お勉強の旅
シュートがテロドスの乗った馬の手綱を引いて歩く。
テロドスが寡黙な方であるから、旅の間はもっぱらシュートから声をかけることが多かったのだが、今は不満げな表情を隠そうともせず黙り込んでいる。
ぽっかりと森の中に広がった〈忘れ人の墓場〉、つまり拠点付近から離れると、すぐにうっそうとした森が広がりを見せる。足元の草は申し訳程度に刈り取られているが、とても道とも呼べぬようなありさまだ。
シュートはとにかく不満だった。
オラクル教は、この世界の人が住んでいるほとんどの街に支部を持つほどの大きな組織だ。教皇ともなれば、どんな強国のトップ相手でも対等以上に話をすることができる権力者。
シュートの父は枢機卿の右腕をしている。他国で例えるのならば、大臣や将軍クラスに相当する身分を持っているのだ。シュートは今でこそ大した身分ではないが、いずれはそのあとを継ぐ気でいる。
そして神殿騎士の席持ちといえば、シュートの父と同じくらいの身分に相当する。
シュートは今回の旅に期待していたのだ。
自分の能力が見抜かれて、すごい身分に抜擢されるのではないかと、気合を入れて臨んだ旅だったのだ。
こんな街の体すらなしていない場所に住んでいる野蛮な冒険者なんかに、馬鹿にされていい存在ではないという自負があった。
なぜテロドスが自分を蔑ろにするのかわからなかった。
神殿騎士第三席ともあろうものが、まるで冒険者に慮っているようで悔しかった。
【鉄心】などと呼ばれているが、実はただの臆病者なんじゃないか、なんてことまで思ったくらいだ。
しかしシュートは身をもってテロドスの強さを知っている。
【神聖国レジオン】を出てからここに至るまでに、シュートはその強さに何度も命を助けられている。
魔物はテロドスが気負いもなく振り回したメイスに叩き潰され、襲ってきた十数人の野盗は誰一人として生きて帰ることがなかった。
圧倒的な力。
想像しえない強さ。
シュートは〈オランズ〉に至るまでの間に、すっかりその強さに憧れてしまっていたのだ。頭の回転が速く有能な文官である父のように、ではなく、テロドスのように強くなれたらどんなに素晴らしいだろうと思ってしまっていたのだ。
だからこそ悔しい。
だからこそテロドスの心の弱さを疑ってしまう。
しかし、それが事実でないだろうということを、シュートはなんとなくわかっていた。
「シュート」
「……なんですか」
シュートは二十歳も過ぎたというのに、拗ねたような声で返事をする。
それから、珍しくテロドスから話しかけられたことに気が付き、驚いて顔を上げた。
そんなシュートの態度を見ても、テロドスは淡々と話を続ける。
「足元を見てみろ。どう思う」
「……草が生えていて歩きづらいです」
何を当たり前のことを聞いてくるのだと思いつつ、感想を述べると、テロドスは一度空を仰いだ。すでに顔を覆い隠す兜を付けているので、その表情はうかがい知れない。
「……その草を見てどう思う」
何かを伝えようとしていることだけがわかり、シュートは眉を顰めて十秒ほど悩み答える。
「……高さが揃っています」
「他には?」
「…………鋭利な何かで切り落とされています」
「なんだと思う」
「……刃物でしょうか?」
「数十分歩き続けたこの距離を、横幅と高さを一定に保ったまま刃物で刈り取ったと? 何のために?」
そんなことをする奴は馬鹿だ。
労力に対して得るものが何もない。
じゃあなぜ、誰がこんなことを、と考えたときシュートには答えを出すことができなかった。
「……私は、これが魔法によって切り落とされたものだと思っている。それも、一人が、短い期間で行なっている」
何を馬鹿なことをとシュートは思った。
仮にもシュートはオラクル総合学園の成績優秀者だ。人並み以上に魔法に関する知識は持っている。
「お言葉ですが、テロドス様。それは不可能です。例えば私は魔法に関して学園ではそれなりの成績を残しましたが、これと同じ広さの草をウィンドカッターで刈り取るとしたら、数十日はかかります」
