おうさま
ざわつく門の向こうを、コリンが隙間から覗き込む。昨日よりもたくさんのコボルトが、門の前の広場だけでなく、道や屋根の上にも集まってきていた。
まだ時間には早いかと焚き火の世話をしていたハルカに、コリンは報告に戻ってくる。
「ハルカー、コボルトの数昨日より増えてる」
「昨日よりですか?」
ハルカが鸚鵡返しに問い返すと、槍を振っていたニルが、ぴたりと動きを止めて口を挟む。
「昨日は布告の時間が足りなかったから、連絡が届かない奴らもいたのだろう」
「もう全員集まっているんでしょうか?」
「さて、どうだろう。しかし夕方と言ったならばそれまで待つのが良いのでは?」
「うーん、では待ちますか……」
特にやることもないので、訓練に明け暮れる仲間と、一応何を話すのか真面目に考えているハルカ。目を閉じているのはイーストンで、日記を読み進めて時折何か考え事をしているのがカナだ。
ナギはたまに首を伸ばして、コボルトたちを驚かせている。
何度か仲間たちに治癒魔法をかけた頃には、太陽の色が変わり始め、ハルカは緊張しながら門に手をかけた。
今回は寝起きのイーストンも含め、一応全員がついてきてくれている。
ハルカが最初に顔を出すと、コボルトたちは一瞬静まった後、わあっと歓声をあげた。
昨日とはまるで違うその対応に、一歩踏み出したハルカはその場で足を止めて目を白黒とさせる。
歓声の中に「王様!」という言葉がいくつも飛び交い、一歩後ずさったハルカは、すぐ後ろにいたニルに背中をぶつけて立ち止まる。
「あの、なんか王様って……」
「儂はなんもしておらんぞ……?」
何かするならニルだが、もし工作していたとしたらこんなふうに誤魔化すような性格はしていない。
イーストンが眠たそうな目のまま、隙間からそっと出てくると、コボルトたちを見渡して、ハルカには聞こえるように呟く。
「これ、もう王様って認識されてるんじゃない?」
「どうしてです? そんな話はしていないのに……」
「今までの王様を倒して、これからどうするか教えてくれる人って、彼らにとって王様ってことなんじゃない? 気になるなら聞いてみなよ」
ハルカは手前の方に朝やってきたコボルトがいることに気がついて、歩み寄って尋ねる。
「すみません、この王様というのはどういうことです?」
「前の王様は王様って呼べって言ってたよ?」
「ハルカはこれからどうするか決めるから王様」
「嬉しい?」
ヘイムは、自らを王と呼ぶことにこだわりを見せていた。それはエトニア王国でも同じことだ。姿を現さないくせに、王と呼ばれることは好きだった。
これはその名残りだろう。
元よりなんとかしてコボルトたちを導いてやらなければいけないと覚悟していたハルカだが、相手側から不意打ちをくらった形だ。
「どうせ世話してやるつもりだったんだろ?」
「うむ、我らの王であるのと同時に、ここの王であればいい」
アルベルトとニルの無責任な言葉を背中に受けながら、ハルカは立ち上がって数歩さがった。
王様に集められたと認識しているのに、屋根の上にいたり、窓から顔を出したりしているのは、いかにもコボルトたちらしい待機の仕方だとハルカは思う。
「吸血鬼たちはいなくなりましたが、皆さんは今まで通りに暮らしてください! 近いうちにあなたたちの仲間も連れてくるので、一緒に畑を耕したり、城壁の警備をしたり、砦の掃除をしたりして暮らしましょう! 船を直して、魚を獲れるようにしましょう! わからない人がいれば教えてあげてください。みんなで協力して、仲良く、元気に楽しくやってきましょう。近くに住んでいるケンタウロスやリザードマンとも仲良くできるように話をしてきます。私も……たまに様子を見にきますので!」
大した演説じゃなかった。
子供に言い聞かせるような、聞く人によっては馬鹿にされていると捉えてもおかしくないような、幼稚な内容だった。
しかしコボルトたちは真面目な顔をして、ハルカのことをじーっと見ている。
言葉が切れたところでも反応がないことで、失敗しただろうかと思って怯むハルカの腕が突かれる。
「返事していいか待ってるです」
モンタナからの貴重なアドバイスだった。
「……わかりましたか!?」
ヤケクソ気味に大きな声で尋ねると、集団から一斉に「はーい」とか「うん!」とかいう元気のいい声が返ってくる。
まるで小さな子供の引率をしているような状況だが、それが数百・数千という数になると、空気も揺れてなかなか迫力のあるものになる。
「いや、すげぇなこれ」
「……一見子供のようだが、仲間意識とかは意外と強いのだ。一度仲間だと認識した相手は、とことん信用するし、ついてくる。……日記の主も、きっとコボルトのそんなところを好いていたのだろうな」
つい先ほど日記を飛ばし飛ばしながらも最後まで読み終えたカナは、わざわざ墓参りに行って戻ってきて、しばらくの間ポロポロと涙を流していた。
そんなカナが、目元を赤くしたまま鼻を啜りつつコボルトの批評をする。
どこまでもまっすぐな性格をしていて、コボルトたちとは気が合いそうだ。
「しかし、ここに誰か話を聞いてくれる人を置いておかないとまずい気がするんですよね」
いくら空を飛んでこられるといっても、ハルカはここに来るまで3、4日はかかる。頻繁に行き来するには少々遠い距離だ。
「できれば砂漠のリザードマンやケンタウロスたちとも上手くやれるようにしておきたいですし……」
「陛下よ」
ふっと笑いながらニルが背筋を伸ばした。
「儂が残る」
「……いいんですか?」
「うむ、構わん」
「代わりと言ってはなんだが、やってもらいたいことが二つばかりある。一つは里から希望者がいればこちらへ連れてきてほしいということ。それからもう一つは、季節に一度くらいは顔を出してもらいたいということだ」
「そんなことはお安いご用ですが……、里からここまでは随分と距離がありますよ?」
「なぁに、儂は元々腰をやって死を待つばかりの老人だったのだ。この面白い奴らと、ケンタウロスや砂漠の戦士共と関わっていくのだ。退屈する暇などない」
ハルカはニルの正面に立って、じっとその顔を見つめる。
無理やりそれを言わせているのではないかが心配だった。
「ただし陛下よ、ここの王はあくまで陛下だぞ。儂は代官。それだけは忘れんでくれ」
「……あとでもうちょっと詳しく話を詰めましょうか」
わかっていたとはいえ、すぐに領地が広がりそうであることを受け入れられないハルカは、諦め悪く、ほんのちょっとだけ問題を先送りにしてみるのであった。





