手土産(ノクト)
「僕のことはどうでもいいんです。会談の方針は決まっているんですか?」
「だからそういうの俺に聞くなよ。俺は名前覚えるので精いっぱいなんだから」
「頼りになりませんねぇ」
「は? ならお前がギルド長やれよ」
「嫌です」
「じゃあ文句言うんじゃねぇよ」
ぶつくさと文句を言いながらも、再び書類に目を落としたテトだったが三十秒ほど黙り込んだあげく、急にそれを丸める。ぎゅっと握りつぶされたそれは、弧を描くことなく直線的に空を飛びゴミ箱を大きく揺らした。
「あぁああ、もう知らねえ。めんどくさ」
椅子の背に体を預け、足をデスクの上へ乗せたテトは、後頭部で手を組んで目をつぶる。
「どうせさー、俺はいるだけでいいから名前覚える必要もねぇんだよな」
「不真面目ですねぇ。シルキーさん甘やかしすぎでは?」
「元々こんな人ですよ?」
ノクトは昔を思い出しているのか、視線を上へとずらしそれから「そうでした」と頷いた。
ユエルといいテトといい、どうにも癖が強い。
「リーサはもう来ていますか?」
「来てる。ここに併設されている貴人用の部屋にいるんじゃね?」
「訪ねても?」
「ほぼ貸し切り状態だから、そっちの入口で聞けよ。俺は知らねぇ」
「はいはい、じゃあそうします。それじゃあまた、街にいる間に食事でもしましょう」
「おう」
久しぶりの再会にしては、随分と淡白なやり取りだ。
それでも二人ともまるで気にした様子はなく、ノクトはそのまま部屋から出て行こうとしている。こんなものなのかと思いながら後に続いたハルカとレジーナ。
「なー、弟子もつのってどんな感じ?」
テトの質問にノクトは首をひねって答える。
「いいですよ。退屈しませんし、楽しいです」
「ふぅん、俺も弟子取ろうかな」
「無理でしょう?」
「無理じゃないかしら?」
「無理だろ」
「わっかんねぇじゃん!」
ハルカ以外の三人が一斉に否定すると、テトが足をばたつかせながら大きな声を出す。口には出さなかったけれど、ハルカも心の中では『難しいのではないか』と思っていた。
部屋を出て一度受付まで戻り、外へ出ずに長い廊下を進んでいく。するとその先に、兵士が二人立っているのが見えた。その先はホールのようになっており、複数の王国兵たちが待機している。
ハルカの見知った顔もあり、彼らは当然ノクトのことも知っているようだった。念のためきちんと身分証の確認だけはされたが、一国の王のセキュリティとしては随分と簡易なものだった。
「良く来たな、ハルカ。ノクト爺も連れてきてくれたみたいで何よりだ」
「リーサ、連れてこられたわけではなく、自主的に来たんですが?」
「そうだったのか。ハルカの下へ行くときに、私に顔を出さずに素通りして行ったものだから、またしばらく顔を出してくれないとばかりに思っていた」
「あの時は急いでいたので。そう拗ねるものじゃないですよ」
「拗ねてはいない。……新顔がいるが、そちらはハルカの仲間か?」
ぽんぽんと言葉の応酬があり、その切れ目にエリザヴェータの視線がレジーナへ向かう。当のレジーナは、あちこちに目をやりどこか落ち着かない様子だ。部屋にいるのは、闇魔法使いのリルとエリザヴェータの二人だけに見えるが。実際は護衛があちこちに身を潜めているせいだろう。
質問にも返事をしないので、代わりにハルカが答える。
「はい、私のクランの仲間です。レジーナと言います」
「クランを立ち上げたのか。名前は?」
「【竜の庭】と」
「覚えておこう。きっとまた世話になるだろうからな」
「ありがとうございます」
「うむ。こちらでの会談が片付いたら、支払いと視察を兼ねてそちらの拠点にも顔を出そうと思っていた。一緒に戻ることはできるか?」
女王からの申し出だ。断るのは間違いなく失礼にあたる。
それでもハルカは少し考えて、その申し出を断ることにした。今はプライベートであり個人間の会話であったし、南へ向かうことよりもそれが重要だと思えなかったからだ。
「やらなければならないことがあって、教都ヴィスタへ寄ってから南へ向かう予定です。折角来ているのならばと顔を出しましたが、拠点のことは師匠に任せて、そのまま旅に出ます」
「……やらねばならんことか。私が手を貸せることか?」
「状況次第では、あるいは。ただし、大事になりかねないので、極力自分達だけで何とかするつもりです」
ハルカは自分で言ったことに少し驚いていた。元来の自分であれば、協力を申し出られても、ご迷惑ですからと断っていたはずだ。自然にするりと、場合によっては手を貸してほしいと言ってしまっていた。
どうもエリザヴェータのことを頼ってもいい相手と認識していると気がつき、あまりに気安すぎると、少し反省し、同時に面映ゆくなる。
「そうか。私個人で何とかできることならいくらでも手を貸すから遠慮はするな。……ふむ、ノクト爺は残るのだな。このまま借りて、一緒に拠点まで返せばいいか?」
「えーっと、それは本人に確認してください」
「どうだ、爺。いいだろう?」
「…………まぁ、いいでしょう。色々と話したいこともありましたし」
「よし。きっと連れてくるのにコリンも手を貸してくれたのだろう? 礼を言っておいてくれ」
エリザヴェータは嬉しそうにそう言って、ソファの隣を空ける。
「よし、爺はここに座れ。ハルカと、レジーナと言ったか。そなたも少しのんびりしていけ」
「仕方ないですねぇ、本当に」
リル以外の全員がソファに腰を下ろすと、この間までの戦いの顛末と、今回の会談について、あまりにも軽く雑談のように話される。ある程度情報は絞ってのことなのだろうが、エリザヴェータの話しぶりは、完全に身内に対するそれになっていた。
話の途中でエリザヴェータは時折レジーナのことを観察しているようであったが、退屈そうで碌に話を聞いていないレジーナを見て、途中から気にすることをやめた。
結局日が落ちる頃まで話は続き、ハルカは折を見て、ノクトを残して退散することにした。
別れ際、ノクトはハルカに向けて言葉を投げかける。
「気を付けて行ってくるんですよ。あなたは十分に強いです、自信を持ちなさい。多少の横車は押して構いませんからね。大事なものは、ちゃんと守ってあげてください」
「……はい、頑張ってきます。留守をお願いいたします」
「はぁい、土産話を楽しみにしておきますねぇ」
思ったよりも早くの出発になりそうだ。
今日は泊まって、明日には出発してもいいかもしれない。
政治の話は、偉い人たちがすればいい。
今のハルカたちはただの冒険者で、それから、ユーリの家族の一人でしかないのだから。