領域
「他に何か?」
「はぁい、僕からぁ」
肘を曲げたまま手を挙げたのはノクトだった。
注目を集めると指を折り曲げて人差し指だけを立て、それをくい、くいっと曲げながらのんびりと言葉を紡ぐ。
「テロドスさんはぁ、組織的に言うと騎士団をまとめてる枢機卿の下にいるわけですよねぇ。では、そちらから調査をするように頼まれてここに来たってことなんですかねぇ?」
「……それだけではない」
「じゃあ、その人はぁ、コーディさんと反目されている?」
「思うところはあれど、猊下同士が反目されているようなことはない」
「表向きの話は聞いていないんですけどねぇ。ご存じでないかもしれませんがぁ、僕、ありもしない裏を探られるのとかぁ、勝手に調べられるのとかぁ、あまり好きじゃないんですよねぇ。言ってることわかりますかぁ?」
ずっと穏やかに、優しそうな笑顔を顔に張り付けたままじわりじわりと、相手に言い聞かせるようにノクトが話し続ける。
「ハルカさんの宿はぁ、僕の責任の及ぶところではないですよぉ? もちろん仲良しなので、手を貸したり、心配したりはしますけどぉ。でもねぇ、【月の道標】は僕の管轄ですからねぇ」
「……わかっている」
「本当にわかっていますぅ? 僕、怒るの嫌いなんですよぉ。わかりますかねぇ? ところで、今北の方の調査に向かっている人とかいますぅ? ご存じですかねぇ、獣人国フェフトは、オラクル教に協力しているんであってぇ、同盟国ではないですからねぇ? それで、どなたですか、今うちに調査命令をだしているのは」
ふっと突然間延びしないしゃべり方になったノクトの問いに、テロドスは僅かにこぶしを握る。
テロドスはこのわずかの間に、いくつかの命を自分の心の中にある秤に乗せた。
特級冒険者と交渉するというのは、そういうことであると知っていた。
礼儀正しく接しようが、機嫌をうかがおうが、それらが何の意味もなさない。
自分の力がいくら強かろうとも、この場で全員を始末できないのであれば戦ってもプラスになることは絶対にない。もちろん、テロドスは戦いに来たわけではないから、傍からそんな手段に訴える気はなかったが。
「……調査は、出していない」
「いないんですね、調査員は。誰も、来ていないんですね?」
「いない」
「……なぁんだ、それならいいんですよぉ、びっくりしちゃいましたねぇ、ふへへ」
かなり無礼な発言が繰り返されていたが、あまりにも重たい空気を感じてシュートは黙り込んでいた。しかしそれが霧散した瞬間に、表情が厳しいものになり、口を開こうとする。
「シュート、部屋から出て廊下で待機しろ」
テロドスはため息をついて、厳しい口調で命令する。
「なっ」
「邪魔をしないという話でここまで連れてきたのだ。今のお前は、それをずっとしている。確かにお前の家は伝統派の猊下の懐刀だが、この場ではそんなことは関係ないのだ。私は、私のすべきことをなすためにここにいる。もう一度言うぞ、部屋から出ていき、大人しくしていろ。自分の足で歩けないのなら手伝ってやる」
「っ……、申し訳ございませんでした、退室いたします」
顔を真っ赤にしたシュートは、部屋の中にいる人物に素早く目を走らせてから、ゆっくりと歩いて部屋から出ていく。余裕を装ったつもりだろうけれど、誰から見ても怒っているのがわかった。
扉の閉まる音がして、テロドスが再び同じことを言う。
「他に何か?」
何か聞きたいことがあったような気がしたハルカだったけれど、今のやり取りを聞いていてそんなものは頭の中から吹っ飛んでしまっていた。他の面々も黙り込んでいるのを確認して、テロドスは話を進める。
「では、提案の話に。まず一つ、もしハルカ殿が興味があるのなら、オラクル教や【神聖国レジオン】に席を用意したいという話だ」
「それは仲間たちも一緒に?」
「もちろん」
「……この話は、ある程度知られた冒険者のところには必ず持っていってますか?」
テロドスの目は一瞬だけノクトの方へ動いたが、それに気づいたのは数人だけだった。
「交渉の余地があると判断されれば」
「おかしいですねぇ、僕のところには来ていませんねぇ」
交渉の余地がなさそうだと判断されたノクトが足をパタパタと動かしている。
「ノクト殿に関しては各地に影響力があり過ぎて、勝手なことをするのがはばかられたのだろう。当時のことは私のあずかり知らぬところであるが」
「そういうことにしておきましょうかねぇ」
「とりあえず理由は後にして、お断りいたします」
「だろうな。では次だ」
期待はしていなかったのだろう、テロドスはあっさりと引き下がった。
むしろ引き受けられても困るぐらいには思っていた。オラクル教の方針として声をかけているが、真偽がはっきりとしない情報も含めると、ハルカはすでにかなり手広く各国の要人に縁ができている。
特にレジオンの最も近くにいる大国、【ディセント王国】の女王と縁が深いことはほぼ確定の情報だ。
国内の異分子をつぶして回っている苛烈な女王に睨まれるのは、オラクル教にとってもあまりに厄介である。
先ほどの件ですっかり穏当になっていると噂だった【血塗悪夢】の健在がはっきりしたこともあって、余計にテロドスはほっとしていた。





