ノクト魔法教室の生徒たち
茶色一色だったはずの〈忘れ人の墓場〉だが、ハルカたちが拠点としてから季節が一巡りして、いつの間にやら緑のじゅうたんが芽吹いている。昨年の春までは、ところどころにかつての面影があったけれど、今となってはその姿を想像するのは難しくなっている。
わざわざ掘って拠点付近に植え直した樹木も、きちんと根付いて住人がくつろぐ場所になっている。
ノクトの魔法教室は時間も定めず、大体そこでのんびりと始まることが多かった。
ユーリとサラが並んで座って話を聞き、その後ろにエリがいる。
ノクトの話はのんびりとした語り口で脱線することが多いけれど、事細かに状況や条件を話していくため、エリにとっては魔法使いとしての立ち回り方などを学ぶよい講義となっていた。
感覚として説明される魔法の使い方も、聞いているうちになんとなく理解し始める。無詠唱で魔法を使うためには、脳内で瞬時に魔法の構築を行うしかないのだ。
詠唱をするにあたって今まで順番に行なってきた手順を、脳内で瞬間的に完結させる。エリは完全に無詠唱とまではいかないが、ゆっくりと魔法の名前だけを唱えることによって発動するところまで至っていた。
あとは反復練習をして発動までの時間を如何に短縮していくのかだが、それがまた難しい。無尽蔵に魔法を撃つことができれば悩むこともないのだが、普通は一日に撃てる魔法の数は限られている。
その上詠唱の省略は瞬間的に大量の魔素を体に通すせいで、普段よりも魔素酔いが訪れるのが早いのだ。ただ、その分回路が無理やり拡張されているような感覚があり、少しずつ体は慣れ始めてきている。
魔素酔いは数時間で回復するのはわかっているから、朝一番でぎりぎりまで魔法を使い、だるいながらも普通に過ごし、回復を感じた時点でまたぎりぎりまで魔法を使う。
結局魔法を使うことも筋肉トレーニングなどと同じで、負荷をかけないと成長は遅い。街にいるとどうしても、ぎりぎりまで魔法を使うのは難しいのだ。急な依頼が入るかもしれないし、いつトラブルに見舞われるとも限らない。
対してここ【竜の庭】でのエリは、言ってしまえば客人だ。何かあっても真っ先に駆り出されることもないし、そもそも戦力としてエリが駆り出されるような事態に至るようなこともない。
第一線の戦力として数えられていないのは悔しかったが、訓練だけに時間と労力を費やされる環境はそんなことよりも圧倒的に魅力的だった。
さらにユーリやサラと共に訓練しており、かつハルカがそばにいる場合、納得いくまで魔法の訓練をすることができる。頭痛を感じると、ハルカが治癒魔法を使用するからだ。
【竜の庭】の冒険者たちの圧倒的成長の理由を知ったエリは、こんなことをしてもらっていいのかと、ハルカに深刻な顔をして相談をした。しかし当の本人が「私だって相手は選んでますよ」と言うので、素直に甘えてしまっている。
友人にずっとおぶさっているようで忸怩たるものはあったが、プライドと天秤にかけて強くなる機会を棒に振るのは馬鹿のやることだと自分に言い聞かせていた。だからといってその恩を感じずに、どこかに放り捨てたりしたわけではなかったけれど。
おかげで、エリは今確かな進歩を感じている。
冒険者としての活動を一時的にやめてでもここに残った成果を、エリはもう十分以上に手にしていた。
「さて、それじゃあ今日も訓練しましょうねぇ」
サラとユーリは一緒に訓練をすることが多い。サラが発動した障壁の魔法へ、ユーリができるだけ早く魔法を撃ち込むというのが基本だ。
エリが末恐ろしいと思ったのは、まだユーリが四歳になったばかりだということだ。ハルカのように何もないところから魔法を撃ち出したりはしないけれど、すでに無詠唱で魔法を撃ち出している。
『そういうものだという認識があった分習得が早かったんですかねぇ』と、いつもののたりとした口調でノクトが笑っていたけれど、第一線の魔法使いであり冒険者でもあるエリからすれば笑い事ではない。
ユーリの陰に隠れているけれど、詠唱を省略して障壁を次々と発生させているサラだって、魔法の腕を考えれば破格だ。サラの場合ほとんど障壁の魔法しか使っていないので、また特殊な例ではある。
これもまた今となってはすっかり慣れてしまったけれど、初めのうちは恥ずかしいやら悔しいやらで、気持ちの整理に少し時間がかかったものであった。
訓練に疲れた頃をちゃんと見極めて、ノクトは「今日はこれで終わりましょうねぇ」と言ってどこかへ去っていく。何か用事があるわけではなく、ただ面白い光景を探してうろうろしているだけの、たちの悪いご隠居様だ。
魔法の訓練が終わったばかりだというのに、懐いているユーリは立ち上がってとことことそれについていく。
ノクトは見た目が可愛らしいのと実力があるせいで、その愉快犯的な動きに面と向かって文句を言うものは少ない。アルベルト、それからたまにモンタナがぼそりと突っ込みを入れるくらいで、ほぼ野放し状態である。
ユーリが後ろにくっついていると、多少それが緩和されるのでセットで置いておくというのは悪くない選択だ。
そんなわけでノクトは常にニコニコとご機嫌に拠点をうろついて、人にちょっかいをかけているのである。
木陰で休んでいるとサラがエリに話しかける。
「エリさん、冒険者活動って大変ですか?」
「そうね、危ないこともあるし」
「私の実力だと、まだまだ危ないでしょうか?」
サラは下手に一流の冒険者たちばかり見ているせいで、自己評価が低くなっている節がある。魔法使いとして障壁ばかり使うのはかなり特殊だから、チーム編成を考えたときに色々と難しいのだが、それを差し置いても実力は十分だ。
体力づくりにも励んでいるようだし、もしサラが冒険者として活動できないのだとしたら、街の中堅冒険者の殆んどは引退した方がいい。
ただ、両親や立場の都合上、ハルカたちはサラが活動を始めることにあまり積極的な動きを見せていない。
単純に自分たちの目の届かないところで何かあるのを心配しているのだった。
エリからすれば過保護すぎるのだけれど、その方針をまるで無視するわけにもいかない。
少しだけ悩んでからエリは答える。
「今度一緒に〈黄昏の森〉を歩いてみる? ただしみんなと相談して、前衛がいる前提だけど」
「いいんですか!?」
鼻息荒くエリの足元まで寄ってきたサラ。
おしとやかで真面目な雰囲気を纏っているけれど、サラの本性がこちらであることを、エリもなんとなく気がついてはいた。本来は頑固で、好奇心が旺盛で、思い込んだらまっすぐ突っ込んでいく危なっかしい性格をしているのだ。
サラももう十五歳。
成人年齢となるのだから、森を歩くくらい構わないはずだ。
ただ暴走しがちなその性格だけは、エリはちょっと心配していた。





