無かったことに
ハルカは頭を冷やすために一息ついてから、再度話し始める。
「夜が明ければ私たちは出発します。それまでにあなたをどうするか決めなければいけません」
「怒るなよ、冗談だろ、悪かった」
ハルカの語り口が先ほどよりも少し硬くなったのを確認して、ウルメアは軽い謝罪を口にした。吸血鬼ジョークはハルカにとってちっとも面白くなかったし、笑って済ませようとしていることも腹立たしいが、それとどうするかはハルカにとっては、また別の話だ。
普通の冒険者ならそれも加味して判断をするのだろうけれど。
「私はあなたの言葉が信じられません。このまま野放しにして改心するとも思えません」
「そう言うな、もうこりごりだ。ダークエルフは長く生きる。獣人相手の時とは違って、百年やそこら隠れてるだけで済む話でもない。……なぜかあいつは生きてるらしいが」
ウルメアはカタカタと小刻みに震える体を抑えるように腕を組んだ。
ノクトへの恐怖をまだ体が覚えていて、自然とそうなってしまうのだろう。
「それは改心したとは違うんですよ。私にとってはそれは何の意味もないんです。タガが外れれば同じことをするというわけですから。話した限りそれをどうにかしようという気もなさそうに見えます。今私が考えていることは二つ。一つは朝になり次第あなたを……殺すことです」
殺すという言葉を口にして、ハルカはため息をついた。
まったくもって気は進まないけれど、このまま話し続けてどうにかできるとは思えなかった。
「殺すな。私は死にたくない。死ぬべきではない。もう一つはなんだ」
「…………もう一つは、あなたの吸血鬼としての能力を全て奪って、人としての生を送らせることです」
「そんなことできるわけないだろう」
「はい、上手くいかなければあなたは死にます」
「馬鹿、馬鹿な、お前。どちらにせよ殺すということではないか!」
「いえ、もしかしたら人として生き残ることもできるかもしれません」
「それは! 死んだも同然だろう!!」
「そうですか……、わかりました……」
人として生きることが死ぬと同義だというのなら、ハルカの取れる手段は一つだけだ。
朝になり次第、ウルメアを殺す。
問答をする必要はなくなった。
あとは会話をすればするだけ、情が湧いてしまい嫌な気持ちになるだけだ。
「おい! なぜ黙る! おい、なんとか言え! まさか本当に私のことを殺すのか? 長々といろいろ言った末に、結局殺すつもりなのか!?」
ハルカは下を向いたまま返事を返す。
「……私は、あなたを生かす道を模索しました。私は、私が大切にするべき人達の安全を守りたい。話し合った結果、あなたの心根が安易に改善するとは思えませんでした。ならば能力さえなくなれば、安全度は上がり、人側の気持ちを理解する時間を設けることができる。しかし、それも駄目だというのなら……」
ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ、ハルカは最後に顔を上げてウルメアの顔をじっと見つめ返していった。
「ウルメアさん、あなたのことを殺します。私の我がままのために」
ハルカの目が据わっていた。
迷いや、葛藤はある。でも確実にやると決めたものの目だった。
「待て、おい、待て待て待て、なんだその目は。待てよ!」
ハルカは返事をしない。
朝になれば殺さなければいけない相手の顔を、忘れないように、しっかりと見ていた。
酷く後悔するかもしれない。
それでも自分の決めたことだから、目を背けて忘れ去ってしまわないようにしようと考えていた。
「やめろ、やめろやめろ! どうして急にそうなった。さっきまで全然見逃しそうな感じだっただろうが! もう少し話をしよう、な? 考え直せ」
「考え直す期間は終わりました」
「おいおいおい、待てって、おい! ハウツマン!!」
「ハルカさんって意外と頑固だから」
「頑固じゃありません」
眉間にしわを寄せて姿勢正しく言い返すハルカを見たら、多くの人は頑固そうだなと思うだろう。
「頑固ですますな! 王の血が途絶えるんだぞ!?」
