元気になぁれ
「とはいえ、どちらにしても彼は学園に通っていたわけですから。そこで身分を偽るというのは難しいように思えますけど」
オラクル総合学園は各国からの貴族子女が集まっているはずだ。入学の際に身分を偽ることは難しいように思う。そんなことが簡単にできてしまったら、学園はおろか、神聖国の評判まで下がりかねない。入念な確認は行なっているはずだ。
「そっか、でもじゃあなんであんな感じなの?」
「それはー……、本人に聞いてみたほうがいいんじゃないでしょうか?」
ハルカも聞いたところで誤魔化すことなく答えてくれるとは思っていないが、ここで推測したところで答えが出るとは思えなかった。ヴィスタにいる間ならともかく、ここでは彼について知っている人がいないのだから調べようもない。
そんなことを話していると、注文していた食事が来る。
「私が起こしてきます」
ハルカは立ち上がって、ギーツの部屋へ向かう。
部屋の前に来てノックをするも返事がない。
「ギーツさん、食事をしましょう」
声をかけても何も反応がなかったので、悪いと思いながらも扉を開ける。
ギーツはベッドにうつぶせになってすっかり眠ってしまっていた。よっぽど疲れていたのだろう、荷物も投げ出して、靴は脱ぎ散らかしてそのままだ。
このまま寝かせておいたあげたい気持ちもあったが、食事の準備ができたら起こす約束だった。
そのまま部屋に上がり込んで、ベッドサイドに歩いていく。近くまで来てもまるで目を覚ます様子がない。仮にも貴人だろうにこんなに無防備で大丈夫なのだろうかと思う。
「ギーツさん、ご飯の準備ができましたよ」
体をゆすると、小さくうめいて、ぎこちない動作で膝を立てベッドの端に座った。疲労だけでなく、身体の節々も痛めているようで、動くのが酷くゆっくりだ。
「よし、わかった、行こう。いっ!」
立ち上がって靴を履いた途端に、そのまま動かなくなる。
「どうしました?」
「足の皮が、ちょっとな。大丈夫、大丈夫だ」
涙目になって歩き出そうとするギーツを見て、ハルカは一つ提案をする。
「あのー…、治癒魔法、使ったことないですが試してみましょうか?」
「……使えるのなら、ぜひお願いしたい」
「上手くいくかわかりませんよ」
「気休め程度でも構わん」
レオから詠唱は聞いていたが、まだ実際試したことはない。
治癒魔法も練度によって効果はだいぶ異なってくる。
ほんの少し疲労を取り除くものもあれば、手術が必要になるようなひどいケガを治してしまうようなものもある。また、その程度によっては一度唱えただけで、魔素酔いが起こり、頭痛で他の魔法が使えなくなる。戦闘時などに使用する際は注意が必要だとのことだった。
「治癒、包み、温み、作れ、戻せ、癒せ、彼の肉体を。ヒーリング」
「……お、お、お、おおお?」
ギーツが目をぱちぱちさせて、恐る恐るその場で足踏みをして、嬉しそうに笑う。ハルカの後ろからとととと、と小さな足音が聞こえて、モンタナが部屋の中を覗き込んだ。変な声が聞こえて駆けてきたらしい。
「な、なんだこれは、治癒魔法をこれほどに……、いやそんなことより、大丈夫なのか、こんな大規模な魔法を使って! 魔素酔いは、頭痛は?!」
「あ、いえ、とくには何も。良くなりましたか?」
「よくなったどころではない! 今朝より調子がいいくらいだ! どうしたことだ……、君は、いや、あなたは……、なんなんだ?」
「なんなんだと言われましても……、ご存知の通りとしか……」
「そんなはずがない! 私はこれでも学園で魔法学を専攻していたのだ、こんな、こんな癒え方をする魔法を使える者など、学園にすらいるのかわからない!」
「いえ、あの、落ち着いていただけませんか」
興奮した様子でハルカに詰め寄って、肩を掴んだギーツはそうまくしたてる。ハルカは肩を押しやりながら、顔をそらして、できるだけ顔を離すようにする。ソーシャルディスタンス、という言葉が頭をよぎった。
「はっ、す、すまない、興奮してしまった……。失礼だった……でしたね。とにかく体がすっかり癒えました、感謝いたします」
「そ、それは良かったですね、食事をしましょう」
少し距離を取って丁寧な態度で頭を下げたギーツに、気味の悪さを感じながら、ハルカは足早に歩いてモンタナのそばへ行く。モンタナはその間ずーっと、真顔でギーツを見つめ続けていた。
「だいじょぶですか?」
ハルカがくると、モンタナは見上げて声をかける。
心配してくれていたらしい。
「ええ、まぁ……。ありがとうございます」
別に何をされたわけではないので大丈夫であったが、心配してくれたのは嬉しく思い、ハルカはモンタナの頭をなでて、耳をくすぐった。
モンタナは、ぴぴっと耳を動かし、尻尾をハルカの足にぺしぺしとぶつける。これがどういう感情なのかわからないが、モンタナの機嫌が悪そうには見えないので、ハルカはそれでよしとする。
「それでは食事に参りましょう、お待たせして申し訳ありませんでした」
いつの間にか横に来ていたギーツが、やけに丁寧にハルカに語り掛け笑顔を見せる。
辛そうなのを治してあげられたから、それの感謝を態度で示していると思えば、そう変なものでもないのかもしれない。これで少しはこちらの話を聞いてくれるようになるといいのだけれど、とハルカはこっそりギーツの横顔を窺った。
食事に合流したギーツの様子を見て、アルベルトとコリンが怪訝そうな表情を浮かべる。ほんの少しだけの休憩でそこまで元気になるなんて不自然だ。
コリンがハルカの隣に座り、小さな声で尋ねる。
「なんであいつあんなに元気なの?」
「試しに治癒魔法使ったら、元気になりました」
「あー……」
それでかー、とコリンはギーツの方を見る。
「治癒魔法ってすごいのねー……」
「ホントですねぇ……」
ギーツはすっかり元気になって、ご機嫌な様子で食事を始めている。
「しっかり食べて、しっかり休んで、明日も頑張ろうではないか!」
「お前がさっき飯食わないで寝ようとしてたんだろ」
「こらこら、依頼主で年上の私に向かってお前はなかろう?」
「なんで復活してんだよこいつ、うぜえな……」
最初の頃のうざさが復活したギーツに絡まれるアルベルトを眺めながら、その矛先が自分の所へ来ないように、三人は静かに食事をすすめるのだった。