漏れ出す
ユーリが小一時間程エステルさんに可愛がられたのち、ハルカたちはコーディ邸を後にした。
市場であれこれ買いものをするが、ここ〈ヴィスタ〉は他の街より少し、いやかなり物価が高い。また冒険者や旅人向けの保存食や装備は、それほど充実していない。
それだけこの街が独立して発展しているということなのだけれど、冒険者にとってはやはり少し暮らしにくい。
特に保存食など買い込まなくても、多くの場合は外で食べるものを見つけることはできるのだが、備えなくていいわけではない。いつ何が起こるかわからないので、街に立ち寄るたび、保存食は更新するようにしていた。
街から離れてすぐは古い保存食を食べて、それが尽きると森で食材を探す。少しずつ新しい保存食を消費して進みながら、街へ着くとまた新しいものを購入する。
旅することに慣れてくるとこんなルーチンができてくる。旅の商人のように荷を多く運ぶものはその中に食料も詰め込んで、街と街の間ではそれを食べて過ごす。だからこそ道から外れて無茶はできないし、予定が狂うと途端に余裕がなくなる。
これは冒険者よりも商人の方が、道や街の情報収集に余念がない理由でもある。
どちらかといえば商人に近い旅の仕方をしているコーディから地図を受け取ったハルカは、街を出るとそれを広げながら歩みを進める。
地図には町や村の場所を書かれた場所と、最後にその場所を確認した日付がつけられている。また、バツ印と日付がついている個所は、元々そこに村があった場所なのだそうだ。
ユーリと出会った場所にもバツ印と日付が書かれていた。
【ドットハルト公国】や【グロッサ帝国】の主要道に沿ってある村や町の更新日が新しい。少し前の遠征で、コーディがそこを通って情報を集めてきたということなのだろう。
フットワークの軽い人物である。
森に入る前に地図を閉じて、ハルカはレジーナへ目を向ける。
その腕にはユーリが抱かれている。
流石に街の外を歩くのに、ユーリの体はまだまだ幼すぎる。
歩幅も小さいので、少しでも急ぐとついてくるのが難しいのだ。
いつも仲間たちの誰かが抱えて歩いていたが、今日はそれをレジーナが請け負っていた。
初めてのことだったので、レジーナは返事に迷っているようだったが、嫌だともできないとも言わずユーリを抱き上げた。「痛かったら言え」「大丈夫」という二人のやり取りを聞いて、ハルカは一人心を温かくさせたものだ。
二人とも喋っているわけではないが、嫌な雰囲気にもなっていない。
様子を見て代わるつもりだったが、ハルカはふっと笑ってそのまま森の中へ入っていくことにするのだった。
北方大陸は雨が多くはなく、降雪量はそれ程ではない。
とはいえ冬は非常に寒く、火の近くで休まないと夜は凍えることになる。
しかしハルカたちにはナギがいる。
ナギがその大きな体を横たわらせると、まず風があまり来なくなる。その上ナギの体温が非常に高いため、近くにいると非常に暖かいのだ。
獣避けや明かりの意味も含めているので、暖かいからといって火を絶やすことはないのだが、快適なことには違いなかった。
体の表面を火であぶり、背中はナギに預けてハルカたちはのんびりと夜を過ごす。
ユーリから話があると聞いていたので、膝の上に乗せて話し始めるのを待っていた。
「……僕と一緒に逃げてた人は、お母さんの妹。シャナって呼ばれてた」
ぽつりと話し始めたユーリの言葉に、皆が耳を傾ける。その内容に違和感を覚えたアルベルトが何かを言おうとして、コリンに口をふさがれる。
「お母さんは、皇帝のことが好きじゃなかった。無理やり連れてこられたんだって言ってた。でも、二人とも僕のことを好きになってくれた」
小さな手を握ってユーリは、俯く。
ハルカはそのお腹に回した手に少し力をいれて、ユーリの体を抱き寄せた。
「でも、二人とももう死んじゃった。お母さんもシャナも、僕のことを守るために死んじゃった……。おいていけば、逃げられたかもしれなかったのに……っ」
そんなことを話すつもりではなかった。
コーディの話の間違った部分を修正するつもりで、会話のきっかけとして出した言葉が、思った以上にユーリの心を揺さぶっていた。
今の状況も似たようなものだ。
ハルカたちがとても強いのは分かっているが、自分の事情のせいで大事な人が身を危険に晒している。そんな風に思ってしまったら、ずるずると奥底に抱えていた気持ちがあふれ出していた。
初めて自分のことを好いてくれた人たちだった。
考えないできたけれど、考えるほど何かがとめどなく溢れてきてしまった。
そうなるともう気持ちを押しとどめることができず、ぼろぼろと涙がこぼれ、言葉にならない嗚咽が漏れだしてくる。
呼吸が苦しくなるほどしゃくりあげ、視界が歪むほどに涙が次々と溢れてくる。
子供らしい泣き方だった。
昔の記憶を含めれば、ユーリは既に十代半ばではある。
しかしここにいるのは、生まれて三年弱の、当たり前に泣くことが許される、小さな子供でしかなかった。