実は……
出発当日の朝に、いざナギの背に乗り込もうという段階で、一人の男がおずおずと手を挙げて「あのぉ」と声を発した。いつも農作業をしているカーミラの元犬たちの一人で、その名をベルゲンという。
彼らの中では浅黒い肌をしており、背が低くがっしりとした体つきをしているベルゲンだったが、他と同じように、あまり主張の強い方の人間ではない。ハルカたちが話している途中に割って入るなんて、きっと勇気のいることだっただろう。
後ろには仲間たちとカーミラが控えており、その動向をじっと見守っている。
なんというか、仲間意識の高いことである。
「はい、どうしましたか?」
男の前向きな姿勢を見て、ハルカはできるだけ穏やかに問い返す。どちらかと言えばハルカもまた彼らと同じタイプの人種であるから、その心意気は無駄にしたくなかった。
「あのですね、俺、そのー……、元々大工をやっておりまして……。もし家が必要なのであれば、何かお手伝いができるのではないかなと……。農作業が嫌だとかってことはないんですが……。ほら、最近タゴスさんが一人で小屋を作っているじゃないですか。あれのお手伝いとか……」
「大工さん、だったんですか?」
「へぇ、兄弟が多いので家じゃいてもいなくてもいい扱いでしたが、幼い時から仕事は手伝ってまして……」
「ベルゲンさん!」
「は、はい!」
突然コリンが、眼を泳がせながら話していたベルゲンの名を呼んだ。驚いて姿勢を正したベルゲンにコリンが歩いて近寄っていく。
そしてその肩に手を置いて、にっこり笑った。
「もっと早く言ってよー。得意なことは活かしていかないと! 手伝ってあげて! そのあとはこっちの方でも家作ったりしてくれてもいいから! 必要なものがあったら買っていいから!」
「え、でも勝手には……」
「人がこんなに増えてるんだからどんどん作っていいよ。 もしかして他にもなんかできる人とかいる?」
コリンの勢いに押されてすぐには誰も名乗り出てこない。おそらく誰もがこういう雰囲気が苦手なのだろう。カーミラのことを窺ったりしながらもじもじしている。
「……うまくいかなくたっていいんだから言いなさいよ。せっかく家を離れてこんなところまで来たのだから、ほら」
カーミラの言葉は冷たいようで、口調は少し優しい。
それに後押しされたのか、ぽつりぽつりと男たちが口を開く。
「俺……、あの、一応薬師です」
「俺は、そのー……、干し肉を専門に作ってました」
「家がパン屋ですけど、麦を育ててないので……」
「酒蔵で働いてましたが、その、設備とかがないのであまり……」
「調香師を少々……」
ぼろぼろと出てくる職業の名前にコリンは目を丸くして、得意げにしているカーミラに言った。
「……カーミラ、もっと早く教えてよー」
「あら、この子たちやっと勇気を出して言ってくれたのよ。褒めてあげてほしいわ」
「まぁ、偉い……、うん、偉いかな。んじゃ、ちょっとできることと必要なものとかまとめといてよ。設備とかも用意したいし、ここでできること考えたいし。こっちの役に立つことなら歓迎するから、遠慮せずにちゃんと言うように!」
コリンが大きな声で言うと、男たちはざわついて目を逸らす。
そもそも気の強い者たちではないのだ。カーミラの下へ来るという一心でここまでやってきて、そのカーミラに説得されてようやく今日にいたっている。
「わかったのかしら?」
カーミラが首をかしげて尋ねると、男たちはいっせいに「はい!」といい返事をした。犬ではないといっても、やっぱりカーミラの犬みたいなもののようだ。
コリンは納得いかずに「なにこいつら……」と呟いたが、眉間に寄ったしわを伸ばして振り返り背中を向けたまま手を上げてパタパタと振った。
「ま、そういうことだからカーミラよろしく」
「あら、私は何もしないわよ? この子たちが頑張るだけ」
「あそー、じゃ、それでいいや」
いつの間にかナギの背中に乗っていたアルベルトとモンタナに、コリンも続く。
では自分もと動き出そうとしたハルカに、カーミラが近寄ってきて声をかけた。
「お姉様、どうかしら? 役に立つでしょう?」
「……そうですね。カーミラが色々と話してくれたから、皆も決心がついたんでしょう。ありがとうございます」
ハルカは一瞬どちらのことかなと悩んでから、男たちを説得したカーミラのことを褒めた。カーミラは目を見開いてから嬉しそうに笑う。
「私のことではなかったのだけれど」
「あ、もちろん皆さんも色々と手に職があって素晴らしいなと……」
「ふふ、いいわよ、私のこともっと褒めても」
カーミラが楽しそうにしているので、ハルカはまぁいいかと指先で頬をかいた。
「ママ、気を付けてね」
そんなハルカをみてニコニコして見送るのはユーリだ。
憂いがなくなったせいか、以前にもましてよく笑うようになっている。特にハルカが変なことをすると、天使のような優しい微笑を浮かべるのだが、ハルカにとってはそれが少し悩みでもある。
自分の子供のような気分で接しているのに、なんだか見守られているような気分になるのだ。
「ユーリも無理な訓練しちゃだめですよ。師匠と一緒なら大丈夫だと思いますが……」
「うん」
「どうですかぁ、イースさん。僕も信用されてるでしょう」
「うん。いい弟子を持ってるよね」
「……何か含みのある言い方ですねぇ」
ユーリの後ろで長命の二人が軽口をたたいている。
頼もしいことだ。
「さて、ではしばらく出かけてきます。何事もなければ半月かからず戻ってくると思いますので、その間よろしくお願いします」
話しているときりがない。
ハルカもその場を切り上げて空を飛ぶと、そのままナギの背に乗った。
ナギが浮かぶと下から見送りの声が聞こえてきて、ハルカたちは手を振った。
よく見れば少し離れた場所でレジーナが口をへの字にしたまま空を見上げていた。
これもまぁ、段々と見慣れた光景になりそうな気がする。
一応お見送りには出てきてくれているのだが、皆と一緒にあれこれ言うのは違うらしい。変なこだわりだ。
そんなわけでハルカたちは、また依頼を受けない小旅行へ出発する。
今回の旅の目的はモンタナが工房の人たちや両親に、立派な冒険者になったと報告をすることだ。
しかしこれもまたいつも通りのことだが、旅の主役であるモンタナよりも、一緒にくっついているだけのハルカの方が気を揉み、緊張しているようであった。
 





