現実的な思考
拠点から少し離れた開けた土地に、コリンが弓を練習するための場所がある。
すとん、すとん、と気持ちよく矢が刺さる音が響くのを見ているのは、ナギとハルカ、そしてエニシだ。
今日のユーリはナディムと一緒に過ごしている。
「てっきりコリンは格闘家だとばかり思っていたが……、弓も相当な腕だな」
「はじめ出会った頃は弓ばかり使っていましたよ。元々器用なんでしょうね、コリンって」
ハルカの記憶によればコリンには師匠が二人いる。
一人は【壊し屋】の異名を持つ、酒飲みの老人、ゴンザブロー。
もう一人は弓の達人のエルフだとか。
よくもまあ幼い身に、それだけ技術をたたき込んだものである。
コリンと無手で戦うと、ハルカはいまだにうまいこといなされて終わることばかりだ。コリンにしてみれば一撃が大けがになり得る攻撃ばかりなのだから、いなさなければ大変なことになるのでいい訓練になっているようだけれど。
アルベルトのようにがむしゃらでもないし、モンタナのように変わった訓練をするでもないけれど、コリンは淡々と、その日に必要な訓練をこなしていく。そうして毎日積み重ねる姿は、コリンの性格によくあっているようだった。
ナギの目はそんなコリンが放つ矢を左から右へずっと追いかけている。
何が楽しいのかはわからないけれど、かわいらしいなと思ったハルカは、その鼻の頭をすりすりとしばらく撫でてやった。
「なぁ、ハルカよ、少しだけ話を聞いてもらえるか」
「……なんでしょう?」
ナギに倣って規則的に射られる矢を追いかけていたハルカは、的にそれが刺さったのを見送ってから、エニシの方を向いて答えた。
「うん、他には話さないのでほしいのだがな……、ここでしばらく暮らしているとな、たまに、こうしてずっとぼんやりと生きていたくなるのだ。我はそれがもどかしくて、何かせねばと気が急いてしまう」
難しい話だった。
この世界に来てからこそ、人と本心からぶつかり合うようになったが、それまでのハルカは、ただ漫然と、人の表面だけをさらりと撫でるような人付き合いばかりしてきた。
四十年以上生きてきても、人付き合いの経験においてはまだよちよち歩きをようやく卒業した程度だ。
しばらく悩んだ末に返した答えは、悩みを解決するようなものではなかった。
「エニシさんは、本当は何がしたいんでしょうか」
「それは……、国の人々がもっと安寧に暮らせるようにしたいのだ」
「それは自分の中にある気持ちの、どれくらいそう思っているんでしょう?」
「どれくらい……、それは全部……、いや、八割…………。……その、分からなくなってきた」
「それでしたら、その、少し休んでもいいんじゃないでしょうか」
「のんびりしている暇は……」
エニシが俯いて首を振ったところで、ブツッという弾けるような音と同時に、コリンが「いたっ」と声を上げた。
ハルカが慌てて駆けつけると、弦の切れた弓を持ったコリンが手のひらから血を流している。
「治します」
ハルカはすぐに治癒魔法を使って怪我を治す。
「いやー……、やっぱ弓に魔素を纏わせるのって難しいんだよねー……」
「怪我は……、治りましたね。そんなに違いますか?」
手のひらをしっかり確認してから尋ねると、コリンは肩をすくめて頷いた。
「うん、弓自体を強化して、威力を上げるのはできるようになったんだよね。でもさ、結局矢の方にコーティングできないと、鏃が使い切りになっちゃうし、吸血鬼には効かないと思うんだー」
「ああ、矢は体から離れますものね。そうすると魔素を纏わせ続けるのが難しいってことですか」
「そうそう、多分これって魔法を使うのに近い感覚なんじゃないかな。魔素を飛ばすってことでしょ? ハルカなんかコツとかないー?」
ハルカはうーんと人差し指で頬をかきながら空を仰ぐ。
感覚で魔法を使っているハルカに尋ねても、大体あまりよいアドバイスは返ってこない。しばらくしても答えは沈黙だけだった。
「エルフのさー、エイビスさんっていたじゃない。あの人なら分かるような気がするんだけど、ちょっと遠いしなぁ。あとはもう、師匠探すしかないよね」
「すみません、力になれず」
「いいのいいの、ちょっと考えてただけだから。あ、あとさー、皆には秘密だけどさ、ちょっとこれ見てよ」
弓をしまったコリンは、拳を軽く握って格闘の構えをとる。
ハルカが注目していると、拳に装備された手甲が薄ぼんやりと橙色のもやに覆われる。
それは最近カナが見せた、陽の力を宿した纏いと同じ色をしていた。
「コリン、すごいじゃないですか!」
「ふっふっふー、三人には秘密ね、悔しがって無茶しそうだから」
得意げに笑ってみせたコリンは、的へ歩きながら話を続ける。
「んでもさー、私って打撃が得意なわけじゃないし、これができたからって吸血鬼に有効打を与えられるかっていうと、微妙なんだよねー」
確かにコリンは打撃よりも投げたり捻ったりという技を好む。
破壊した部分の再生能力を阻害するというのであれば、あまり吸血鬼に効果的とは言えないだろう。
「ま、いいや。そんで、二人は何の話してたの?」
ぷつぷつと矢を引き抜きながら、コリンはエニシにも聞こえるように尋ねる。
「我が相談に乗ってもらっていたのだ」
「何の?」
「……何もせずいるのが居心地が良いと。それで気持ちがどんどん気が急いてしまうと、そんな話をしていた」
「ふーん」
矢を回収し終えたコリンは、腰に手を当ててエニシの前に立つ。
コリンも童顔だが、二人が向き合うと、コリンの方が少し大人に見える。
「でもさー、戻ったってすぐ何かできるわけじゃなくない?」
「い、いや、我が運命をきちんと見られるとなれば、また以前のように……」
「こんなこと言ったら悪いけど、一度失った信頼って取り戻すの難しいし、前と同じにはならないよ」
エニシはぐっと変な声を出して押し黙った。
「エニシさんが悪いんじゃないのはわかってるし、責めるわけじゃないよ? でもさー、現実的に考えてよ。原因を把握して問題を解決して、国に戻ったとしてだよ? エニシさんが迎え入れられると本当に思ってる?」
「……協力してくれた巫女たちは、我を待っていると」
「エニシさんの味方が受け入れてくれたからって、周りはどう? 運命を視るってさ、すごく人の心に干渉する力でしょ。それが一度裏切られた……っていうと言葉が強いけど……、外れちゃったわけじゃん。どれだけの人がもう一度信じてくれるの?」
「それは……、それは、でも……」
エニシは返す言葉を考えるが、咄嗟にそれが出てこない。
出てこない時点で、相手の言葉を肯定してしまっているようなものなのだが、それでも意味のない接続詞を口にしながらエニシは迷い続ける。
見た目通りの小さな子供のようになってしまったエニシに、コリンは少しだけ居心地悪そうに、毛羽立ってしまった矢羽根をいじった。





