名刺作成依頼
レートンのおごりで始まった夕餉だったが、いつの間にか周りには相当数の冒険者が集まってきていた。普段宿舎に泊まっていないようなものたちも、ハルカがいることを聞きつけて集まってきたのだ。
はじめのうちはおとなしく食事をしながらしゃべっているくらいだったが、誰かが外から酒を持ち込んでからはもうめちゃくちゃだった。
あっちでもこっちでもばらばらと酒盛りが始まって、食事の提供が終わっても勝手につまみを持ち込んで盛り上がっている。
脱落者が床に増え始めたころには、カーミラもハルカに寄りかかって眠ってしまっていた。近くにいるものに離脱することを伝えて、カーミラに肩を貸して立ち上がっても、深く酔ってしまっているものたちは気づかない。
結局ハルカがいることにかこつけて大酒を飲みたかっただけなのだ。典型的なその日暮らしの冒険者たちである。
それから数日の間、ハルカはカーミラと共に街でのんびりとした時間を過ごした。
捕まえた兵士のことでラルフから呼ばれることもなかったし、妙な輩に絡まれることもなかった。もっとも、〈オランズ〉の街でハルカに絡んでいこうなんて輩は、まず間違いなく余所者だ。そうそう出くわすものじゃない。
その間に、当初の予定であった名刺を作ってくれる鍛冶師にも出会うことができた。
はじめのうちは、武器や防具関係の鍛冶師のところをめぐってみたのだが、そういった細かな加工や金属の装飾に関しては、また別の職人の領分だと教えられたのだ。
それでもハルカの頼みだからと、工房の職人が腕のいい奴は誰だと話し合っていたところ、奥からご隠居がやってきて一枚の手紙と手描きの地図をハルカに手渡して、そこに行って手紙を渡すように言ってきたのだ。
詳しい話は本人と、と言われ向かってみると、商店街のはずれの方にこじんまりとした鍛冶屋を見つけることができた。近所に住んでいる人たちの包丁研ぎや、針を作ったりと、生活に溶け込んだ商売をしているらしく、もっぱら客層は街の奥様方のようだった。
客が切れたのを見計らって中へ入ると、職人にしては愛想のいい笑顔で「らっしゃい」と迎え入れられる。それから老人は目を丸くして「おやおや……」と呟いた。
「こりゃあどうも、街の英雄がこんな場所へどんな御用で? 針仕事でもされるのかな?」
「いえ、頼みごとがありまして。こちらへ行くように紹介されてきました」
預かった手紙を渡すと、老人は素早く目を通して「ちょいと待っててくださいね」と言いながら、玄関の札を裏返して店を閉じてしまった。
「ええと、身分を証明するような薄い金属板を用意したい、と。冒険者のタグじゃダメなのかい?」
「ええ、もっとわかりやすいものがいいんですが……。それに相手によっては、本当に私の知り合いであるという証明のため、渡してもいいかなと思っています。ですので、真似をされにくい作りだといいのですが……」
「そりゃあ、こんな街の鍛冶屋さんに頼むことかい? おいらが金貰って別のやつにおんなじものを作っちまうかもしれないよ?」
「あなたに頼むべきだと、紹介されてきましたので。それに、その可能性を教えてくれたあなたなら、そんなことはしないのでは?」
「いやぁ、脅されたりしたらしちゃうかもしれんぞ」
「その時は作ってください。後でこっそり作ったことを教えてくれれば、それで構いません」
老人はぽりぽりと頬をかいて変な顔をした。
ハルカのことは噂によく聞いていたが、それはいいものばかりではない。かかわりのある範囲ならばともかく、市井の奥様方は好き勝手噂するものだから、この老人までたどり着く話は眉唾物ばかりだったのだ。
「なんだか聞いてる以上に性格が良さそうだな、あんた」
「そうなのよ」
「そんなことないと思うんですけど……」
ハルカに引っ付いているカーミラが先に答えて、それから本人が否定する。老人はちらりとカーミラを見て、ハルカのうわさをまた一つ思い出した。曰く、恋愛対象が女性であるとか。
まぁ本人に確認するようなことではないから、間違っても口には出さないが。
「引き受けていただけますか?」
「そりゃあやぶさかじゃないが、腕とか確認しなくていいのかい? 変なもの作るかもしれないぞ?」
