揃って口を開けたまま振り返ったハルカの顔を見上げている。
「……あの、どうしました?」
「用事!」
「あ、そうですか。ええと、じゃあ、中で話しましょうか」
何かを期待するようなキラキラした目で見上げられると、帰りなさいとは言いだせないハルカである。
「なんかめっちゃついてきてるけど……?」
「用事があるみたいです、話を聞いてあげようかなと」
「……時間かかりそー」
ずらっと続く列を見て、コリンはぽつりとつぶやいた。
その間にニルが吸血鬼の屋敷の中で唯一無事であったヘイムの家から、椅子をいくつか運び出してきて外に並べる。黙って見ていると、ソファまで持ってきてイスと向き合うようにして並べ、ハルカに座るよう促す。
「陛下よ、これを使うといい」
「ありがとうございます。……とりあえず暗くなるまではやりましょうか」
ハルカがソファの端に座って背筋を伸ばすと、わざわざ狭い方の隙間にコリンが割り込んでくる。
「はい、真ん中座ってー」
仕方なく逆側へ行こうかと思って座る位置をずらすと、反対側には既にモンタナが澄ました顔をして座っていた。自動的に真ん中に座らざるを得なくなったハルカは、椅子に飛び乗って待っているコボルトたちに声をかける。
「はい、ではご用件お伺いします」
「はい! 王様は話しかけても怒らない?」
「ええと、はい、怒りません」
「わかった!」
三つ並んだイスから二人のコボルトが立ち上がり、列からも「そっかー」などと言いながら数人が抜けていく。
聞きたいことが同じだったらしい。
前の王であるヘイムは、どうやらコボルトたちに話しかけられて怒ったことがあるのだろう。それも、こうしてコボルトたちが気にし続けていることから、怒って何か酷いことでもしたのではないかと推測できる。
数十年にわたる恐怖心の積み重ねが、これまでコボルトたちを兵隊として縛り上げてきたのだろう。
ハルカの見た目は優しそうに見えるものではない。
特に緊張していたり考え事をしていたりすると整っていて近寄りがたいくらいだ。
おそらくコボルトたちの前に出た時のハルカは、他と比べても険しい表情でいることが多かったはずだ。
それでもコボルトたちは、余計に悩んだり疑ったりせずに、まずは聞いてみようと動きだした。引っ込みがちなハルカにとっては、こうしてどんどん前へ出てきてくれる相手の方が相性がいいのかもしれない。
順番が回ってきた途端、お腹が減ったと帰っていくものや、質問忘れたと困った顔をする者もいたが、そのどれもが悪意なくハルカのことをじっと見て帰っていく。
ハルカの表情は少しずつ穏やかになり、帰っていったコボルトたちがそれを家族や近所の仲間たちに伝える。
意図したわけではなかったが、こうして言葉を交わす機会を設けたことで、少しずつハルカという新しい王様の人柄が伝播していく。
日がもう沈もうという時間になったところで、間にニルが入り込んでコボルトたちを散らしていく。
「ほーら、今日はもう帰れ帰れ。暗くなると躓いて転ぶぞ! ほれ、帰れ。それ帰れ」
わぁわぁ言いながら逃げ惑うコボルトや、それでもハルカの顔を覗き込もうとするコボルトをニルが門の外へ追い出していく。それはまるで小さな子供と遊ぶ先生のようでもあった。
武人である割にニルは子供っぽい者たちの扱いがうまい。
そういえばニルはハーピーの扱いもうまかったなと、ハルカはキャーキャー言いながら門の外へ逃げていくコボルトに手を振りながら考えていた。
年の功というやつである。
リザードマンやケンタウロスに戦士として認められているニルは、確かにこの街を任せるのにふさわしい人材なのかもしれない。その分里の防衛力は弱まるが、その辺りはハルカたちでカバーをすればいい。
「まったく元気な奴らだ。あの調子だとまた明日も来るな」
門を閉めたニルが戻ってきて楽しそうにハルカに報告する。
ハルカはそれに立ち上がって相対した。
「ニルさん、ここをよろしくお願いします。戻る前にリザードマンやケンタウロスたちとは話をするつもりです」
頭を下げると、ぽんとハルカの肩に手が置かれる。
「陛下よ、儂はかつて王となり、自分以外のものを仰がずに長い生を過ごしてきた。しかしなんだ、認めた相手の役に立てるというのは嬉しいもんだとつい最近知ったのだ。誰かを支えることが、それが皆に愛されることが喜びになる日が来るとは、ほんのちょっきりも思ったことはなかったのだ」
ハルカは顔を上げてニルの顔を見る。
表情はわかりにくいが、その顔は微笑んでいるようにも見えた。
この言葉は戦士としてでも、元王としてでもなく、ニルという我の強い老リザードマンの心から漏れ出したものだった。
「だから任せてくれ。そして儂は、できることならば陛下にこの混沌領を治めてほしいと思っていることも忘れんでくれ」
「……それはなぜです?」
「儂はそれこそが、陛下が本当に望むことだと信じているからだ」
「……そんなにたくさんの人の上に立つなんて」
ハルカが反論をしようとすると、ニルは肩に置いていた手をハルカの眼前に出し邪魔をする。
「知っているものが争うのは嫌だろう? 平和に暮らしたいものが傷つくのが悲しいだろう? 弱者が虐げられるのが苦しいだろう? 何とかならないものかと思っておるだろう?」
しばしハルカの反応を見てから、ニルは首を振った。
「強者はなかなかそうは思わんものだ。儂もそんな風には思えん。強者とは、往々にして弱者であった頃のことを忘れるものだ。煩わしいほどに悩み、無駄に思えるほどに苦しみ、めんどくさいくらいに考え、最後に寄り添おうとするその陛下の姿勢が、儂には新鮮で、そして好ましい。いつか儂の想像もしたことのないような国を作ってくれるんでないかと期待している」
「……そんなに、大層なものじゃありません」
期待が重い。
王であるというだけで重かったというのに、この立派な老戦士に言葉にされるとさらに重たい。
難しい顔をするハルカを見て、ニルは笑う。
「はっはっは、そうやってしんどそうにしてるくらいがちょうどいいのだ! なぁに、いずれ種族を違えど仲良く喧嘩ができるような国を作ってくれればよいのだ! それまで儂は陛下の手足になるぞ。それを見ずには死んでも死に切れんからな」
「お、いいな、それ」
「だろう! 巨人もケンタウロスも、空飛ぶガルーダも、そして人も、皆まとめて喧嘩するのだ。誰が一番強いか決めるのにな。殺し合いじゃないぞ? 腕比べだ。心躍るだろう!」
アルベルトの後押しに、ニルはまた声を出して笑う。
「結局それですか……?」
ニルの言葉はハルカの心の奥底にある何かを的確に捉えていた。
期待の大きさはともかく、反論をする言葉を咄嗟に見つけることができない。
ハルカはまだまだ言葉も責任も背負い歩くだけの覚悟がなかったが、一度ぐっとニルの言葉を飲み込んで、二人に合わせて笑ってみせるのだった。





