懐かしさ
ギルドの外へ出て数歩進んでから、ハルカはすぐに回れ右して戻ってきた。
普通に宿を探すつもりだったけれど、こんな夜更けに開いている宿はない。街の門が閉まっているということは、新たな客はやってこないということだ。
明日も朝から食事の準備をしなければいけない小さな宿はもちろんのこと、従業員を雇うような大きい宿もすでに門を閉じていた。
祭りでもあるのならいざ知らず、何もないときに日が落ちてから宿を探すような計画性のない客はトラブルを起こす可能性も高い。
客として迎え入れて小銭を得るより、門前払いしたいのが宿側の心情であった。
こっくりと首を揺らしていた夜の番をしている職員は、申し訳なさそうな「すみません……」という言葉に、今度は躊躇せずに跳ね起きる。先ほど聞いたばかりの特級冒険者の声だったからふざけた真似をすることはできない。
「はい! なんでしょう!」
「あの、宿を探せない気がするので、宿舎に空いている部屋とかがあればお借りしたいのですが……」
「あ、はい、はいはい」
職員は慌てて鍵の束を漁ると、空いている部屋のものを二つ選んで、受付のテーブルの上を滑らせる。頭の上にはハルカが魔法で作り出した光源が浮かんでいるから、探すのには苦労しなかった。
滑らせてから、そのカギが酷く使い古されて曲がっていることに気づいたが、その時にはもうハルカが二つのカギを手に取っていた。
「ありがとうございます」
「場所は、あの、わかりますか? 良かったらご案内しますが」
こっそりと比較的綺麗なカギを片手に隠し持って提案した若手職員だったけれど、ハルカはゆるりと首を横に振る。
「いいえ、大丈夫です、少し前は私もここに住んでいたんですよ」
ここで暮らしたことがあるものなら、つけられた番号札を見れば部屋の場所は大体見当がつく。
「あー、ではごゆっくりどうぞー……」
スーッと息をゆっくりと吸い込んだ若手職員は、平静を装ってハルカたちを見送り、何事もなかったかのようにゆっくりとカウンターの中に体を沈める。そうして取り入れた空気を一気に吐き出すと脱力して呟いた。
「いや、しんど……」
「……あのぉ」
「はい!!!」
体を受付にぶつけながら立ち上がった若手職員はバクバクと心臓をはねさせながら直立する。
「鍵、古くなってるので綺麗に直しておいてもいいでしょうか……?」
「はい! お任せいたします!」
どうやら怒られるわけではなさそうだと元気に返事をしたところで、ハルカが申し訳なさそうに首だけでぺこりと頭を下げる。
「ホント、夜中にすみません」
その謝罪のせいで却って聞かれたのか聞かれてなかったのか、職員としては判断に迷うところである。ちなみにハルカには何も聞こえてなかったし、ただいつも通り腰を低くして謝っていただけである。
とはいえ酷く心労を抱えた若手職員は、この日以降しばらくの間夜の番を辞退することにしたのだった。
せっかく二部屋借りたというのに、カーミラは当たり前のような顔をしてハルカの部屋にするりと入り込んできた。
ちゃんと部屋を分けるように言おうか迷ったハルカだったけれど、今日も予定を狂わせてしまった手前、うるさいことを言うのも気が引ける。カーミラが何か悪さをしてくるわけでもないのはわかっていたので、ハルカは少し悩んでから荷物を置いて、それに寄りかかるように床に足を伸ばして座った。
「カーミラ、ベッド使っていいですよ」
「お姉様が使っていいわよ?」
「いえ、私は床でいいです」
「じゃ、一緒に……、は無理ね」
「狭いですからね。大柄な冒険者はベッドを外に出して寝たりするそうですよ」
ハルカが足を伸ばして横たわると、もう一人が床に寝るのは難しいくらいのスペースしかない。中にあるものを全て片付けても川の字で三人寝るのが精いっぱいだろう。
特にこだわりのある譲り合いでもなかったからか、カーミラは軽くため息をつくと、布を広げてベッドに腰を下ろした。若干ご不満のようである。
「目が覚めたら街に出ましょう」
「そうね、楽しみ」
そう言って目を閉じたハルカだったが、カーミラは寝転がってからもずっと体を動かしている。
うっすらと目を開けて様子を窺うと、カーミラが横向きに寝転がって、しっかりと自分の方を見ていることがわかってしまった。遠足の前の子供、という考えが頭をよぎってから、カーミラが夜に活動する種族であったことを思い出す。
子供っぽいから眠れないのではなく、種族的な特徴のせいだろうと、自分に言い聞かせ、目を閉じたまま口を開く。
「ゲパルト辺境伯のところにいた頃は街を歩いてましたか?」
「夜だけね。だから昼間の街を楽しんだのは、お姉様に傘を買ってもらった時が初めてかしら」
「夜と昼ではだいぶ雰囲気が違うでしょう」
「そうね。……でも、一人でうろつくなら夜でいいわ。わざわざ体のだるい昼間に動きたくないもの」
「……しんどいなら、日が暮れてからでも」
「お姉様」
カーミラに提案を遮られて、ハルカが片目だけ開けてみると、にっこりと笑うカーミラと目が合った。
「一緒にお出かけする方が楽しみだからそんなこと言わないで」
「…………カーミラは夜になるとやっぱり元気ですね」
「そうかしら?」
「でもちゃんと眠らないと、明日の朝辛いですよ」
「そうなのよね。でもワクワクしてなかなか寝付けないの」
『ああ、やっぱりそういうことだったのか』という言葉は胸の中に仕舞い込んで、ハルカはこっそりと、小さく笑うのだった。





