記憶に宿る悪夢
ウルメアはかつての戦乱の時代を思い出す。
ディセント王国の貴族の力が今よりも強く、各地で好き勝手やっていた時代だ。
ウルメアの一族は、北方大陸南部に領地を持っていた貴族を魅了し、享楽的な日々を過ごしていた。
言うなればエトニア王国の前身のようなことをしていたわけである。
冒険者達との戦いは、生活を維持するために積極的に参加した。
その恵まれた能力を使って、一族で幾人もの冒険者を殺してきた。
しかしある日セルド一族は、妙な冒険者と会敵し、蹴散らされ、敗走することになった。
笑いながら二振りの大剣を振り回す飢えた狼のような剣士。
ほとんどの攻撃をはじき返しながら戦場を疾駆する竜騎士。
味方を巻き込んで、見たことのない大規模魔法を展開するエルフの魔法使い。
戦場を縦横無尽に跳ねまわり、目にもとまらぬ速度で無手の打撃を繰り出す獣人。
まさかの夜の戦闘で敗れた一族が、空を飛び、這う這うの体で自領へ戻ったところに待っていたのが、角と尻尾を生やした子供のような獣人だった。
そこから先のことは思い出したくもない。
未熟だったお陰で帰りが僅かに遅れたウルメアが見たものは、一族全員が障壁の魔法に捕らわれた姿だった。
獣人が気味の悪い笑みを浮かべていたので、ウルメアが急襲をほんの少しだけ躊躇った間に、もう一人の吸血鬼がその獣人に奇襲を仕掛けた。
完璧な不意打ちに回避が間に合わずに、獣人の腕が飛び、そしてその吸血鬼は他と同じように障壁の檻に捕まった。
今がチャンスだ、そう思い影から飛び出そうとしたウルメアは、いつの間にか腕が元に戻って、先ほどと同じように薄笑いを浮かべた獣人の姿を見た。
背の小さな、威圧感などまるで無いはずのその獣人を前に、ウルメアの足はなぜかすくんでしまい何もできなくなっていた。
やがてそのまま朝が訪れる。
ウルメアの一族の主戦力は、確かに討ち取られた後ではあった。
それでも、数百年生きた吸血鬼の集団だ。
それが、誰一人として朝になるまで障壁から抜け出せなかった。
障壁が、段々と狭くなる。
蝙蝠になることのできない吸血鬼たちは、その中で徐々に圧縮されていく。
吸血鬼は、日の当たる場所で再生をすることができない。
当然怪我をするし、そうなれば痛みも感じる。
阿鼻叫喚の恐ろしい光景だった。
長い時間をかけて、そっと影から近寄ったウルメアは、耳を塞ぎたくなるような悲鳴の中、その薄ら笑いの獣人の言葉をはっきりと聞き取った。
「へぇ、吸血鬼にも血が通ってるんですね。どれくらい絞れるんでしょう。治したらたくさん絞れそうですが……」
そうして獣人は、ふへ、と変な声で笑う。
「ああ、そうだ。これと、他に貴族を数人持って王都まで行きましょう。……何をしたか思い知らせないといけませんからね」
ウルメアは逃げ出した。
その場にとどまることすら難しかった。
獣人の張り付けたような薄ら笑いに宿った感情は、激しい怒りだった。
まったくもって許す気がないのがはっきりと分かった。
できるだけ苦しめようという悪意を感じた。
心当たりがあった。
逃げ出すしかなかった。
それからしばらくの間人を見ることにすら恐怖を感じていたウルメアだったが、ある日仕方なく人を殺す機会が巡ってきて、あれが特殊事例であることを悟った。
あのわけのわからないやつらにさえ会わなければいい。
どうせ人なんてあと数十年も待てば年をくって今より弱くなるのだ。
大丈夫、問題ない。
細かに悪行を重ねながら、ウルメアは数十年身を隠した。
吸血鬼の王が現れたと聞いて、生意気なと思いつつ合流した。
まだ奴らが健在かもしれないという考えはあったが、いざという時は、王と名乗る嘘つきをおとりにして逃げるつもりだった。
実際に出会ってみれば、相応の強者であったから、これは案外うまくいくのではないかと、交流を深めた。
帰ってきた享楽的な生活は、ウルメアの気持ちを段々と大きくしていった。
そんな中にあっても、ウルメアは一つだけ心の奥底に決めていたことがある。
あの五人のうちの誰か、特に最後の一人に出会うようなことがあったら、わき目もふらずに逃げ出そうと。
プライドはある。
しかしプライドよりも大事なものがある。
それは自らが生きることである。
空を飛んでいたウルメアは、唐突に見えない壁にぶつかって、慌てて方向転換をした。
当時の光景がフラッシュバックする。
どの方向に進もうとしても壁がある。
慌てて人型に戻ったウルメアは、周りの観察をすることもなく、壁に向かって血液で作った棘や拳を全力でぶつけた。
壁が軋んだ気がした。
さらに攻撃を、と思ったところで目の前にふわりと人影が浮かび上がってきた。
銀色の髪をしたダークエルフ。
「逃げてきたのはこの人だけですか?」
嫌なシチュエーションだった。
障壁の魔法に囲まれている状態は、当時の一族の光景を思い起こさせる。
しかし相手はあの【血塗悪夢】ではない。
あんな規格外の存在は滅多にいない。
冷静に攻撃を続ければ抜け出せるはずだと、ウルメアは相手を無視したまま攻撃を続ける。
「だけです」
「きゃあああああああ!」
ひょっこりと背中から出てきた顔にウルメアは頭を抱えてその場に座り込んだ。
顏のパーツと、頭から何かが生えているのを見た瞬間、その獣人、モンタナが【血塗悪夢】に見えたのだ。
「……人の顔を見るなり失礼です」
ガタガタと震えているウルメアを見ながら、モンタナはムスッとした顔でつぶやくのであった。





