予想外の状況
リザードマンの居住地が近づくにつれて、森の足元はぬかるんだ湿地帯になっていく。肌の硬いリザードマンたちにとっては気にならないが、どうにも虫が多い。
その上、火山が近いせいか湿地帯の水は温かく、珍しいことにワニのような大型の爬虫類も生息しているようだ。
きっとアンデッドたちがうろついている時も、ぬかるみの中で暮らしてきたのだろう。
ハルカは空から直接ガ族の里へ向かっているが、そうでない場合はちょっと面倒な道中である。
ガ族の里近くへ来ると、何やらうちにも外にも、やたらとたくさんのリザードマンが行進している。
目を凝らしてみれば、里の外から戻ってくるリザードマンたちの先頭に、一際巨大な姿を見つけることができた。
ニル=ハである。
以前来た時に、連携がなっていなかったとはいえ、レジーナとアルベルトの二人を退けたリザードマンの大戦士だ。
全員が武器を持っているので、何か勘違いされて襲われたら大変だ。少し離れた空の上から、ハルカは手を振って声をかける。
「ニルさん! お久しぶりです!」
「お? おおお、久しぶりだな、陛下ぁ! いい時にきた、ほれ、大勝利だぞぉ」
その大きな手のひらで掴んでいるのは、人型で翼を生やした何かの細い胴回り。バタバタと足を動かし何か騒いでいるので、死んでいるわけではなさそうだ。
「あれは……ハーピー?」
「わははは、陛下、降りてくるといい! ほれ、いきのいいハーピーだぞ!」
「い、今降ります!」
到着して早々訳のわからない事態だ。確かにリザードマンはハーピーと小競り合いをしていると聞いていた。しかし、後ろの列を見てみれば、数十人じゃきかないハーピーが縄で縛られて捕虜にされているようだ。
「いやぁ、ハルカ様よ、これだけの大勝利だと、流石のハーピー共も降伏するだろうよ。これであの山は我らの国だ」
「えぇ……、あの、戦争してたんですか?」
「おおとも。この鶏ガラども、どっから聞きつけたのか儂らの王が人になったと知ったらしくてな、総力戦を仕掛けてきよったんだ。しかも、他勢力の手助けもなくな!」
「な、なるほど、それで……?」
「もちろん返り討ちよ! それで山まで乗り込んで、こうしてまた捕虜を連れ帰ったってわけだ」
まさか一応とはいえ自分の治める国が、知らぬうちに戦争をして、知らぬうちに勝っていたとは夢にも思わない。唖然茫然だ。
「やるじゃねぇか」
そんなハルカを尻目に、腰に手を当てたレジーナはニルに向けて称賛の言葉を送る。
ニルは機嫌良さげに鷲掴んでいたハーピーを地面に下ろし、その縄の先を片手に持った。
「だろうだろう! レジーナと言ったか? もう一歩早ければお前さんも一緒に戦えたというのに、残念だったな! いや、もしそうだったら我らが陛下が無双しておったかもしれんな、わはは」
笑うニルと、いつも通り仏頂面のレジーナ、それから思考が追いついていないハルカ。
先ほどまで捕まえられて暴れていたハーピーの目が光った。
ロープの長さには余裕がある。
足が自由に動く。
目の前の貧弱そうに見える、エルフが、リザードマンの王であるらしい。
ならチャンスがある、そう判断したハーピーは、地を蹴ることに慣れていない鉤爪の足で飛び出した。ハルカを思い切り蹴り倒し、そのまま踏みつけ人質に取るつもりでいた。
レジーナはその動きに気がつき、無造作に手を伸ばし、ハーピーの足首を掴み、そのまま地面に叩きつける。
ハーピーは慌てて手を動かして受け身を取ろうとしたが、残念ながら上半身はロープでぐるぐる巻きだ。
ビタンと地面に叩きつけられたハーピーは、そのまま目を回して意識を手放した。彼女にとって幸いだったのは、地面がややぬかるんでいたことと、致命傷になりそうな石がそこになかったことだろう。
捕虜になっていたハーピーたちから悲鳴が上がる。
「ハルカ、ぼーっとすんな」
「わはは、陛下は丈夫だから大丈夫だろう。それはそうと……」
振り返ったニルは混乱し騒ぐハーピーたちを見て大きく息を吸い込んだ。
「黙らんか! 負け鳥どもが!!」
思わず連れているリザードマンたちですら姿勢を正すような大喝に、その場の騒ぎはビタッとおさまった。
ニルは地面で伸びているハーピーをむんずと掴むと、再び笑って兵士たちに指示を出す。
「ようし、では進むぞ。捕虜共を一所にまとめたら、陛下に戦後報告でもさせてもらうか」
「……えーっと、はい。状況はよく飲み込めませんが、まずはお話を聞かせてください」
ようやく落ち着きを取り戻し始めたハルカだったが、結局今の状況はよく理解できていない。
大歓迎で里の中へ迎え入れられるニルの横を歩きながら、どうしてこんなことになっているのだろうと、答えの出ない問いかけを、自分に投げ続けるのであった。
里の中へ入り、その執務用の建物近くへ行くと、その近くにいくつか檻が増設されていた。中にはハーピーが数十人。連れてこられた仲間を見て落胆の表情を浮かべていた。
リザードマンの兵士たちはまだ誰も入っていない檻に、連れてきたハーピーたちを縛ったまま放り込むと、入り口に縄を何重にも巻き付ける。
周囲では煮炊きがされており、兵士たちがそれぞれ体を休めている。とはいえ、必ず檻の監視のために幾人かが交代で目を光らせているようであった。
檻があまり良い環境とは言えるようではなさそうだ。雨風を凌ぎ切れるようにはできていない。ハルカとしては、どうにも見ていると寒々しい気持ちになる。
あとで環境の改善をしてあげようと思いつつ、ハルカは案内されるまま、ドルが待っているという執務室へ向かうのであった。





