変容の方向
いつもよりも近い空にうっすらと星がちりばめられ始めた頃、部屋にパッと明かりが灯った。
それは蛍光灯のような明るい光ではなく、炎の揺れる色に近いオレンジ色をしている。それでも普通に生活するには十分すぎるくらいの明るさだった。
この世界は夜になると薄ぼんやりとした明るさの下過ごすことが多い。
ハルカは久しぶりの夜の明るさに、なんとなく懐かしさを覚えながら部屋を見回した。
建物に入ってきてから最初に気が付いた、壁際についていたものは、やはり電灯のようなものだったらしい。
その柔らかな明かりがきっかけだったのか、ブロンテスの大きな瞼が震え、ゆっくりと瞳が顔をのぞかせた。
まずは殴られたはずの頬を撫で、痛みがないことを確認してから首をもたげさせ、ハルカたちがいる位置を確認してからゆっくりと体を起こす。そうして大きく息を吐きつつ胡坐をかいたブロンテスは、ゆっくりと頭を下げて言った。
「……すっかり夜まで気を失ってしまったようだね。お客様を長らく待たせてしまって申し訳なかった」
「でかいくせに喧嘩弱そうだな」
「そうだね、殴り合いの喧嘩なんて、子供の頃にしかしたことがなくて……。それにしても、痛みがないのはなぜかな。首がもげるかと思うほどの衝撃だったのだけど……。もしや私は死んでいるのかい?」
「馬鹿だなぁ、あんくらいで死ぬわけねぇじゃん」
「馬鹿か、ははは」
大真面目な顔をして首をかしげているブロンテスは、本当に喧嘩の経験がないのだろう。というか、死んでてもおかしくないくらいの衝撃をアルベルトが与えたわけだが、その辺の反省はなさそうだ。前時代の天才研究者に対して馬鹿と言い放つ精神に脱帽である。
「そうか、私は馬鹿かぁ」
ブロンテスは大きな手のひらで、自らの禿頭をぴしゃんと叩く。
くしゃりと皺が寄せられた顔は、泣いているのか笑っているのかわからない。
しかし先ほどまでの暗さは鳴りを潜め、幾分かすっきりしているようにも見えた。
「今度殴り合いの仕方教えてやろうか?」
「……いやぁ、私は頭脳派だから拳はこれきりでいいかなぁ」
「そうかよ、せっかくでかい体持ってんのに勿体ねぇ」
「君は小さいなりでとんでもない出力をしているよね」
「冒険者だからな」
「そうか、冒険者かぁ。世界はすっかり変わったんだね。ところで私に怪我がないのは……?」
研究者だったからこそ悲劇を起こしたというのに、もはや本質的な研究者としての血が騒ぐのか、ブロンテスは再び疑問を口にする。
「あ、先ほど私が治癒魔法で治しました」
「治癒魔法!? け、怪我とか病気が治せるのかい!?」
「え、ええ、はい」
「そんな、それはもはや、神の御業じゃないか! 今の時代はみんなそんな魔法が使えるのかい!?」
急速に活気を取り戻したブロンテスが体を前へ傾ける。
「い、いえ、魔法として一応あるみたいですが、使える人は少ないみたいですよ? 私の師匠とかはかなり自在に使ってますけれど……」
「そうか……。もしかしてアルベルト君、君のとんでもない膂力も、魔素の力を借りていたりするんだろうか?」
「おう」
「……やはり、魔素は人にも強い影響を及ぼすようだ」
ぶつぶつと呟き始めたブロンテスは、すっかり自分の世界へ入り込んでしまう。「適切な放射」とか「取り込むための」と理解できる言葉から始まったけれど、専門的な用語が出始めてからはもうさっぱりわからない。マッドなサイエンスな雰囲気をぶち破ったのはコリンだった。
「もしもーし、ブロンテスさーん。また研究面に精神が引っ張られちゃってますよー」
「あ、はっ、すまない。いや、もちろん人に漏らすつもりはないんだ。また利用されてはかなわないからね。個人的な思考でしかないよ」
どんなに反省したと言えども、生来の気質がそれなのだろう。
専門分野で分からないことがあると考えずにはいられない。
