正体 *ちょいグロ注意
のんびりと下山を始めたコリンたちの背中を見てハルカは考える。
もしコリンが本当に彼らをおいて帰るつもりならば、空を飛んでいくことを提案するはずだ。
ではなぜ歩いているのか。思い当たる節がいくつかあった。
舐めた態度を改めさせるため。
小金を稼ぐため。
説得するより思い知らせた方が、ここに近づかなくなるだろうという計算。
なんにしても、その意を酌んでいる限りは、後で文句を言われることもないだろうと結論付けた。
何よりハルカの考え方としては、ここで嫌いな相手を見捨てたことが、何かあったときにモンタナの気持ちに影を落とすようなことになるのが嫌だった。十年後、あるいは数十年後、ふと思い出してチクリとするような傷は作らないほうがいい。
後姿が小さくなり始めたころ、風を切る音がして集団の中から悲鳴が上がった。ハルカが慌ててそちらを見ると、巨大な鳥の魔物が先ほど口論をしていた若者を空へと連れ去っていた。
他の者が蹴散らされ、見事にその男だけが連れ去られたのは因果応報とでもいうべきか。
肩に鋭いかぎづめが突き刺さっており、自力で抜け出すことはもはや不可能だろう。
助けるべき相手か、そうでないか。そんなことを改めて考える前に、ハルカは風の刃で魔物の首を切り落とす。
翼を大きくはばたいた魔物は、それでも一瞬だけ上昇を続け、そしてすぐに力をなくして勢いよく落下し始めた。
このまま落ちた場合、男は地面に激突して死ぬか、魔物の下敷きになって死ぬかの二択だ。奇跡的に運が良ければ助かるかもしれないけれど、そんな男だとすれば、そもそも魔物に連れ去られていないだろう。
ハルカは空を飛び、落ちてくる魔物の下へ入り込む。体で支えてゆっくりと地面に下ろすつもりだったが、ハルカが受け止めた直後、その衝撃で男の体がかぎづめから外れる。
「あ」
間抜けな声を上げたのはハルカだ。
男の方は声も出せずに落ちていく。高さ的には多分死なないくらいになっているが、ハルカは念のため落下地点付近に柔らかい障壁をはった。イメージは体育館にある分厚いマットだ。
男の体が障壁に沈み込む。
理解できない感触に男はもがいたが、その動きはただ、柔らかい障壁の上をばたつくだけに終わった。
完全に混乱しているので、ハルカから見ては安全であっても、本人からすれば恐怖でしかない。
魔物を抱えたまま地面に降りたハルカは、肉が入っている障壁の箱を開けて、その中に鳥の魔物を放り込んでから男の下へ向かった。
何か声をかけようかと考えたけれど、モンタナへの態度を思うとあまりおしゃべりしたい相手ではない。
無言で障壁だけとくと、男が地面と接吻したのを見ることもなくハルカは踵を返した。
肉が入っている障壁を浮かし、空を見上げながら慄いている男たちの間を歩き、先ほど治癒魔法を施したものたちの近くへ来ると、ハルカは静かに、しかしはっきりとその場にいるものに聞こえるように言った。
「私も山を下ります」
歩き出すといの一番についてきたのは、治癒魔法を施してやった若者たちだった。俺たちはわかってますよとでも言いたげな顔をして、しかし結構必死にハルカの後に続く。
そのあとを残っていた冒険者たちが。そしてそのさらに後には、魔物に連れ去られそうになった若者を支えながら若い鍛冶師たちが続く。
あんな男たちの中にも仲間意識はあるようだ。
しばらく歩いてからハルカが振り返ると、ついてきているものたちはびくりとして立ち止まり、不安そうな表情を見せる。
全員がついてきていることを確認して前を向いたハルカは、けが人を治したい気持ちをこらえながら、ゆっくりとコリンたちの背中を追いかけることにした。
