演説未満
門が開くと大量のコボルトたちが一斉にハルカたちに注目した。
コボルトの背が低いので、かなり後ろの方まで顔が見える。
ほとんどのコボルトがそわそわとしており、隣と何か話をしていたが、ハルカが現れたのを見ると、ひゅっと首をひっこめながら黙り込んだ。
明確に恐れられているとわかる仕草に、ハルカの心がまた少し痛んだ。
しかしハルカもこれくらいのことは初めから承知のうえで出てきている。
指先で耳につけたカフスを軽く撫でてから、ゆっくりと息を吸って気持ちを整えた。
すでに場は静まり返っている。
改めて前置きをする必要はない。
「吸血鬼を倒しました」
はっきりと遠くまで声が通るように、顔を上げて言葉を紡ぐ。
威圧しないよう、声を荒らげないように。
しかし遠くまで届くように、できるだけ大きな声で。
幸いなことにコボルトたちの顔は見えている。
後ろの方で首をかしげている姿を確認したハルカは、先ほどよりもさらに大きな声で、怒鳴り声にならないように気をつけながら繰り返す。
「吸血鬼を倒しました!」
大きな声を出すと、どうしても語尾が強くなる。
怖がらせるつもりがなくとも前列のものが、僅かに体をすくませた。
おおよそ全員に言葉が届いたことを確認して、ハルカはさらに続ける。
「今日からあなたたちは自由です」
コボルトたちは互いに視線を交わすばかりだ。
声が届いていないわけではないが、ひたすらに戸惑っているように見える。
わっと歓声が上がることを期待したわけではなかった。
しかし、もう少し何かしらの反応があると考えていたハルカにしてみると、想定外の事態である。
もう少し待てば何か変わるのではないかと、しばらく黙って様子を見るハルカ。
しかしコボルトたちは、そんなハルカの様子に気づくと、何かに怯えるようにまた黙り込んでしまった。
演説能力があるわけでもなければ、威圧的にふるまうことも得意でないハルカに、この場をきれいに収めよというのは酷な話である。
「んー……、みんなこの集められるって状況に、何か嫌な思い出があるのかもねー」
「すごく怖がってるです」
困っているハルカにコリンが思ったことを述べると、モンタナもコボルトたちの抱いている感情を伝える。
「どうしましょうね」
「うーん、事情がよくわからないからなー」
小声で相談していたハルカに、アルベルトはあっけらかんと言い放った。
「分かんねぇなら聞けばいいだろ」
「これだけ集まってるのにそんなでいいんでしょうか?」
「だって話進まねぇじゃん。そこの白いもこもこしたの、ちょっとこっち来い」
アルベルトに手招きされた綿毛のようなコボルトは、それでもすぐに立ち上がるとぎくしゃくした動作で近くまで寄ってくる。頭部だけがもっさりと大きいように見えるが、おそらくその大部分が毛だ。
不安そうな目で見上げられてしまうと、罪悪感が強く湧いてくる。
強引ではあったけれど、折角アルベルトが場を作ったのだ。
ハルカはしゃがみこんで、そのコボルトと対話してみることにした。
少なくともどう届くかわからない大人数に対して言葉を投げかけるよりは、個々と話すことの方が慣れている。
「これまで、こうして集められることはありましたか?」
コボルトは言葉なく首肯する。
「その時何か良くないことが?」
一瞬目を泳がせてから、再び頷き。
「何がありました?」
ぱかっと口を開けたまま固まったコボルト。
何かを言った瞬間悪いことが起こると思っているようだ。
「教えてください。怒ったり酷いことをしたりしませんから」
「…………しゃべると食べられちゃう!」
しばし迷った後、わっとひと息に言ってそのコボルトは尻尾を丸めた。
「それは実際にあったことですか……?」
血を吸うならばともかく、食べるという表現はちょっと違和感がある。
「ううん、母ちゃんが言ってた!」
一度喋り出してしまって堰が切れたのか、コボルトはさらにおしゃべりを続ける。
「でもね、集められるとぜったい最後に何人か選ばれて連れてかれちゃう。そしたらもう帰ってこないよ。母ちゃんも父ちゃんも、帰ってこないもん。呼ばれていった人もほとんど帰ってこない」
「そうでしたか……。ここから逃げようとしたことはないんですか?」
コボルトは体を小さくして、フルフルと首を横に振る。
「逃げないよ、逃げない」
何かに怯えているのは明らかだった。
ハルカがさらに深いところまで事情を聴いていいものか悩んでいると、コボルトは勝手にその続きを話してくれた。
「逃げたらみんな殺されちゃうから逃げないよ」
「ああ、そうですか……」
吸血鬼たちはコボルトを比較的自由に過ごさせているように見えたけど、やはり恐怖で縛り付けることはしていたらしい。
ハルカはこれ以上彼らをここに留まらせようとは思えなかった。
「ありがとうございます。もう一つだけ、ケンタウロスたちがどこかに連れてこられているはずなんですが……、どこにいるかご存じですか?」
「知ってるよ。あっちの方で静かにしてる」
「ありがとうございます、戻っていいですよ」
脅かさないように穏やかに笑って見せると、綿毛のようなコボルトはハルカの顔を見たままゆっくりと頷いて、とことこと歩いて元の位置へ戻っていく。
ハルカは立ち上がり、再び背筋を伸ばして声を張る。
「この街ではもう誰も食べられません。連れていかれて帰ってこないこともありません。好きなものを食べて、ゆっくり休んでください。お話はおしまいです、皆さん集まってくださってありがとうございました」
ハルカは深く頭を下げる。
コボルトたちはそれをぽかんと見つめており、誰一人として動こうとしない。
顔を上げたハルカは、その光景を見て苦笑しながらもう一度全員に聞こえるように言った。
「おうちへ帰りましょうね」
前の列にいるものからおずおずと立ち上がり、少しずつ、波がひくようにコボルトたちが街へと散っていく。
多くのコボルトが、振り返り振り返り、ハルカの顔を見ながらだ。
近くにコボルトがいなくなったのを確認して、ハルカは仲間たちに聞こえるように呟く。
「やっぱり向いてませんね、こういうのは」
「冒険者の仕事は戦うことだからな」
アルベルトは首を回しながら答える。
「……それもあまり向いてないですけどね」
「ふふっ、ま、私たちも一度もどろ! 捕まってるケンタウロスたちの様子見に行かないといけないし、ほらほら」
コリンに手を引かれ歩き出したハルカと、それについていく二人。
去っていくコボルトたちを振り返ったモンタナは呟く。
「そんなに悪くなかったです」
「お世辞でもそう言ってもらえるとほっとします」
コボルトたちの気持ちの変化を見ていたモンタナは、謙遜するのもハルカらしいかと、それ以上むきになって事実を伝えることをしないでおくのだった。





