鉄羊は電気羊なのか
大方予想していた通り、巨釜山は頂上へ近づくほど背の高い樹木が減って地表があらわになっていた。とはいえ草花や低木はあちらこちらに生えており、大型の動物もうろついている。
草をはむ鹿のような生き物の群れを見つけて、魔物なんか本当にいるのだろうかとハルカは目を凝らす。
「あの辺、何かいるです」
モンタナが指さしたのは、生き物が身を隠すのにちょうどいいくらいの低木が茂っている場所だった。ハルカは障壁を前に進めることをやめて、事の行方を観察する。
やがて群れの一匹がふらりとその低木に近づいたとき、影が三つ飛び出し、そのままその首筋と前足後ろ足にかぶりついた。
その生き物はタヌキのようにも見えるけれど、それにしては牙と爪が鋭く、かぶりつくや否やそのまま肉を引きちぎりにかかる。
首元のそれが無茶苦茶に体を振って皮を食いちぎり地面に着地すると、直後鹿のような生き物が首をぶるんと上から下へ大きく振った。
着地したタヌキもどきを角で引っ掛けたかのように見えるその動きだったが、タヌキもどきはなぜか胴体が真っ二つに裂けて左右に転がっていった。
血に濡れた角が太陽光を反射してギラリと光る。首元から血を噴出しているというのに、盛大に体を揺すって残ったタヌキもどきを弾き飛ばした鹿のような生き物は、妙な雄たけびを上げると、力尽きてその場にどうと倒れ込んだ。
生き残ったタヌキもどきは倒れている鹿のような生き物に慌てて走り寄ると、柔らかい肉を噛みちぎって低木の中へと逃げていく。
群れが気づいて駆けつけたときには、そこにあったのは仲間の亡骸だけになっていた。
群れが仲間の死体を囲み首を垂れる。
「どちらも魔物、なんでしょうか。魔物の群れにも仲間意識みたいなのがあるのかもしれませんね……」
まるで黙とうをささげるような仕草に、ハルカが目を逸らしてしみじみと呟く。
「……いや、違うだろ、よく見てみろよ」
ハルカはアルベルトに言葉を否定されて視線を戻す。
すると何やら死体を囲んでいる鹿の首が動いている。少し身を乗り出してじっと見つめて、ハルカはようやく何が行われているか理解した。
あれは、ただ共食いをしているだけだ。
「野生って厳しいよねー」
「……結構危なそうですね、この辺は」
ハルカは山頂を遠い目で眺めながら呟く。
今回は未知なる出会いに思いをはせたのではなく、ただ恥ずかしくて現実から目を背けているだけだった。障壁が少しずつ移動しているのは、早くここを離れたいというハルカの意思の表れだろう。
「ですね。熊の魔物も、狼の魔物もいたです。三級冒険者ぐらいだとパーティ組んでてもかなり危ないかもです」
「でも標高の低いとこにはほとんどいなかったよね、なんでだろ? あっちの方が簡単に獲物も見つけられそうだけど……」
「……多分ですけど、魔素の濃さのせいです。なんだか山頂に近づくにつれて、漂ってる魔素が少し濃くなってるですよ。この辺りに生えてる草花も、下の方に生えてるやつと違うです。魔素を多く含んでる、ように見えるです」
魔素を多く取り込むことで生き物は魔物化する。
山頂に近づくにつれて魔素が濃くなっているということは、この山頂が特別魔素が噴出しやすい場所である可能性がある。
最古の真竜であるグルドブルディンによれば、魔素溜り。
「……グルドブルディン様は、魔素が濃すぎるとよくない、みたいなことを言っていましたよね。ブロンテスさんは大丈夫なんでしょうか? それに、私たちに悪影響とかは」
「このくらいの魔素の濃度で体に悪影響があるとしたら、ハルカの周りにいるだけでダメになってるです」
「え?」
「ハルカの周りはいつも魔素が渦巻いてるですし、魔法使ったときはそれがもっとこう、うねるですよ」
「……そうなんですか?」
「そです」
「視界、悪くなってたりしませんか?」
「慣れたです」
「なんかすみません」
一緒に冒険をし始めて三年目にして驚きの事実だった。
つまりモンタナは今まで、霧の中、それも濃度が変わるようなそれの中で索敵したり戦ったりしていたということである。
「もしかしてモンタナがいつも目をちゃんと全部開けてないのって、私のせいだったりしますか?」
「それはいつものことです」
「あ、そうですか」
気の抜けた会話をしながらもハルカ達をのせた障壁は、見る間に巨釜山の山頂へ近づいていく。外からは見えないけれどその天辺には楽園があるはずだ。
太陽が丁度真上に差し掛かったころ、いよいよハルカたちはその楽園の外の壁の前にいた。少し離れて入り口のようなものがないか確認してみたものの、それらしき穴は見当たらない。
だとしたらかつてのドワーフたちはどこから外へ出たのだろう、なんて話をしながらハルカは障壁の高度を上げる。
高い壁を越えたところで、噴火口のようになっている山頂をハルカたちはいっせいに覗き込んだ。
楽園。
そう表現していいのかわからないけれど、そこは確かに山頂という言葉から思いつくような景色ではなかった。
まず目についたのは草原。
そしてその一角にある、古びた崩れかけの家群と、やたら丈夫そうなスケールの大きな角ばった建物。
中心部に湖があり、その奥には豊かな樹木が並んでいる。
ゆっくりとその中へ入り込み高度を下げていくと、草原を歩く赤銅色をしたもこもこの群れを見つけることができた。
「あれ、鉄羊じゃねぇの」
「わぁ、もっこもこだ……、ちょっとかわいいかも」
「なんかぱちぱち音するです」
「……なんか、聞き覚えのあるような?」
モンタナの言葉に、ハルカは目を閉じて耳を澄ませる。
なんとなく懐かしいようなその音の正体に、ハルカはすぐに気が付いた。
「あ、これ、静電気かも……」
呟いた直後、鉄羊の群れの真ん中がぴかっと一瞬鋭い光を放った。
「な、なになに!?」
「……なんだあれ」
「びっくりしたです」
「うーん……、鉄羊、あまり近づかないほうがいいかもしれないです」
山頂付近にいた魔物たちと同じように、この鉄羊たちもどうやらちゃんと魔物のようである。
そのことに気が付いたハルカは、そっと高度を上げて巨人、ブロンテスの姿を探すことにしたのだった。