離れた茂みの中で、筒のようなものを覗き込んでいる男がいた。
付近には小型の魔物の切り裂かれた死骸が転がっている。
「これは失敗だ。馬鹿ばかり選んだつもりなのに、どうして助けなんかきてしまったんだ」
皺が多く刻まれた顔には、妙に尖った髭が生えている。
誰に言うでもない独り言は、頂上から吹き降ろした風にかき消されて消えていく。
「仕方ない。土産は無しで一人でいくとするか」
おもむろに立ち上がった商人、と認識されている男は、ぽいとステッキを投げ捨てて腰を伸ばした。
そうして頂上の方を向いて、今までとは違った軽快な足取りで厳しい斜面をすたすたと登っていく。
数十歩進んだところで、男はぴたりと足を留めた。
カンッ、カンッ、カンッ、と規則的に何かがぶつかる音が聞こえてきたからだ。
聞き覚えのあるその音の発生源に思いを巡らせ、男ははたと気づく。
いつの間にか勝手に土産の中に参加してた、薄汚れた人間の履物の音だと。
カッ、とひときわ大きな音がして音が止まる。
「よぉ、護衛してやった分の料金、取り立てに来てやったぞ、ふはっ!」
ゴンザブローが歯茎をむき出して笑う。
「おや、助けに来てくださったんですかぁ! もうだめかと……」
「臭ぇから喋るんじゃあねぇ」
「随分な物言いですな」
交渉の余地すらなさそうな罵倒に、商人は真顔に戻る。
「儂はなぁ、嫌いなものがあるんじゃ。一つ、自分以外の嘘つき。二つ、金払いの悪い奴。三つ、命令してくる奴。四つ……」
「いくつあるんですかな?」
商人のつま先が地面をたたく。
「中略、人の皮をかぶった糞みてぇな臭いを発する屍鬼じゃ。狡くて、陰険で、戦場の忘れ形見を食って成り変わる、誇りも強さもない糞ネズミが」
屍鬼。
破壊者の種族の一つで、死体の皮をかぶってそれに成り変わる習性をもっている。
毎日のように死体が量産される【神龍国朧】では、雰囲気が変わったら屍鬼と思え、と言われる程度には近くに存在する破壊者だ。死者の尊厳を侵す者として忌み嫌われている。
舌打ちの音とカンッという音が同時に鳴った。どちらの物かはわからないけれど、その直後にはゴンザブローの体が商人の間際まで迫る。
商人、もとい屍鬼は賢し気な雰囲気を投げ捨てて、腰を低くして両手を広げて迎え撃つ。いつの間にかその指の先端の爪が鋭く伸びて、鋭利な刃物と化していた。
「薄汚い人間が、殺してお前の皮をはいでやる」
屍鬼は強い種族ではない。それでも長く人の世界に生きぬいてきたものには例外もいる。少なくともこの屍鬼は、この辺りの魔物に難儀しない程度の実力を兼ね備えていた。
誤算があったとすれば、姿をくらますことに夢中で、ゴンザブローが巨大な魔物の首をへし折るのを見ていなかったことくらいか。
勝負は一瞬だった。
ポクリという気の抜けるような音がいくつか重なった。
そして屍鬼の体が崩れ落ちる。比喩ではなく、本当に突然脱力したかのように崩れ落ち、そのまま動かなくなった。
ゴンザブローは屍鬼の髪をもって、メリメリとその表皮を引きはがす。
出血なく、ただ顔面の筋肉がむき出しになったことを確認して、ゴンザブローはふんっと鼻息を吐いて呟いた。
「ふはっ、本物の屍鬼でよかったわい」
もし外れて、約束を破って逃げ出しただけの商人だったとしても、殺意を見せた時点で生かしておく理由はなかった。本当の商人ならば、商人らしく命乞いをすればよかっただけの話なのだ。
ゴンザブローは片手に持った人の皮をぽいっと放り投げると、つまらなさそうな顔をして下駄の音を鳴らしながら下山を開始するのであった。





