雲をつくような
どんな魔物がいるかわからないので、ハルカたちは念のため障壁から降りずに移動する。
「さっきの光ったの何です?」
「原理を説明するのは難しいのですが……、雷のようなものですね。ほら、冬に鉄を触ってるとパチリとすることがあるでしょう」
「あるー、結構びっくりするんだよね」
「あれがちょっと強くなると……、ほら、岳竜街であった傭兵のトルスさんの剣のようになります。人の体って、微弱な雷が通ってて……、あれ、合ってましたかね、これ……?」
説明しているうちに自分の記憶を疑い始めたハルカは首をかしげる。
そして正誤以前に、この世界では違う原理で動いている可能性だってあることに思い至り説明を改める。
「とにかく、雷に当たると人は大体死にます。危ないので安易に近づくのはやめましょう」
「死ぬのか。ってことはあの羊って結構強いんじゃねぇの?」
「そですね」
「見た目かわいいのに……」
振り返ると羊の群れたちからはもう光が上がっている様子はない。きっと見たことのないハルカたちに警戒しての威嚇だったのだろう。
古びた家々の間を抜けて、唯一しっかりとした形を保っている巨大な建物の前に着くとハルカたちは障壁を降りて、同じく巨大な門の前に立った。扉の高さがおよそ十メートル。
そこから巨人の身長はそれよりも小さいのではないかと推測できた。巨人の住む場所〈ディグランド〉にいた一番大きかった巨人と同程度の身長ということになるだろうか。
仲間たちが扉の大きさを確認するために上を向いている間、アルベルトは首を左右に振ってドアノッカーを探してから、見当たらないのを確認して即座に扉に拳を三度叩きつける。
ゴンゴンゴンと大きな音が鳴って、ハルカたちも驚いてそちらを見ると、アルベルトは息を吸い込んですでに声を発する直前だった。
「おーい、誰かいねぇのかぁ?」
大きな声が扉に跳ね返って楽園に響く。
しかしそれが過ぎ去ると、楽園の中は再び自然の音だけに支配された。
そしてその自然の音の中に一つ鈍い音が混じる。
コリンがアルベルトの後頭部をしばいた音だった。
「馬っ鹿! もうちょっと穏やかにできないの!?」
「いや、普通にノックしただけじゃねぇか!」
「扉壊しそうな音してたじゃない!」
「こんなでかいんだからあれくらいしなきゃダメだろ!」
二人が言い争う間、モンタナはじっと建物の方を見続けている。
この様子だと中にブロンテスがいそうだなと判断したハルカは、同じく扉から少しずれて待機していたのだが、やがてジーッという妙な音が響いてきた。
やがてずしんと大きな足音が響いてきて、想像の三倍はあろうかという巨人が建物の陰から姿を現した。
その一つ目の巨人は肩に棍棒、というより巨木をそのまま引っこ抜いてきたようなものを担いで、じろりとハルカたちを睨みつけた。
よくもまあこんなに巨大な体が家の陰に隠れていたものである。
「でっかー……」
驚きのあまり口を開けてそれだけ呟いたコリン。
こぶしを握りやや興奮気味なアルベルトと、首をかしげるモンタナ。
ハルカもまた、妙な音と、足音が聞こえる方向に違和感を覚え、モンタナ同様首をかしげていた。
「楽園へ何をしに来た。直ちに立ち去れ」
ひび割れたノイズのような声が頭上から落ちてくる。
「害をなすために来たわけではありません! ただ古くから生きているあなたにお話を……」
「お前らなぞ簡単に踏みつぶせるのだ。十秒だけ待ってやる」
ハルカの返答に一切の反応を見せずに、頭上から響く声が続く。
取り付く島もないとはこのことだろう。カウントダウンが始まって焦ったハルカは、もう一度声を張り上げる。
「お話を聞かせていただきたいだけなんです! ドワーフの方々にあなたの人柄を聞いて参りました!!」
「七、六、五ぉ」
「聞こえてないんでしょうか、それとも交渉の余地がない……?」
「……ハルカ、あれ偽物です」
「へ?」
「本物、この扉の中にいるですよ。魔法、です、多分」
「ホントなの!?」
コリンが顔をひきつらせながら確認すると、モンタナははっきりとうなずいた。
「しかも、多分質量もないです。魔素があまり使われてませんし、姿を映すだけの魔法だと思うです。攻撃力はないです」
そういわれて観察してみると、時折その巨人の輪郭がジリリとぼやけるようになることにハルカは気が付いた。
音の出る場所の違和感、音割れしたような声、ぶれる輪郭。
「忠告を聞かぬ愚か者め。よし、踏みつぶしてやるぞ」
「ちょ、ちょっと、逃げたほうが良くない!?」
「偽物なんだろ? 大丈夫じゃね?」
「なんでアルはそんなに余裕なのよ!」
「だってモンタナが大丈夫って言ってんじゃん。いざとなったらぶった切ってやるよ」
「ああ、もう!」
「一応障壁を張ります!」
「お願いハルカ!」
コリンがぎゅっとハルカの腕に抱き着き、巨人の大きな足が持ち上がる。
頭上に小さく丈夫な障壁を張る。広くすべての体重を受け止めるよりも、その方が障壁にかかる負担は小さくなるからだ。いざとなれば足が完全におろされた後からでも反撃はできる。
しかし、その巨大な足は地面から浮いたまま動きを止めた。
そしてジジっという音がして巨人の姿がぶれ、足が振り下ろされる前にその姿が消える。
「……ほんとに消えた」
コリンが呟くと、今度はゴリゴリと音を立てて扉がゆっくりと動きだした。
ハルカたちは扉の前からよけて、その動きをじっと見守る。
観音開きの扉が途中まで開くと、そこには確かに巨人がいた。
スーツのような服を身にまとい、大きな一つ目にモノクルをひっかけた禿頭の巨人だった。身長は最初の想定通り八メートル程度。
ぽりぽりと頭をかいて、すこし首を前に出してハルカたちを見下ろして口を開く。
「あの律義なドワーフたちの紹介ならば、最初に教えてほしいものだ。乱暴にドアを叩かれたからそういった類のものたちかと思ってしまった。驚かせて悪かったね」
巨体に恥じぬ低い声をしていたが、そこにははっきりとした理性が宿っており、振る舞いも穏やかだ。初めて訪れる家のドアを思いきりノックしたアルベルトの方が、よほど行動に品がない。
「さて、争う気がないというのなら話くらいはしてみよう」
「ブロンテスさん、ですか?」
「いかにも、私がブロンテスだ。さて、私の言葉は変でないかな? なにせ人と話すのは数百年ぶりになるからねぇ」
ハルカの問いかけに穏やかに対応したブロンテスは、目を細めて自信なさげに笑ってみせるのであった。





