山登り集団
しょっぱい匂いに釣られて店頭に近づいたハルカは、こんがりと良い色をしたパイ生地を見て首を傾げる。
パイ生地を見てアップルパイを連想したのであるが、やはりシナモンの香りもリンゴの香りも漂ってこない。
どちらかと言えばパスタ。トマトと香草の香りがする。
「これ、えーと、三つください」
「あいよー」
クルクルと紙に巻いて手渡されたそれは、まだほんのり温かい。生地の照りと香りが食欲をそそる。
「なにそれ?」
「わかりませんが、いい匂いがしたので。美味しかったらあげます」
「美味しくなかったらどうすんだよ」
「……美味しそうなので大丈夫です」
店主の前で気を使わないアルベルトを適当にあしらいながら雑踏へ戻る。
人はたくさんいるが、よそ見していなければぶつかるほどではない。よそ見していなければ。
紙を少しだけ剥いてかじりつくと、どろりとした赤いソースがあふれてきた。具はおそらく茄子系の何かと魚。ぱりぱりとした表面の生地と、ソースに触れて柔らかくなった生地の触感が面白い。
こぼれそうになったので慌てて大きく口を開けて二口目をかじる。
中身も火傷するほど熱くはないので、丁度食べごろで買えたのだろうと、ハルカはご満悦だ。
「うん、美味しいですよ」
一つずつ手渡して食べながら歩く。
食べ歩いていると会話は少なくなるが、それはそれで時間の流れがのんびりとしていて、休日感があって悪くないとハルカは思っている。
午前中いっぱい街をふらついてみたが、この街では珍しくアルベルトがよく立ち止まって店を眺めている。
その理由は単純で、武器や防具を売っている店が多いからだ。クダンからもらった剣があるから、新調する気は全くないのだが、それはそれ、これはこれということらしい。
買わないにしても武器や防具には興味があるのだ。
店番も立派な武器を装備した一行が覗いてくると、それなりに気合を入れて接客してくれる。アルベルトは好き勝手に見たいだけなので鬱陶しがっていたけれど、コリンやハルカにとってはいい暇つぶしになった。
しかし結局買うものがあるわけでもないので、ハルカとしては相手をしてもらうだけ申し訳ない気持ちもある。
アルベルトが特別じっくり時間をかけた店では、ついにハルカは頭を下げて謝った。
「買いもせずに長居してすみません」
店番のドワーフは大きな目をさらに丸く見開いてから腹を抱えて笑った。
「エルフの姉さんよ、一点ものの武器や防具ってのは見ての通り高価なもんさ。一見で買ってもらえるなんぞ思っとらんて。うちのもんがいいと思ったら、知り合いの冒険者にでも紹介してくれ。ほれ、そこにあるのがうちの看板だ! 申し訳ないって思うなら覚えて帰っとくれよ!」
「ああ、そういうものなんですねぇ」
「立派な杖持って変な姉さんだなぁ、わはは」
笑い声に見送られて店を離れると、コリンも笑って言う。
「ハルカってホント律義だよねー」
「こういう店で買い物をしたことがないもので……」
「変なの。で、アル、あの店はどうなの?」
「ん? おう」
すでに次はどこの店に立ち寄るか考えているのか、アルベルトはあっちこっちに目を向けながら答える。
「いい剣置いてた。この街の武器大体いいものだよな。今のところなまくら置いてる店はねぇよ」
「へー……結構いっぱい見たのにね」
「あの、通常はなまくらなんて置いてあるんですか?」
「あぁ、ハルカは知らねぇもんな。ほら、たまに店でまとめてバケツに突っ込んであるやつあるだろ。あれ、なまくら」
「なんでそんなものを置いてるんです?」
「弟子とかが練習で作ったやつなんだろうな。……でもなんで置いてんだ、確かに」
アルベルトまで首をかしげると、コリンがため息をついて解説を始めた。
「アルは武器屋に寄るけどその辺知らないわよね。使ってる剣、全部もらったやつだし」
「親父のとクダンさんのだからな」
「でも普通は冒険者になるのに、人から装備なんかもらえないの。街の外に出るときに有り金叩いてはじめての装備を買うの。って言っても、生活もあるからそんなにお金なんかないでしょ。そんなときに、ああいう数打ちのやつを買うのよね」
「……でもたまに、ただの棒と変わらねーようなのあるぜ」
「だから安いんじゃない」
「ふぅん」
ハルカは二人の会話を聞いていてハッと気づく。
実はコリンはもちろん、モンタナもアルベルトも、恵まれた環境から冒険者になったタイプなのだ。本当に冒険者になるしかなくてなったような者たちとは始まりからして違う。
先ほどの女冒険者や、【金色の翼】に身を寄せるような者たち。いろんな町へ行くたびに出会う、路地裏で暮らす子供たち。身近なところならば、きっとレジーナだってそのタイプだ。
拠点に帰ったらレジーナやエリの話をもっと詳しく聞いてみようと思いながら、ハルカは神妙な面持ちを浮かべた。
