万全ならば?
「前から思っていたことだが、大陸の街というのは小さくみっちりとまとまっているな」
見えてきてからあっという間に遠ざかる〈オランズ〉の街を、エニシは目と首をゆっくりと動かして追いかけながら呟く。
先日こっそりと体を治してやってからは、元気になる、というより、以前より落ち着きが見えてきたエニシである。
それを見てハルカ達が感じたことは、本当にエニシが限界ギリギリのところで交渉をしていたのだなということだった。今は、もう少し大人な交渉ができそうな雰囲気がある。
エニシは背が低く、しみ一つない滑らかな肌を持っているので、一見して幼く見える。しかし、透き通って落ち着いた声や切れ長な瞳は、成熟した雰囲気を醸し出していた。
そのアンバランスさは、見る者に違和感ではなく、神々しさを与えることもあるだろう。なるほどこれで運命を語っていたのならば信仰するものが現れても納得できる。
アルベルトなんかはちょっと雰囲気が変わったことに首をひねっていることもあった。
「【神龍国朧】では違いますか?」
「違う。肝心な城やなんかは囲われているけれども、そこ以外は簡単な柵を立てる程度だ。なんせ【神龍国朧】の民の多くは、農民であり兵士だ。奴らは何か不測の事態が起きれば、まずは先頭に立って戦う。土地を守る気概がある。我らの国では身分が尊いものから順に士農工商、とする考え方がある。国を守る者、国を守り耕し維持する者、維持するための物を生み出す者、そしてそれらを円滑に回す者だ」
あれだけ戦の絶えない酷い国だと言っていた自国でも、そこに誇りはあるらしい。
エニシは農民たちのことを語る時に少しばかり胸を張ってみせた。
しかし横で聞いていて黙っていなかったのはコリンだ。
「ちょっと待ってよ、商人が一番下なの?」
「商人は何も生み出さぬとされているからなぁ……。いやいや、金を操作することで争いを生み出すことはあるし、他にも」
やれやれと言わんばかりの発言に、カチンときたコリンが口を挟む。
「言ってくれるよねー。商人はね、人の暮らしを快適にするの。人に楽しいものや希望を与えるの。商人が何も生み出さないって言っているのは、そっちの国の土台がぐらぐらで安定してないからでしょ」
「な、なんだ、急に怒りだして……」
「怒ってないけどー?」
ぷいっと顔を逸らしたコリンを見て、エニシは「怒っているじゃないか……」と呟いて続ける。
「我は別に商人を貶めているわけではない。そう考えられているという話で……、どちらかといえば我も商人に近い立ち位置だ。能力を切り売りして、世の信用を得ていたのだから、形ないものを扱っていたのだと考えればよりたちが悪い。神龍島のコトホギ一族は身分の範疇外にいるが、その根本を辿ればただ竜の贄として捧げられただけの存在だ。当然ながら蔑むものもいる」
〈オランズ〉の街が遠ざかり、眼下の景色が緑一色に変わった。
景色を楽しんでいたエニシだったが、外を見るのをやめてコリンと向き合って話し続ける。
「我らはこっそり商人と手を取り、各地の情報を集めていたのだ。この繋がりは我らにとって生命線とも言えるものだ。今回の件で随分と迷惑をかけてしまったであろうから、戻って再び手を取ってくれるかわからぬが……。少なくとも我は、商人の力というものを見縊ってはいない。誤解を与えたのであれば申し訳なかった」
ぶれること一切なく、綺麗に頭を下げたエニシに、今度はコリンが慌てた。
「その……、私の方こそ途中で口を挟んでごめんなさい……」
コリンが謝る珍しい光景にハルカは目を丸くする。
落ち着いてしまえば一筋縄ではいかなそうなエニシに、いつの間にか言いくるめられたりしていないかとちょっとだけ不安になったりもするハルカである。
そんな一幕を挟みながら、ハルカ達はようやく拠点へ戻ってくる。雨が降っている上にちょうど夕食時だったためか、珍しく迎えが少ない。出てきたのは気配を察知したレジーナとタゴスだけだった。
ちなみにノクトは気づいているのに呑気に屋根の下で過ごしている。
しとしとと降る雨は、ほんの少しだけ体を冷やすけれど、風邪をひくほどに寒い季節ではない。外套を羽織ってフードをかぶってしまえばそれで十分にしのげるだろう。
「ここがお主らの拠点……。広いのに建物が少ないな。開拓中といったところか」
「ええ、その通りです。外からくる人は少ないですから、のんびり過ごすのには良い場所だと思います」
「……しかし、上から見る限りナギほどの大きさではないけれど、かなり大きな竜がたくさんいたぞ?」
「はい、みんないい子ですよ」
「あと、その、さっきから我のことすごく見てる者がいて、怖いのだが。片手に鬼のような金棒を持っているし……」
外套をかぶったレジーナである。
エニシよりはほんの少し背が高いレジーナは、片手にいつもの金棒を持って臨戦態勢なのは、知らない顔が一緒にやって来たからだろう。
隣にいるタゴスも何か言いたげにちらりとその金棒を見たけれど、ぎろっと睨み返されて顔を逸らした。上下関係が構築されてしまっている。
「ああ、大丈夫ですよ。レジーナ、こちら【神龍国朧】からいらっしゃった巫女さんだそうですよ。運命を視ることができるんですって」
「ハルカ!? それ、秘密情報なんだけど!?」
「いえ、でも、レジーナは仲間なので」
「しかしその、こんな感じの……ひえ」
明らかに戦闘民族みたいな面をしたレジーナが、ずんずんと何のためらいもなく距離を詰めてきたので、エニシは悲鳴を上げて体を硬直させた。
首をわずかに傾けて緊張するエニシの顔を覗き込むレジーナの姿は、そのままガンを飛ばしている不良だ。
「名前なんだよ」
「え、エニシ……」
「レジーナだ」
ふんっ、と鼻を鳴らしたレジーナが肩に金棒を担ぐと、エニシはまた「ひえっ」と言って体をすくめる。しかしレジーナはそのまま回れ右して、建物がある方へ戻りながら「飯食ってくる」と言うのだった。
「はい、ちょっとしたら私たちも行きますので」
「……おう。おい、タゴス、行くぞ」
「いや、俺はまだ――」
「あ?」
「いや、お前が挨拶しに行くって言ったんだろうが! すごんだって俺様はまだ挨拶してねぇから行かねぇんだよ!」
レジーナが大きな舌打ちをして歩きだすと、タゴスはタゴスでぶつくさと文句を言う。
「ったくあいつ、勝手ばっかり言いやがって、次こそぶっ飛ばしてやる」
どうやら随分と仲は良いようだった。
レジーナのお陰で分かったことが一つだけある。
多分このエニシという人は、直接的な暴力の雰囲気にはあまり強くないようだと。





