くそじじい
「師匠、随分連れ合いと離れてますけど大丈夫なんですかー?」
「まぁ危なげないときはずっと一人で動いとったから大丈夫じゃろ。向こうもいい加減気にせんくなったわ。んで、なんであとついてきたんじゃ?」
当たり前のように障壁の上で胡坐をかいたゴンザブローは、のろのろと山を登っていく若者たちを見下ろしながら尋ねる。
「師匠さ、今回の依頼ってあの商人さんの護衛でしょ?」
「そうじゃな」
「ちゃんと山の上まで行く気でいるの?」
「まー、あの髭ちょびんが行くってならしゃーない」
「ホントはめんどくさいんでしょ」
「まーのう」
「じゃ、魔物に襲われたとき危ない感じを演出して、諦めてもらわない?」
コリンとゴンザブローの会話はとんとん拍子に進んでいき、これはもうあっさりと協力を得られるんじゃないかという雰囲気が漂っていた。しかしゴンザブローは振り返ると予想外の答えを返す。
「ふはっ、駄目じゃ」
「え、なんで?」
「ちゃんと助けんと吹っ掛けられんからな」
「……その分こっちで補填するとしたら?」
「信用問題もあるしのう」
「お酒飲みたいだけでしょ! こっちの話聞いてくれたら、あの人より信用ある人紹介するから!」
「でものう、どうしようかのう」
のらりくらりと適当な返答を繰り返すゴンザブローに、コリンは眉をひそめた。
あっさり応じても損はないし、余計な手間も省けるとわかっているはずなのに交渉を引き延ばすのには、何か目的があるからだ。
「……師匠、何が目的ですか。冒険者じゃないんだから、依頼失敗とかで不利益もないはずでしょ」
「……なんでも理屈と利益で動くと思っちゃ駄目じゃよ、コリン嬢。こっちの要求の一つも聞いてもらわんとなぁ」
ゴンザブローの顔に浮かぶのはまた最初に見たときの獰猛な笑顔。
ろくでもない話が始まるのが一目でわかった。
「一応聞くけど、なに?」
「聞いたぞ。そっちの別嬪さん、特級冒険者なんじゃろ? いっちょ手合わせをな。儂が勝ったら、そうじゃのう、酒を山ほど買ってもらう。負けたらなーんもいらん」
別嬪さんと言われて最初ピンとこなかったハルカだったが、向けられた視線でようやく手合わせしたいと言われたことを理解する。
「あの、私魔法使いですよ?」
「なぁに距離は十分に取ってはじめてやる。儂の方からは殺しもしない。特級冒険者とみると、つい血が騒ぐんじゃよなぁ」
「師匠! ハルカはね、争いごととか嫌いなの。他になんかないの?」
「ないよーん。手合わせしないなら今すぐ飛び降りてお前らがなんか企んでることまで全部ばらしちゃる」
「くそ爺……」
「じゃかしいわクソガキ。さぁどうするんじゃ? やるんか、やらないんか? 特級冒険者なんて大層なご身分持っておいて逃げるんか?」
アルベルトの言う通り正しく悪いお年寄りだった。
年を取っているだけに、ただわがままで自分勝手なだけではなく、こちらの嫌なことを的確に理解してやってくる。
本性を隠す気もない相手には、モンタナの目であっても交渉の役には立たない。
「わかりました、お相手させていただきます。がっかりして撤回とかはやめてくださいね」
「よっしゃ、のりおったな!」
ハルカはゴンザブローの言葉に挑発されたわけではなかったが、あまり迷うことなく相手をしてやることに決めた。
まぁ、勝っても負けてもそんなに被害はないし、結局依頼は達成できるのだ。年寄相手に戦うのはなんだかなと思うけれど、この世界の年寄りというのは油断できるような相手ではない。
現役を維持し続けているような年寄は特にだ。
思い浮かべるのは自分の師匠の顔だ。見た目は子供だけれどあれも立派な老人の一人である。もしこのゴンザブローと接触したらどんな会話になるか想像してみたが、あまりご機嫌なことにはならなそうなのですぐにやめた。
「ハルカ、ごめーん……。ここまで交渉にならないと思わなかったー……」
「いいですよ、勉強と思って相手させていただきます」
「ハルカ、ぶちのめしていいからな」
「です」
アルベルトの攻撃的な一言に、モンタナまでこっそり便乗する。
「一応ほら、お願い事をする立場ですからね」
開けた場所を探して地面に降りると、ゴンザブローが真っ先に飛び降りて楽しそうに体を動かしている。とても老人とは思えないキレのある動きだ。
「さーて、特級冒険者をへこますぞぉ」
「師匠、もしかして他でもやったことあるの?」
「こっちの強者っつったら特級冒険者じゃろ。まーだ大物とは会ったことないんじゃがなぁ。さぁてと、別嬪さん」
歯を見せて笑ったゴンザブローはぎらぎらした瞳をしながらハルカに語り掛ける。
「儂は殺されても文句言わん。手加減はせんでくれよ」
「……お互いに殺し合いにはならないようにしましょう」
「なんじゃ、つまらん。今一つ戦意に欠けるやつじゃのう」
足元の石を蹴り飛ばしながら背中を向けて歩き出したゴンザブローは、十分な距離を取ってから振り返る。
「この辺でいいじゃろー?」
「ええ、構いません!」
どんなに長い武器を隠し持っていても届かなそうな距離。
全力で走っても数秒はかかるだろう。
「コリン嬢、石投げとくれ。それが落ちたら開始じゃ」
「……ハルカー、いくよー。ぼこぼこにしていいからね!」
コリンまでそっちの派閥に入ってしまったようだと、ハルカは困った顔をして曖昧に笑う。
ぽいと高く投げられた石を見ながらも、ハルカは考える。
あちらはコリンに戦い方を教えた格闘家だ。
近づかせないように戦うのがセオリーだ。なら魔法使いらしく戦って、なんならちゃんと勝ちたいと思っていた。
そろそろ石が落ちる、一瞬そちらに目を奪われたハルカの耳に風を切る音が聞こえる。
何事かと正面を向くと、ゴンザブローがはいていたはずの下駄が飛んできていた。
「お、足が滑ったわい」
石が落ちた瞬間にそう言ったゴンザブローは、横に大きく動きながらハルカに向かって距離を詰める。本当にやることが汚い老人である。
ハルカは即座に正面に障壁を張り、視線はゴンザブローに固定する。
するとゴンザブローの首が不自然に空中の方へ向いている。なんだと思い反応してしまったハルカが上を向くと、そこにはもう片方の下駄。
確認して障壁を張り、すぐに目を戻すとそこにいるはずのゴンザブローはおらず、代わりに砂と石が混じったものが飛んできている。風だけを飛ばしてそれを迎撃したハルカが首を振ると、ゴンザブローは最初にいたあたりの方角から、ハルカに向けて距離を詰めてきていた。
完全に振り回されている。
そう感じたハルカは、すぐさまゴンザブローの正面にコの字型の障壁を張る。入ったら後ろにも出現させて捕まえて終わらせるつもりだった。
チクリと側頭部が痛む。
なにかされていることにすぐ思い至ったハルカは、障壁にぶつかったゴンザブローを閉じ込め周囲を警戒する。
「捕まえたわい」
ぐるりとハルカの世界がひっくり返ったのはその直後だった。