そうして歩いているうちに昼頃に冒険者ギルドの付近へたどり着く。
ハルカは昨日ちょっと覗いてみたが、アルベルトたちは初めてだ。
折角だから少し覗いていこうと決めたところで、ギルドの中から集団が湧いて出てきた。
先頭には妙なステッキを持ち、口ひげを伸ばして油でピンと固めた男。額に妙に皺が多いから、それほど若くないのだろう。その割には背筋が伸びてかくしゃくとしている。そして後ろから若い冒険者らしき集団がついてくる。皆一様に目がキラキラしていて楽しそうだ。
そしてなぜかその最後尾には、ドワーフらしき背の低い老人が酒を呷りながらついてきている。
しかしその恰好が妙だった。
草履のようなものをひっかけ、ぼろぼろの道着のようなものを身にまとっているものだから、ドワーフというより、別の何かにも見えてくる。
「わ! 師匠!」
「んん? お、なんじゃ、金持ちのとこのコリン嬢ちゃんじゃねぇの」
寄ってきた老人に、アルベルトが眉をひそめて腕で口元を覆う。
「うわ、酒くせぇ」
「なんじゃお前は……お? もしかして嬢ちゃんと一緒にいた生意気なガキか? 随分でかくなったのう。……んん? ってことはこの別嬪さんも知り合いか?」
酒臭い息を吐きながら近寄ってきて、まじまじとハルカの顔を覗き込む老人。妙なプレッシャーにその場で硬直したハルカだったが、老人はやがて頭をぼりぼりとかいて「いや、知らんのう」と引き下がった。
「何してるんですかー、こんなとこで」
「おう、この街酒がうめぇんじゃよ。んで、金が尽きたから金持ちそうなやつの依頼受けた」
「お酒ばっか飲んでると死んじゃうよ、ゴンザブロー師匠」
「すでに死にぞこないじゃからな、ふはっ、ふはっ!」
コリンがゴンザブロー師匠と呼んだ老人は、変な笑い方をして体を揺する。
「……あの、確かゴンザブローさんって、コリンの体術の師匠でしたよね?」
「うん、そう。毎日好きなだけ酒飲ませるって条件で師匠してもらってたみたい」
「ドワーフだったんですね。『朧』の人だって言ってたからてっきり……」
ハルカがこそっと言うと、コリンは噴き出して笑う。
「ぷっ、ゴンザブロー師匠、ドワーフみたいだって!」
「ふはっ、ふはっ! だぁれがドワーフじゃ、儂はただの背が低いだけの人間じゃ。でもドワーフに似てるお陰でこの街じゃ暮らしやすいんじゃよなぁ」
「うん、師匠馴染んでるもん」
「馬鹿にしとるな? まったく、ちゃんと鍛錬積んどるんじゃろな?」
「うーん、まぁ、ぼちぼち」
「ま、期間限定師匠じゃったし、うるさいこと言わんわい」
なかなかおおらかでユニークな師匠のようだ。種族を間違われても冗談で済ますし、コリンとも楽しそうに言葉の応酬をしている。
どんどん離れていく冒険者たちをハルカが目で追いかけていると、気づいたコリンがゴンザブローに尋ねる。
「師匠、おいてかれちゃうけどいいの?」
「いいんじゃよ、どうせこの辺の一番高い山登るって言っておったから、行先はわかっとるんじゃ」
「ふーん、何しに行くの?」
「知らん。儂は護衛するだけじゃ。できるだけピンチになったところで助けて、余計に吹っ掛けてやりたいもんじゃのう。しばらくこの街にいるなら、後で型でも見てやろうか?」
「うーん、後でまた会ったらでいいかも」
「どーせ金持ってるんじゃろ、酒の一杯や十杯くらいおごってくれ。それじゃ、またの」
勝手に約束をして歩いていってしまったゴンザブローだったが、お金のことにうるさいコリンが断りを入れない。
小さいけれどがっしりとした背中が離れていってから、コリンは肩をすくめる。
「世話になったししょうがないか、お酒くらい」
「愉快そうな方ですね」
「まーねー。あんな人だけど稽古では笑いながら追い詰めてくるから、初めの頃すっっごい嫌だった」
「泣いてたもんな」
「アルは逃げたでしょ」
「だってあいつ酒くせぇし」
「私はあの人に認められないと冒険者になっちゃダメって言われてたからさー……、って、まぁいっか、昔のことは」
一度言葉を区切ったコリンは、そのままゴンザブローの去っていった方を眺めながら呟く。
「それにしても、何しにいくんだろうね、あの人たち。師匠以外強そうな人いなかったけど」
「高い山登るとか言ってたよな、そういうとこって大体強い魔物いるけどな」
「大丈夫なんですかね?」
「まー、師匠がいれば……。でもさー、なんか気になるよね。……調べてみよっか?」
「よし、調べるぞ」
「……まぁ、そうですね」
コリンはいたずらっぽく笑う。
折角遠出してるから、土産話の一つや二つ欲しい。
好奇心十割の二人と、ちょっと心配も混じっているハルカは、とりあえず冒険者ギルドで情報を集めることにするのだった。





