かつて憧れた英雄
訓練場で木剣を持ったアルベルトが、じりりと距離を詰める。
大剣を模したそれのリーチは、通常の武器よりもかなり長いはずだが、それをもってしても安易に打ち込めずに手をこまねいている状況だ。
それもそのはず、何かアクションを起こそうとするたびに、カナの手に持った棒の先端がビタリとその起こりをけん制してくるからだ。棒のリーチはアルベルトの持っている大剣よりもさらに長い。
しかもそれを両手に持っている。
左手の槍で牽制し、攻撃をいなされ、その間に右手の槍から突きや払いが飛んでくる。実戦だったらすでに相当の痛手をもらっているはずだ。
散々いろんなことを試した挙句に、手詰まりで膠着状態になっているのが今である。
「だめだ、降参だ」
「……若いのに皆手練れだなぁ」
「それねぇ、あなたじゃなかったら嫌味に思われますけどねぇ」
カナが感嘆して漏らした言葉に、ノクトがぽつりと独り言のように突っ込みを入れたのがハルカには聞こえた。
「この年齢でこの実力……、イェット達といい勝負だ。まだまだ伸び盛りだし、末恐ろしいよ」
「……全然だめだ……、ちょっとも本気出してもらった気がしねぇ……」
「うーん、本気でやっていたよ」
「なんでこっちが動く前に全部わかるんだよ……」
「視線とか、体の力を入れた部分とかでなんとなく……。今はこうしようって決めてから動くまでに少しだけ時間差があるのだけど、それが縮まるとだんだん対応が難しくなるかな」
何も特殊な力を使ったわけではない。
カナはちゃんと、見てから判断して制していたわけだ。
後の先、とでもいうのだろうか。
手合わせを願ったアルベルトたちに「あまり期待をしないでください」と言っていたのは何だったのか。くじ引きで順番を決めたアルベルト・レジーナ・モンタナは、その圧倒的な実力の差を見せつけられる結果に終わった。
特にモンタナなんかは、相手の動きが見えすぎるせいで、逆に何をしても対応されるのがわかってしまって、動き出そうとする度にそれを取りやめ、結局ほぼ身動きできないまま諦めた形だ。
すっかり耳と尻尾が垂れてしまっている。
無理やりがりがりと攻め込んだレジーナが一番健闘しただろう。
一撃だけ攻撃が当たったように見えたけれど、どんな身体強化をしているのか、体をわずかに傾けることで綺麗に受け流されて、ダメージは一切入っていなさそうだった。
その上無理に当てにいったせいで、レジーナはその一撃と交換に眉間に手痛い一撃を食らって体をのけぞらせることになっている。
身体強化してなお、眉間からわずかに出血しているレジーナは、未だにしかめっ面でハルカからの治療を拒んでいる。相当悔しかったらしく、ぎりぎりと歯を食いしばる音が少し離れていても聞こえてきていた。
「カナさんみたいなタイプは、ああしてがむしゃらに向かっていくしかないんですよ。臆すれば窮する、とでも言いましょうか。手が打てないと思った時点で負けなんです。モンタナは、少しばかり目が良すぎますねぇ。全部を試すつもりでかかっていけば、突破口は見つけられたかもしれませんよ?」
「…………そですね」
モンタナはちらりと上目遣いでノクトを見た後、ぐぐぐっとまた俯いて、それから顔を上げてちゃんと返事をした。
慰めるべきか、そっとしておくべきか悩んでハルカが手をさまよわせていると、モンタナはそこに向かって頭を向けてぐりぐりと押しつけ「頑張るです」と自分に気合を入れた。
そこへゆったりと歩いてきたカナが真面目な顔で口を開いた。
「ノクトが注意するってことは、君の伸びしろがまだまだあるってことだ。言葉だけで十分に伸びると、ノクトが判断するくらいには。きっと数年後にはもっといい勝負ができているはずだよ。私は戦闘が好きなわけじゃないけれど、君たちとはまた手合わせしてみたいと思ったくらいだ」
「まぁ、カナさんだってまだまだ本気じゃないですけどねぇ」
「真面目にやったよ」
「真面目にやってはいましたが」
「ノクト」
いたずらを注意するように名前を呼んだカナだったが、その顔は困り顔だ。
そんな二人の見つめ合いを、アルベルトの言葉が遮る。
「四本槍を使う、地竜に乗った騎兵。俺の知ってる冒険者の物語で出てきた【深紅の要塞】の戦い方だ。爺から聞いたとき、なんか聞いた事あんなって思ったんだよ」
「『突貫。竜を駆った女騎士が前線へ飛び出すと、槍が躍り戦場に血の華が咲いた。返り血で真っ赤に染まったその姿は、何人にも侵されることのない、正に【深紅の要塞】と形容すべき姿だった。彼女の前に敵はなく、彼女の後ろに道ができた』」
「かっこいいよなぁ……。俺、竜に乗ってるカナさんとも手合わせしてみてぇんだけど……、駄目か?」
コリンがややすり切れた本を片手にその一文を読み上げ、アルベルトが目を輝かせながら尋ねる。負けたばかりなのに心は全然折れていないらしい。
ずいぶんと堅苦しい文章だけれど、小さな子供がその姿を想像し憧れるのも無理のない、華々しい英雄の描写であった。
「な、な、な、なんだ、それ……?」
顔を真っ赤に染めたカナは、言葉を詰まらせながら本を指さした。
怒っているのではない、酷く恥ずかしがっているのだ。
とてもじゃないが、アルベルトの提案に答える余裕はなさそうだ。
「知らないんですかぁ? 冒険者たちの間では結構流行りましたけどねぇ」
「知らない、知らないぞ、私は!」
カナはノクトの方を見て、首をぶんぶんと横に振った。
「カナさんの周りは、カナさんが嫌がりそうなことする人いませんからねぇ。こっそり回し読んでたんじゃないですか? そもそもねぇ、あなたが請われたときに律義に戦いの話をしてあげるから、こんな本ができたんですよ? 他の面々は無視して相手にしなかったのに」
「うわぁ……、なんか、うう……、戦場の話を、経過を語ったことは何度もあるが……、そんな本になっていたのか……。なんで誰も教えてくれないんだ……」
両手で顔を覆ったカナは「うぅう」と声を漏らす。
ノクトはふへへと笑い、ハルカ達はぽかんとそれを眺めた。
そしてユーリは思う。
この英雄さんは、ママと同じタイプの人だなぁと。