「他の方からの推薦ですし、そこは信じようと思っています。試作品で構いませんので、作ってみてもらえませんか? 急ぎではないので、もちろん普通のお仕事をされながらで結構です」
「まぁ、そういうのなら、やってみようか。何かあらかじめ意匠の要望なんかはあるかい?」
「モンタナから……、あ、いや、仲間から預かってきたものがあるので、こんな感じで……」
渡した紙にはモンタナが考えてくれた簡単なデザインが描かれていた。横に長い長方形の上辺と右の辺にそって竜が描かれ、左下の空間に宿の名前と、特級冒険者という肩書、それにハルカの名前が入っている。
モンタナは本当に何でもそつなくこなすので、最初にこれを見たときはハルカも大層驚いた。
「成程な……」
なかなか細かい装飾だ。自分の腕に見合った難易度だと、ひそかに老人が頷いたところで、ハルカが遠慮がちに尋ねる。
「難しいですか……?」
老人は初めてむっとした顔をした。
頼んでおいてひっこめる気かと、むかっ腹が立ったのだ。
「いや、やってみるさ、やってみるとも。楽しみに待っててくれりゃあいいさ!」
「あ、すみません、これ材料費とかにあててください。一番適していると思われる材料を使っていただいて構いませんので……」
「ああ使うとも! 存分に使ってやるともさ!」
まずいと思ったハルカは、あらかじめ分けておいた袋をじゃらりと老人の近くへ置いて、すすすっと入り口まで退散する。職人というのは頑固なもので、へそを曲げた後は話すのが難しくなるものなのだ。
引き受けてくれるというのなら、これ以上拗れる前に退散するのが吉だ。
「あの、またそのうち来ますので! そのお金はいくら使っていただいても後で請求したりしませんので、どうぞよろしくお願いいたします!」
ハルカは深く頭を下げると、カーミラの腕を引いてその場をさっさと離れることにした。
次に来るのは、一度拠点に帰ってまた街に来るときにするつもりだ。技術を考えてみれば、そんな簡単にできることを依頼したとも思っていない。
「お姉様、やる気を出させるの上手ね」
「……いえ、あれはただ怒らせてしまっただけだと思います」
「そうかしら? いい感じだと思ったのだけど」
二人がそんな話をしている中、老人は鼻息を荒くしながら立ち上がって、おかれた袋を拾った。振るとじゃりじゃりと音が鳴るが、中身はせいぜい二十枚程度だ。
かつては名工として名の知れていた老人は、相手がだれであろうと舐められることは許せない。老い先短いだけに怖いもの知らずだ。
まさか銅貨が入ってるのではあるまいなと、乱暴に紐をほどいて床にじゃらりと貨幣をばらまき、そのまま動きをピタッと止めた。
転がり出てきたのは金貨。
人に渡すようなものを作るために、しかも、材料費としてこれだけのものをポンとおいていくなんてどうかしている。
老人は特級冒険者だからと金にあかせて何かをさせようとしているか、それともただ馬鹿なのか少し悩む。
しかし考えているうちに冷静になってきた老人は、ハルカが基本的に腰が低かったことを思い出してきた。年の割にすぐに腹を立ててしまうのが悪い癖なのは自分でも理解している。
「ふーむ……、考えてみれば、特級冒険者になんか作ってやるってのも、あの世への土産話になるか。よしやるぞ、やってやる。ここ一番の渾身のものを作ってやるぞ」
だんだんと腹を立てたことが恥ずかしくなってきた老人は、声に出してよいものを作ると宣言した。それで依頼人であるハルカを納得させて、怒ったことをチャラにするつもりだ。
ちなみに、ハルカは渡したお金の額を知らない。
名刺の話をコリンにしたときに、材料費として渡すようにと預けられたものを、そのまま渡しただけだ。「中見なくていいからね」というコリンの言葉を律義に守ったわけである。
コリンにしてみればいい加減なものを作られても困るから、きちんと報酬を支払う姿勢を最初から見せて、相手方をけん制する狙いがあった。
中を見ないようにくぎを刺したのは、ハルカが見たら驚いて使わず帰ってきそうだからである。
こうして様々な人の協力を経て、ハルカの名刺がひっそりと作られ始めたのであった。





