対策
怯えるウルメアごと地面に降り立ったハルカは、モンタナを背に乗せたまま、再び周囲に目を配る。
逃げてくるのがウルメア一人とは限らないのだ。
油断をして見逃してしまっては事である。
もちろんハルカはモンタナのように魔素を可視化できる目を持っていない。一緒に監視をすることに意味があるかと言われれば微妙なところだが、やらないよりはましだろうと、しっかりと気を張っていた。
しばらくそうしていると、ガタガタと震えていた女吸血鬼、ウルメアがいつの間にか顔を上げてじっとハルカのことを見ていた。
「お前、おい、そこのダークエルフの女」
「……なんですか」
吸血鬼が逃げ出すのならば、先ほどと同じく空からだろうと、ハルカは上空を見つめながら返事をした。
先ほどまでひどく怯えていたはずなのに、今度は妙に偉そうな声掛けである。
ウルメアは冷静になってしばらく、近くに【血塗悪夢】がいないことに気がついたのだ。
気が動転さえしていなければ、間違えるはずもない。目鼻立ちは似ていても、角もなければ尻尾は竜のものでないのだから。
「ここから出せ」
「できません」
「いいか、私には吸血鬼の仲間がまだ数十人いるのだ。お前らたった数人でなんとかできると思っているのか?」
「なんとかします」
何度声をかけても、ハルカが自分の方を向かないことを確認したウルメアは、血で作った棘をゆっくりと障壁にめり込ませていく。
この障壁、打撃を跳ね返すようにできているのだが、どうやら斬撃や刺突には弱そうなのだ。
自分が外に出られるほどの大穴を開ける必要はない。
わずかな隙間さえあれば、そこから血を介して魅了の魔法をかけることができる。
ウルメアは、吸血鬼の王たる血筋の自分を相手に、よそ見をし続けることの愚かさを思い知らせてやるつもりだった。
血の棘が障壁を穿つ。
ウルメアは本当ならば、この穴を広げ外へ飛び出して、こんな目に遭わせた奴ら全員をくびり殺してやりたかった。
しかし我慢をする。
魅了をかけて、あの【深紅の要塞】にぶつける駒にするつもりでいた。
血を霧に変え、少しずつ外へ流出させ、ハルカに一言声をかける。
魅了の魔法は目を合わせておいた方がより確実に効果を発揮するのだ。
「おい、女よ。お前の障壁は破れたぞ」
空を凝視していたハルカだったが、その言葉に思わず視線をウルメアへ向けた。
ウルメアは勝ちを確信した。
目が合った瞬間、血の霧を操作して、魅了の魔法を発動しようとする。
「ああ、本当ですね。……わざわざ教えてくれるのは、その、なんでしょう? 改心したのでしょうか」
「そんな訳ないです」
障壁の外へ忍ばせたはずの血の霧は、他の見えない壁によって阻まれていた。
ウルメアが混乱する中、ハルカがとぼけたことを言って、それをモンタナが否定する。
「じゃあ、えっと、直しておきますね」
「な、え?」
「やっぱり柔軟性を高めると、その分打撃以外には弱くなりますね……」
穴が空いたはずの障壁が、喋りながらの片手間で張り直される。
「自動で修復するようにできないです?」
「あー……、できるんでしょうか? 今は新しいものと交換するイメージなんですが……」
種明かしをすれば簡単だ。
ハルカは自分の魔法に特別な自信を持っているわけではない。
これまで幾度も障壁を突破されてきた。
場合に応じて適切な障壁を展開する。
これが理想であるのを分かった上で、どうしてもしくじってはいけない時のため、ハルカは別の方法を選択していたのだ。
すなわち、違う性質の障壁を何枚も重ねて使用する。
リソースの限界が見えないからこそできる、ハルカならではの出鱈目な対策だった。
ノクトには「それでもいいですけどぉ、ちゃんと訓練もしないとダメですよぉ」と呆れながら注意をされている。
今回破られたことで改めて、相手の手札を判断して適切な障壁を張れるようにならねばと思うハルカである。
一方で無駄にハルカに警戒心を与えただけになったウルメアは、障壁が重ねて張られている可能性に気がつき、確認のために障壁を思い切り殴りつけた。
障壁が伸縮する感触。そして伸びたところで硬い壁にぶつかった感触。
一番手前にあるような柔らかい障壁ならばともかく、固い障壁は衝撃を与えないと破壊することができない。
すなわち、静かに脱出することが非常に困難であるということだ。
二重に張られているということは、もっとたくさん張られている可能性もあるということだ。
ウルメアはそこで考えを切り替える。
通常の魔法使いであれば、一人で魔法を維持し続けるのは非常に困難なことだ。
それも性質の違う障壁を二つ、先ほど空を飛んだことも考えれば三つ同時に発動させているのだから、そこに割いているリソースは膨大だ。
そうと決まればまずは相手を消耗させる必要がある。
ウルメアは血で作った棘と、その圧倒的な膂力を用いて、障壁の中で暴れた。一息に突破できなくてもいい、捕まえていられないくらいに消耗させるのが目的なのだ。
突然暴れ出したウルメアに驚いたハルカが取った対策は、障壁の空間を縮めることだった。
「きゃああああ、やめろ! やめろって言ってるだろ!」
一気に動ける空間が狭まったことで、ウルメアは再び混乱して叫んだ。
その昔捕まった一族が、ぐしゃぐしゃに縮められて、一つの塊のようにされて呻いていた光景を思い出してしまったのだ。
「そう言われましても……」
ハルカとしてはそんなに残酷なことをしたつもりはない。攻撃のための余白を縮めて、暴れることを防ごうと思っただけなのだ。
「もう暴れないからこれはやめろ! やめて! やめてください!!」
涙ながらの訴えを受けて、ハルカはそっと障壁の箱の広さを元の大きさへ戻す。
まるで自分が酷い悪者になったような気持ちで、ほんのちょびっと心が痛むハルカであった。





