埋まらない溝
夜が明ければウルメアの処遇を決定して出発しなければならない。
ハルカは仲間たちを休ませて、ウルメアの前に腰を下ろした。
「どうなったんだ?」
「考え中です」
「ためらうってことはやりたくないってことだろ? 約束は守る。仲間には間違えてここから出してしまったと言い訳すればいい、な?」
透明な障壁に手を置いて、蠱惑的な笑みを浮かべて見せるウルメアを、ハルカは表情なく見つめ返した。
吸血鬼であるウルメアの容姿は整っているが、見た目の話をするならば、ハルカもまたそれに勝るとも劣らぬくらいの美女だ。
そんな美女に黙って見つめ返されるという経験のないウルメアは、段々と笑顔をひきつらせて目じりをひくつかせた。
「なんとか言え」
「ウルメアさん、私はあなたを殺したくないと思っていますが、それは個人的な感情からです。私の倫理観は、平時において、個人が司法に拠らずに人を殺すことはよくないことであるとしています。ただ、仲間たちのため、その家族や、どこかで縁のつながる人たちのためを考えれば、あなたを野放しにしないほうがいいこともわかっています。あなたが私を篭絡しようとすればするほど、その考えが加速することを理解してください」
「やめろ! その……! 丁寧な口調で嫌なことを言うのは……!」
ウルメアは障壁を手のひらで叩いてから、ぶんぶんと首を振って、ノクトの幻影を頭から振り払う。
これだけトラウマが残るような体験をしてなお、人に害する行為をやめられなかったウルメアだ。どんな誓いをして野に放ったところで、それを守るとは到底思えないハルカである。
思わずため息を吐くと、ウルメアが拳で床を叩いた。
「ため息を……つくな! いいから私を生かせ! 迷うな! 私は死んでいい存在じゃない!」
いくら言っても理解できない駄々っ子のようだった。
根本的に自分が他の全てより優先されるべきと考えているのだ。
「お前なら分かるだろ! ……お前も特別に強い。そうだ、認めてやる、お前は私よりも強いかもしれない」
捕まっているのだから、かもしれないも何もないのだが、素直に認めるのはプライドが許さないらしい。
「有象無象より自分の方が尊いのは当たり前だろう! 尊いものを喜ばせ、糧となり死ぬのは当たり前だろう!? わかるだろうが!」
「まったくわかりません」
「なんでだ! わかれ!」
なんでと言われても理解できないのだから仕方ない。
圧倒的に自己肯定感低く生きてきたハルカが、疑うことなく自己を肯定し続けてきたウルメアと分かり合えるはずなどなかった。
「お前は何でもできる! 誰でも従わせられる! もっと傲慢になれ! 強いものはそれでいいんだ!」
「私は従わせたいんじゃありません、偉くもなりたくありません。同じ目線で楽しんで、喜んで、初めて見るものに驚き、旅を終えた後に、待ってくれていた皆とそれを共有したいんです。悩んでも、苦しんでも、乗り越えて一緒に笑いたいんです」
「わからん!」
「……あなたにも仲のいい吸血鬼がいるでしょう?」
「そんなものはいない」
「大事にする家族とか……」
「【深紅の要塞】たちとお前の師匠に全員殺された」
もしかしてノクトも悪いんじゃないかとか、ほんの一瞬だけ思ってしまってから、ハルカはそれをすぐに振り払った。
「あのさ、その時点で君は圧倒的強者じゃないって分かったはずなのに、なんでまた悪さをしたわけ?」
音もなく歩いてきたイーストンに尋ねられて、ウルメアはぐっと黙り込んだ。
「……ハウツマン」
「一族の名前で呼ぶのやめてよ。いや、だからって君に名前を呼ばれたいわけじゃないけど」
イーストンはウルメアにすげない態度を取ってから、ハルカの隣に腰を下ろした。
「ハルカさん、余計に悩ませてごめん。さっきのこと気にしないでもいいよ。朝になれば僕がこいつを殺すから」
「は、は!? おい、ハウツマン!」
「……やめてって言ったよ。今すぐ死にたくなければ黙ってて」
「この……! 私が自由だったら……」
イーストンが無言で剣を抜くと、流石のウルメアも黙り込む。
「選択肢の一つとして、悪くないと思ってます。謝る必要はないですよ」
「……でもさ、気分のいい提案じゃなかったでしょ」
「まぁ……、人体実験、のようでしたから」
「……あれはさ、僕が小さなころから考えていたことなんだ」
剣を納めながらイーストンは話を続ける。
「僕が吸血鬼なら、死んだときには灰になってヴァンパイアルビーが出る。僕が人間ならばただその場に肉として残るってね」
「……あまり、考えたくない話ですね」
友人の死の場面を想像するのはあまり気分のいいことではない。
生々しい話は勝手にハルカの脳裏にその姿を思い浮かべさせた。
「うん、暗い話でごめん。島の人口のほぼすべては人だ。僕は父のことが嫌いなわけではなかったけれど、人になりたいって思っていたこともあったんだよ。皆と同じになりたいってね。結構真面目に色々調べて……、まあ十年もしたらどうでもよくなったんだけどさ。旅をしながらも、時折その頃のことを思い出して情報だけは集めてたんだ」
「それで、さっきの話ですか」
「そうだね。吸血鬼に治癒魔法使いはいない。だから過去にそれを試みた人なんていないはずだ。どうせ殺すのなら、もしかしたらハルカさんの悩みの解決に役に立つならって、いい言い訳が思いついちゃって、つい言葉にしちゃったんだ。……あの提案には僕の個人的な好奇心も含まれてる。だからあまり悩まなくていい」
そう言われても、聞いてしまった以上もう思考から外すことは難しい。
二人が黙っていると、ウルメアが口を挟んできた。
「ハウツマン、お前は半端ものなのか? 吸血鬼と人の子だと? そんな存在で私の前に偉そうに立っていたのか?」
短慮なウルメアの言葉に、イーストンは呆れたような馬鹿にしたような笑いを浮かべるだけだった。
ただそれは、ハルカの気持ちを逆なでするには十分な言葉だった。
「ウルメアさん、喋らないでください。不愉快です」
「はっ、ははっ! ハウツマンの家系は変人が多いと聞くが、これはまた飛び切りの、ははは!」
話している間に立ち上がったハルカは、手のひらを障壁にぺたりとつけて、座っているウルメアを見下ろす。
「やめるよう言っているのがわかりませんか?」
「はは、は……。なん……で、お前が怒っているんだ」
「…………本当に、分かり合うのが難しい相手のようですね」
長く細く、気持ちを外へ逃すように息を吐いたハルカは、ようやく黙ったウルメアを置いて、ゆっくりと元の位置まで戻って腰を下ろした。
「馬鹿の言うことなんて気にしてないよ」
「私が気になるんです! まったく……」
イーストンは珍しく言葉が強くなっているハルカに驚いてから、顔を逸らして少しだけ笑った。





