髭面のおじさん
「ちょ、ちょっと行ってきます。ユーリをお願いします」
「はーい、話がついたら買い物ね」
ユーリの手をコリンに預けて、ハルカは軍人たちへ駆け寄っていく。軍の人間に安易に近づくのは誉められた行為ではないのだが仕方がない。
五十人ほどの兵士が規律正しく並んでいる様は、なかなか迫力がある。それぞれが飛び抜けて強いということはないのだろうけれど、引き締まった体と表情をしており、兵士としてきちんと訓練されているのがわかった。
訓示のようなものが始まってしまい、ハルカは中途半端な姿勢のまま足を止める。
「我々の責務は街の安全と安心を守ることにある! 信じ難い話ではあるが、事実を確認せねば街道を歩くものたちは安心できん。……蓋を開けてみれば大きな鳥が歩いている程度のことであろうが、まぁ、決して油断などせぬようにな」
後半で矛盾したことを言って兵士たちの笑いをとった上官は、おそらくユーモラスな、部下に慕われる人物なのだろう。
口髭の生えた口元がにやりと弧を描いたのを見て、ハルカは話しやすそうな人で良かったと、少しホッとした。
「しかし本物であれば手柄の立てどきだぞ! 我らがドットハルト公は勇ましき戦士を評価してくださる。それでは諸君……」
ほっとしてのんびりしていたら、出発してしまいそうで、ハルカは慌てて駆け寄った。
「あの、すみません」
声をかける前に、髭面の男性は振り返っていた。近づいてくる足音に気が付いたのか、しっかり警戒しているようだ。
「む、なんだ、応援か? ありがたいがもう出発の時間だ。気持ちだけいただいておこう」
「いえ、そうではなく。この部隊は竜の目撃を受けて出発するんですよね?」
「まぁそうだ。どうせそそっかしいものが見間違えたのだろうと思うがな」
「その件についてちょっとお話がありまして」
「ふむ。歩きながらで構わんか?」
「もちろん。仲間に声をかけても?」
「……その身なり、冒険者だな? 手柄は渡さんぞ。手を貸してもらっても支払う金もない」
「はい、そういう話ではないので」
「ならば構わんとも。仲間とやらを連れて追いかけてくるといい」
「ありがとうございます」
ハルカは軽く頭を下げてコリンたちの下へ戻る。
「もう話がついたの? あれ、なんか出発しちゃってるけど……?」
「あ、いえ、話を聞いてくれるってとこまで約束してきました。ちょっと追いかけましょう」
「えぇ、街の前まで来たのに。なんでその場で伝えなかったのー?」
「うーん……。ほら、人が見てる中であそこまで準備をしたのに、誤報でしたって帰らせたらバツが悪いでしょう。それに、知らない冒険者である私が本当のことを言っても、それを信じてもらえるとは限りませんし」
「あー、まぁ、そっかー。結局ナギを確認して危険がないって判断してもらう必要はあるのかー。……私がモン君と買い物しておこうか? 別にみんなで行かなくてもいいでしょ」
確かに付き添うだけなら、ハルカだけいれば十分だ。
「そうですね。ユーリはどうします?」
「ママと一緒に行く」
「そういうと思ったー」
コリンはユーリの脇に手を入れて持ち上げて、ハルカに差し出す。追いかけなければいけないので、抱えて行った方がいいとの判断だ。
「つけられてないので大丈夫だと思うですけど、気をつけるです」
ぐるりと周囲を見回したモンタナに忠告されて、ハルカは大きくうなずいた。
「ええ、ありがとうございます」
「ハルカ、用事終わったら戻ってこれる? 荷物を運んでほしいなーって」
「はいはい、できるだけ早く戻りますから。門の外で待ち合わせしましょう」
「はーい。さて、この街は何か面白いもの売ってるかなー」
コリンの意識が街の方へ逸れたところで、ハルカはモンタナの耳に顔を寄せた。
「モンタナ、コリンが迷子にならないように見ていてください」
小声で告げると、モンタナが神妙な顔をしてうなずいた。地図に載るような大きな道は間違わずに進めるようになってきたが、街中で何かに気を取られると、コリンはまだまだ迷子になる。
本人は方向音痴を克服したと思っている節があるので、ハルカはこっそりとモンタナにお願いしたのだった。これで一安心だ。
「それではまた後で」
「はーい、お迎えよろしくー」
意識はすでに街の方へ向いているコリンが、背中を向けたまま手を振った。以前一度立ち寄った時には、夜に来て朝出発してしまったので不完全燃焼だったのだろう。
ちなみにその理由は当時護衛をしていた青年が、旅慣れていなかったのが原因だったのだが。
やや早足で兵士たちを追いかけるハルカだったが、背中が見えてからもなかなか追いつかない。結構な速さで歩いているらしい。結局小走りで兵士たちを追い抜かし、先ほど話を聞いてくれた髭面の男の横に並んだ。
この速さで歩かれたら、ナギたちがいる場所へはおそらく昼前には到着していたことだろう。
「流石冒険者、健脚だな」
「ありがとうございます、それでですね」
「ん? 仲間とはこの子のことか? 子連れとは珍しい」
「他の仲間は街に入って買い物をしています」
「なんだ、私の顔を見ても怖がった様子も見せんとは、おとなしそうな顔をして肝の太い子だ」
「ありがとう、ございます」
顔を寄せて褒められて、ユーリは礼を言ったが、このくらいの年頃の普通の子だったら泣き出していたことだろう。
「なんだなんだ、その上賢いときたか。気に入ったぞ、うちの兵士になるか、ん?」
「……ならないです」
「ぶわっはっは、振られた振られた」
「えーっと、お話よろしいですか?」
「ああ、そうだった。えー、用件はなんだったかな?」
「はい、あなた方が今向かっている先にいる竜についてです」
「竜について? ……ふむ、なにやら冗談を言いに来たわけじゃなさそうだな。わざわざ追いかけて言うことだ、冗談のわけもないか」
じょりじょりと顎の髭を指先で擦りながら、男はようやく真面目な顔をしてハルカと向き合った。