研究者
ブロンテスの家、といっていいのか、その四角い建物には光を取り込む窓が見当たらない。しかし中は不思議と明るい。
見上げてみるとどうやら天井全体がガラスのようになっており、太陽の光がそこから降り注いでいた。
左右に首を振ってみると、壁の高い位置に照明のようなものがついている。それはこの世界に来てから見た松明やランプのようなものではなく、ハルカの元居た世界にあったものに近い形状をしていた。
ブロンテスが広間にある大きな扉を開け、その間にハルカたちは部屋へ入る。そこには大きなテーブルと椅子が一セットと、人が使うくらいの大きさのダイニングテーブルと椅子が用意されていた。
右奥に巨大な台所。左奥には人サイズの台所。
どちらも綺麗に掃除されており、ブロンテスが几帳面な性格であろうことが窺えた。
「何か出してあげたいところだが、この大きさだと難しくてね。昔はドワーフたちがそちらを使っていたものなのだが……。最近は掃除するばかりで使っていないから、使うことはお勧めしない」
「お構いなく。こうしてお話をする機会を設けていただいただけでもありがたく思っています」
「礼儀の正しいことだ。好きなところに腰かけるといい」
ブロンテスは着席を勧め、まずは自分から椅子を引いて腰を下ろした。どの仕草も悠然としており、相手を脅かそうという意図を全く感じない。意識してそうしているのだろうということがわかって、ハルカも恐縮しながら椅子に腰を下ろした。
全員が座ったのを確認してから、ブロンテスはまた口を開く。
「さて、ご存じのようだが名乗っておこう。私がこの楽園に住むブロンテスだ。かれこれ千年近くここを住処にしている」
「ハルカ=ヤマギシと申します。冒険者をしております」
「冒険者、という存在は寡聞にして知らないが、おそらくたまに山に登ってくる武器を持ったものたちのことなのだろう。楽園の外壁付近を歩くようなことがあればわかるようにしているのだが、君たちは空でも飛んでやってきたのかな?」
「お察しの通りです」
「それにしては物音もしなかった。世界はそれほどに技術が進歩しているのだろうか? どんな乗り物にのったのかな?」
「あ、いえ、魔法を使いました」
「魔法、なるほど。ところでハルカさんは先ほどからすさまじい魔素を纏っているようだが……、そろそろ警戒を解いてはもらえないだろうか? 別に不意打ちをしようというわけではないんだ。それだけの力を使い続けては、あなたの体の方が参ってしまうのではないかな」
「……見えるですか?」
静かに周りを見回していたモンタナが、ブロンテスを見上げて尋ねる。
「見えるというのは、魔素のことだね。ああ、見えるとも。このモノクルは魔素を確認するための道具なのだよ」
「そんなものがあるですか……」
モンタナが驚いた顔をしてみせると、ブロンテスは嬉しそうに笑う。
「当時も偶然にできた産物でね。無機物に魔素を込め続けたら何が起こるかという実験によってできたものなんだ。本来の推測だと、魔素を込め続けたところで無機物の性質は変わらないとしていたのだけれど、それでは面白くないといろんな鉱石をひと固まりにして放り込んでみたところ、突然透明な岩に変容してね。何とこれを通して世界を見ると、魔素が可視化できるじゃないか。……ただ再現性がなかった。同じことを何度繰り返しても、この透明な岩は作り出すことができないままだった。魔素を研究するものとしては認めたくないところだが、まぁ、世の中には奇跡があるということなのだろう。温度か、湿度か、発生した魔素の違いなのか、もしかしたらそのすべてかもしれない。あるいは我々の気持ちがそこに影響した可能性すらある!」
だんだんと早口になり、最後は天井を見上げて話し切ったブロンテスは、そのまま動きを止めてからぽりぽりと頭をかいた。
