乾杯の言葉
日が落ちる頃まで話した頃、オーヴァンが唐突に立ち上がって工房へ向かい歩き出した。
「あら、もうそんな時間なのね。ちょっとごめんなさいね、仕事終わりの時間みたい」
「いえ、もう夕方なんですね。随分とお時間をもらいましたが、ご予定とかは……」
「息子が帰ってきたんだもの、予定なんて全部ないようなものよ。私はお酒の準備だけしてくるから、そのまま待っててね」
このまま当然のように酒宴に移行するらしい。
もともと工房のドワーフたちが夜には浴びるように酒を飲むという話を聞いているから驚きはない。
二人が席を立った隙に、ハルカはモンタナに話しかける。
「工房の方とお話しする準備はできてますか?」
「……大丈夫です。久しぶりに見たですけど、みんな不安とか、戸惑いとか、そんな思いを抱いてるだけでした」
「それは、大丈夫なんでしょうか」
「多分、僕も逃げてたですよ。覚悟もなく楽しく鍛冶をしていた僕は、皆の気持ちに向き合うことができなかったです。頑張ってることで後から始めた人に追い抜かれたら、悔しい気持ちとか、焦る気持ちとか絶対あるです。その中に憎らしいと思う気持ちが混ざることだってあるです」
モンタナは当時の状況を思い出して、何度も何度も考えてきた。
家から出たばかりの頃は向き合えなかったけれど、一生懸命強くなろうと努力して、アルベルトと切磋琢磨し続けて気づいたことだった。
アルベルトはモンタナに負けると、憎いとまでは行かないまでも、悔しいという気持ちを全力で前に押し出してくる。それはモンタナが目を使わなくても分かるほどはっきりしたものだった。
アルベルトがハルカの強さを見るたび、それと同じようにどん欲に強くなろうという気持ちを抱いていたことも知っている。
理解できない力を目にしても、そこを目指すことができるアルベルトを見て、モンタナは学んだ。悔しいと思うことは相手を嫌うこととは違う。
よく見ていれば当時だってきっとわかったはずなのだ。
しかし一部の者の負の感情だけを見て、賢しらに未来を悟ったような顔をして、他の全てから目を逸らしてしまったのだと反省していた。
当時のモンタナの鍛冶技術にはむらがあった。
魔素を取り扱うことに関して言えば確かに一流だったのかもしれないけれど、鉄と向き合うには体が足りなかったし、火と向き合うには技術が足りなかった。それを父であるオーヴァンが補っていたからこその結果であったと、今ならば理解できる。
もしあの時ブランコとの勝負を受け入れていたら、鼻っ柱をへし折られて、今頃ちゃんと鍛冶に向き合っていた可能性だってあったと思っている。
上には上がいること、勝負に絶対なんてないことを、モンタナは冒険者として学んできた。
だからもう一度ちゃんと正面から向き合ってみて、それからどうするか決めることにした。
「嫌われるの、怖かったですよ。だからちゃんと見れなかったです」
「お前、そういうの気にしなさそうだけどな」
「アルに言われたくないです」
アルベルトはコリンから後頭部を軽くしばかれ、モンタナからはズバッと反論される。
モンタナも自分が両親と血のつながった息子でないと知っていたからこそ、人との関係を極端に気にしてしまっていたのだろう。そして誰もが少しずつ遠慮して気を使っていたからこそ、その問題が解決しないまま、モンタナは家を出ることになったのだろう。
「もう大丈夫なんですか?」
「……大丈夫です。僕は冒険者で、仲間がいるですから」
「モン君……」
コリンが思わず声を漏らし、ハルカは涙腺が緩みそうになって鼻をこする。
ちなみにアルベルトは「ふーん」の一言で済ませたが、何も感じていないわけでもないのか、ほんの少しだけ笑っていた。
しばらくするとブランコを先頭にどやどやと職人たちが入ってくる。座っているモンタナを見て、それぞれ鼻の頭をかいたり軽く手を上げて挨拶をしたりするが、話しこむまでいくものはいない。
ハルカたちのいた食堂は広いけれど、工房にいるもの全員が入り切るほどではないようで、来たのはベテランらしき職人ばかりだ。
ブランコがそのまま中ほどまで進み、半分ほど開いていた引き戸を開け放つと、奥から若い連中が庭に入ってくるのが見えた。
いつもこの食堂と庭を使って酒盛りをしているのだろう。庭にもテーブルや椅子がまばらに置いてある。
庭の若者たちの後ろの方から、オーヴァンが大きな樽を肩に担いでのしのしと歩いてくると、それを古びたテーブルの上にどんと乗せた。天板の軋む音で、その樽の重さを想像できる。
姿を消していたディタも、その体が隠れるほどの大きな樽を抱えて戻ってきて、それを床に置いて額をぬぐった。小さな体に似合わない力持ちである。
「誰かこれをそこの台に乗せてもらえないかしら?」
「あ、はい」
何か手伝えることはないかと機会をうかがっていたハルカは、真っ先に立ち上がり、樽の金具に指をひっかけて、ひょいと持ち上げて台の上にのせる。
「あらあら、聞いた通り力持ちねぇ! ありがとう」
「いえ、これぐらいのことなら」
全員に酒がふるまわれる。
木のジョッキを全員が持ったのを確認して、ブランコがそれを掲げる。
「今日も一日よく働いた! 明日の英気を養うとしよう!」
いつもの文句なのだろう、そのタイミングで「おお!」と声を上げた若者が数人。しかしブランコの乾杯の声がかかっていないことに気が付きすごすごとジョッキをひっこめる。
ブランコはそんな若者たちを見て笑ってから、もう一度口を開いた。
「そしてモンタナの帰還を祝して、乾杯!」
むさくるしい男たちが続いて「乾杯!」と各々叫んでジョッキを口に運んでいく。それはモンタナに対して遺恨がないことを示したつもりだったのかもしれないし、もしかしたら、たださっさと酒が飲みたかっただけなのかもしれない。
モンタナはその音頭に合わせて、ジョッキを宙に掲げた。
顔も見ず、言葉も交わさなかった数年間を振り払うように、モンタナはめいっぱい腕を伸ばして「乾杯、です」と口にして、ジョッキに口をつけるのだった。