しゅんとして体を縮めたブロンテスに向かって、鉄羊のヘカトルが「めぇえ」と声を震わして鳴いて、ぴりりっとわずかな電流を中空に放つ。
「びっくりしたぁ……」
「コリンがこいつのこといじめるから怒ったんじゃね?」
「いじめてないし!」
「怒んなよ」
ぽふっとアルベルトが羊毛の上に手を置き、直後ぱっとその手をあげた。
「……このびりっと来るの慣れねぇなぁ」
「アル、危ないからむやみに触らないほうがいいですよ……?」
「いやでも、びりっとしない時の触り心地はいいんだぜ、こいつ。コリンも触ってみろよ」
もう一度手を下ろすとアルベルトはぽんぽんとその背中を撫でる。
「えー……、びりっとしない?」
「わかんねぇけど」
恐る恐る近づくコリンとそれを見て笑うアルベルト。そして万が一のために様子を見ているハルカ。
平和な鉄羊との交流の間にモンタナは一人ブロンテスに近づいていく。
「ブロンテスさん、あの鉄羊って魔物です?」
「魔物……とは、魔素で変容した動物のことだったか。だとすればそうだなぁ。楽園に生えている草花は魔素を大いに含んでいる。それを食み、あふれ出る魔素を受けて育った鉄羊は、確かに魔物と言えよう」
「魔物は一様に狂暴で肉食です。でもこの鉄羊はおとなしいです。なんでです?」
「うん? いや、それはおかしな話だな。生き物は育ってきた環境で変容するものだ。この子たちは草しか食べぬし、私の言葉を解する賢さも持っているよ。ただなぜか糞が鉄交じりで、雷を発する力を持っているけれどね」
「アンデッドはどうです?」
「あれは冒涜の研究だ。どうやら魔素には一定の方向性が持たせられるようなのだ。当時は私以外にもその研究をしているものがいたから、おそらくその研究に成功したか、失敗して暴走させたかしたのだろうと推測しているよ」
「なるほどです……。楽園の外には魔物いるですけど、あれはブロンテスさんが作ったです?」
「いや、関与していないね。おそらくここから漏れ出す魔素にあてられたのだろう。できる限り漏れ出さぬよう制御しているのだが、付近だとどうしてもなぁ……。野性で育つと生存競争が厳しいだろう。だからどうしても栄養を取りやすくするため、雑食になっていくんじゃないかな?」
色々と質問してから、モンタナはしばし逡巡したのち、しっかりとブロンテスの顔を見上げてさらに尋ねる。
「ブロンテスさんは鍛冶もすると聞いたです。ものに魔素を込めると、どんな効果を出せるかとか、詳しいです?」
「……研究の一つではあったね。切れ味が通常より上がる、丈夫になる、というのが基本だ。しかしそれ以上になると、私が生きた時代より、さらに前の時代の技術の方が優れていた。あまり役に立てそうにない、すまないね」
「そですか……。でも、参考になったです」
「おそらく私の前の時代は、武器や防具に魔素を込めることで強化し、戦いを有利にしてきたのだろう。魔道具のような大味な戦いではなく、今の時代のような人と人との戦いが主流だったのかもしれないね」
「遺跡、探すしかないですか」
ブロンテスは顎を撫でながらしばし考えてから「そうだ」と言って手を叩いた。
「当時他の国との交流を絶っていた【神龍国朧】という国があった。ここから南東に行ったところにある島国なんだがね。古い技術を受け継いできた国だったから、そこに行けば何かいい手掛かりがあるかもしれないよ。ああ、ただ、もし行くのであれば気を付けてほしい。そもそも人同士で年中殺し合いをしている野蛮な国だったから、今もあるのかどうか……」
「あるですよ、まだ」
「……まだあるんだ」
学問の徒として生きてきたブロンテスは、表情をひきつらせながらぽつりとつぶやいたのであった。
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