「では、それが可能な魔法使いがいるとは思わないのか? 私はここに来るまでの間に、どんな魔法使いが待っているのかと想像し、恥ずかしながら少しばかり緊張をしていた」
やはり臆病者なのか。
がっかりとした気分になったシュートに、テロドスはさらに続ける。
「ではシュートよ。学園では空を飛ぶ魔法について学ぶことはあったか?」
「テロドス様は変な質問ばかり……」
そこまで話してから、トカゲのしっぽのようなものを生やした少年が、宙に浮いているように見えていたことを思い出した。どうせ何かずるでもしたのだろうと思っていたけれど、まさかそんなものにおびえているのかと、ますます嫌な気持ちになる。
「あのノクトとかいうペテン師の話ですか? テロドス様に向かって失礼な口を……」
「シュート、やめろ」
「……テロドス様は! 何を恐れているのですか! あれほどに強いのに、なぜそんなに臆病な態度ばかりされているのですか!」
姿も見えない相手に警戒する様に、ついにシュートは我慢できなくなって声を荒らげた。一時といえども憧れた相手の情けない姿が許せなかった。
テロドスは怒りだすこともせず、ただ再び空を仰いでから、シュートが落ち着くの待つ。
一分ほどその場で立ち止まっていたシュートは、頭に急上昇していた血がだんだんと降りてきて、とんでもないことを言ったと目を泳がせる。
何をどう言い訳しようと考えたときに、テロドスは先ほどと変わらぬ調子で問いかける。
「…………シュートよ、歴史を学ぶのは苦手だったか?」
「……いえ」
「では【独立商業都市国家プレイヌ】の成り立ちについては?」
あまり得意ではなかった。
【ディセント王国】の貴族よりも、【ドットハルト公国】の軍人よりも、【独立商業都市国家プレイヌ】の商人や冒険者が厄介だと、父が良く話すのを聞いていたからだ。
嫌いなもののことなどあまり記憶には残らない。
「【独立商業都市国家プレイヌ】ができたのは、百年ほど前のことだ。【神聖国レジオン】以外の北方大陸の全土を治めていた【ディセント王国】が、とある冒険者たちと商人によって、その国土をもぎ取られた。【ドットハルト公国】が台頭したのは、その混乱につけ込んだからに過ぎない」
「……そんな昔の話をされても」
「黙って聞け。その冒険者のうちの一人、王国に最も血を流させた者を、貴族たちは悪い夢のようだと噂してこう呼んだ。【血塗悪夢】。竜の角と尻尾を持ち、空をかけ、指先の動き一つで人を物言わぬ姿に変える男だ」
淡々と語られる言葉は、ただの脅しのようには聞こえない。
それでもシュートは、声を少しだけ震わせながら反論する。
「で、でも、あの人、私よりずいぶん若く見えました。そんな百年も前の話を……」
「……私は今年で八十になる。そして若い時分、王国を旅している際に【血塗悪夢】を見たことがある。今と変わらぬ姿だった。微笑んだまま、賊たちをまとめて、一塊の肉に変えていた。……ところでシュートよ、魔法で空を飛ぶのは難しいか?」
ぶつぶつと肌が粟立つ感覚を覚えていたシュートに、テロドスは先ほどと変わらぬ調子で問いかける。
シュートは気を紛らわすために今度はその質問について真面目に答える。
「空を飛ぶ魔法なんてありません。綿密な計算で、とてつもない出力で、常に魔素を循環させ続ける必要があります。そんなことができるのは……、それこそ……」
ノクトの強さを認めるような気がして言葉を詰まらせると、テロドスがそれを引き継ぐ。
「【耽溺の魔女】ハルカ=ヤマギシは、お前が門番と話している間に空を飛んで仲間と合流していたぞ。私はあそこで戦いになったら、お前を守ることはおろか、生きて帰ることができたかも危ういと考えていた。シュートよ、世の中には強い者がたくさんいるのだ。そういう世界があるのだ。お前の知っている世界だけが世界ではない。これは私が若者にできる数少ない忠告だ。……お前の父にも、その昔同じ忠告をしたことがある」
ぽかんと口を開けるシュートをおいて、テロドスはゆっくりゆっくりと馬を歩かせた。