「失礼。久々に話したせいで少し興奮したようだ。これはね、その時実験に関わっていたものたちだけでこっそりと分け合って作ったものなんだ。なかなかお洒落だろう?」
誤魔化そうとしておどけてみせたブロンテスだったが、瞬きを繰り返すばかりのハルカたちを見て、やや体を縮めて続ける。
「しゃべり過ぎてしまうのは私の悪い癖なんだ。驚かせて本当に申し訳ない」
「……いえ、なんとなくブロンテスさんの人柄が少しわかったような気がします」
「そうかい?」
「はい。それから、この体にまとっている魔素は常にこんな状態ですのでお気になさらないでください」
「寝てる時もこうです」
「にわかには信じがたいけれど……、それならば気にするのはやめとしておこう」
「お願いします」
ブロンテスは居住まいを正すと「さて……」と言って、少し前かがみになって両掌をこする。
「では君たちがこの楽園に来た理由を伺おうかな。最後にドワーフたちと話した頃の状況と私の推測によれば、巨人族と人族の関係はあまり良好ではないと思っていたのだが……。世界の情勢は変わったのかな?」
若干の期待が込められたようなその表情に、ハルカは申し訳なく思いながら返事をする。
「いいえ、おそらく推測されている通りの状況です」
「やはりそうか……。何、気を使わず真実だけ教えてほしい」
「……誤解のないように最初にお伝えしておきたいのですが、私たちにはブロンテスさんと争う意思はありません」
「うん、そうでないと私としても困ってしまう。どうも君たちは強そうだからね」
千年も生きている巨人族だからその実力は計り知れないのだけれど、どうもブロンテスはあまり腕っぷしには自信がなさそうだ。
「……世界的に見て、人族と巨人族の関係は良くないでしょう。人族は巨人族に限らず、吸血鬼やリザードマンなどを一括りに破壊者と呼んで敵対視しています」
「成程ね。それでは君たちはなぜここに?」
「……ドワーフたちに、ここへ向かっている人族を止めるように頼まれました」
「うん、それだけならばここに来る必要はないはずだね」
ブロンテスは考えるように太ももにおいた指を忙しなく動かしている。自分なりの推測を立てながらハルカの話を聞いているのだろう。
「ここへ来たのは……」
「うん、ここへ来たのは?」
「ええと……、長く生きているというブロンテスさんと会ってお話をしてみたかったから、でしょうか?」
歯に衣着せず言ってしまえば、好奇心でやってきた、である。
「それだけかい?」
「細かい事情を抜きにすればそれだけです……。静かに暮らしていらっしゃるのに、お騒がせして申し訳ありません……」
ハルカはブロンテスが巨人と聞いていたから、もっと野性的な生活をしているとばかり思っていたのだ。
勝手な想像による偏見。
自然で自由に暮らしているからといって、アポイントもなしにいきなりに訪ねていいというものではない。しかし元の世界の普通の社会人を思わせるほどに理知的な相手であるとまでは想像していなかった。
勝手に庭に入り込んでドアをノック。受け入れてもらえたことをいいことに、目的も告げずにお宅にお邪魔しているのが今のハルカ達だ。
「いやいや、そんなに気にしないでほしい。私も元々人が嫌いなわけではないんだ。どちらかといえば君たちのような素直な人たちは好きな方さ。顔を上げてくれないだろうか」
「すみません、手土産の一つでも持ってくるべきでした」
「うーん、それじゃあ土産話でも貰おうかな。数百年前から下界と交流せずに暮らしてきたから、聞かせてもらえるだけで十分君たちを歓迎する理由になる」
「ありがとうございます」
ハルカが座ったまま頭を下げると、椅子をぎこぎことこいでいたアルベルトが、口を開けてブロンテスを見上げて言った。
「……めちゃくちゃいい奴じゃん」
「アルは黙ってて」
すぐさまコリンがその後頭部を叩くと、ブロンテスはそれを見て「ははは」と肩を揺らすのだった。
 