イーストンはため息をついて立ち上がり、大声を出し続けるウルメアに歩み寄った。
そうして障壁に顔を寄せて、小さな声で話しかける。
「途絶えたらいいんじゃない? 所詮、長く生きることに耐性の高い一族ってだけでしょ。その過程で強さや特殊な力を身に着けていっただけ。途絶えて誰が困るの? 君が死んでも誰も悲しまない」
囁きの毒がじんわりとウルメアの脳にしみ込んでいく。
「だ、誰も……、馬鹿、お前、そんなこと……」
「君は忘れられる。君の名前を誰も思い出さない。セルドという一族がいたことすらも。君は自分以外の生きているものを見下し過ぎだ。だからきっと、数百年後には存在したことすら忘れられる」
「ふ、っざけるな! 死ぬか! 死んでたまるか! おい、殺すな、私は生きるぞ! 忘れられるだ? まだ、まだ私は、まだ私はやることがあるぞ! 誰も忘れられないくらいに、私が生きたことを馬鹿どもに刻み込んでやる!」
これまで考えたことすらなかった、忘れられるという考えを嫌ったウルメアが出した答えは、先ほどと変わらない横暴なものであった。
「君が見下した人や、コボルトやケンタウロスに、憶えていてもらいたいの?」
「憶えていてもらうんじゃない! 刻み込んでやるんだ!」
処置なしだなと判断したイーストンがあきれ顔でその場を離れると、ウルメアとハルカの目が再度交錯する。
「私は、まだ……まだ!」
無限に生きるぐらいの気持ちでいたウルメアは、まだ、まだ、と言葉を繰り返す。
しかしハルカは、そのすべてをゆっくりと首を横に振ることで否定した。
「う……お、おぉ……、だ、だめだ、なぁ、駄目だろそんなの。なんでそんなことを……許されない。死なない、私は死なないぞ」
「……殺します」
「こ、殺すな! わかっただろ! 私は死ぬわけにはいかないんだ! そんな簡単に殺すなんてことを言うんじゃない!!」
先ほどとは立場が逆になったような問答だった。
ハルカは瞬きも忘れるぐらいに、変わらずじっとウルメアを見つめて答える。
「いいえ、殺します。あなたは死ぬわけにはいかない人の未来をたくさん奪ってきました。それを反省し、改善するつもりもありません。ですから、殺します」
「ああああああ、わからん奴だな!! 馬鹿が、馬鹿なのかお前は!?」
罵倒に対し返事をしないハルカの目は、相変わらず据わっていた。
殺すと口にするたび、ハルカの心も少しずつすり減っていて、もうこれ以上問答を続けたくなくなっていた。ただ、決断だけは揺るがせない。
しばらくの間ハルカに向けて罵声を浴びせ続けていたウルメアは、最後に「あああぁあああ!!」と叫んで、拳で床を強くたたき、そのまま丸くなった。
その姿のまま一時間。
ハルカもイーストンも何も言わない。
ただ小さな呪詛のような呟きだけが、ウルメアの口から洩れ続け、やがて止まり、すすり泣くような音が聞こえ始めた。
黙り込んで三時間。
東の空がうっすらと白み始めた頃だった。
小さく丸くなっていたウルメアは、涙や鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を上げて、妙に媚びへつらうような表情でハルカの方へにじり寄って言った。
「わ、私は、私はひ、人に、人になって、生きる……。死なない、まだ、まだ、死ねない……。それでいいんだろう!? それならいいんだろう!?」
「……そんなのは死んだのと一緒なんじゃないの?」
イーストンが茶々を入れると、ウルメアは必死の形相で言い返す。
「うるさい馬鹿黙れハウツマン!! お前、ハルカ? ハルカか、なぁ、私は吸血鬼でなくてもいいから生きる、生きるんだ、な? いいだろ?」
どうしようもなく追い詰められて、仕方なしの決断だったのだろう。
それでも、目の前にいるダークエルフの名をハルカと認識したり、忘れられたくないと強く思っている辺り、先ほどから幾分か考えが改められたのかもしれない。
返事をしないハルカの機嫌を窺うようなその顔は、すでに誇りだけが高くなりすぎた吸血鬼のものとは少し違ってきているようだった。





