日常茶飯事
「さて、折角〈プレイヌ〉まで来ましたし、たまにはギルド本部に顔を出しておきましょうかねぇ。ハルカさん、付き合ってくれますか?」
話が一段落したところで、ノクトが伸びをしながら立ち上がった。主に発言しているのがコリンとスコットだけとなった空間は退屈だったのだろう。同じく長いこと口を開いていなかったハルカに目配せをしてきた。
「あ、うん。ここは私に任せて、ハルカも出かけてきていいよー」
「大丈夫ですか?」
「うん、もう二人には十分仕事してもらったからね」
スコットが席を外しているからこそ言えたことだ。彼が二人の特級冒険者を警戒しているのにコリンは気がついていた。いくらコリンが交渉事が得意とは言えども、真正面からスコットと渡り合うのは分が悪い。
元々有利な交渉ではあったが、先ほどのやり取りでそれが決定的になった。あとはもう、本当に下手なことを言わなければ問題はない。
途中で離席することに躊躇していたハルカは、コリンに後押しされて席を立った。
「おや、どうされました?」
「ちょっと冒険者ギルドまで行ってこようと思いましてぇ。折角来たので古い知り合いに会っておこうかなぁと」
「ああ、そうでしたか。こちらは自由に出入りして構いませんので、お帰りの時間などはお気になさらずに」
「お気遣いありがとうございます」
その場を離れると、一人だけぽつんと離れてぼーっとしていたレジーナが立ち上がって近づいてくるのが見えて、ハルカたちは足を止めた。
「どこ行くんだよ」
「ちょっと冒険者ギルドへ。帰りに食事でも買ってこようかなと。一緒に行きますか?」
「行く」
「……じゃ、いきましょうか」
即答したレジーナにハルカはひそかに微笑む。
初めて見かけたのは、冒険者ギルドで多くの同業者を煽り散らかしている姿だった。今思えばあれも、自分を強く見せるためだったのかもしれないと思う。もちろん当時からレジーナの実力は十分に高かったが、見た目だけならば背の小さな女性だ。
そこに付けこむ隙があると思うものだって少なくなかっただろう。
今レジーナが飾らない姿で接してくれているのだろうと思うと、ハルカは自然と表情が緩む。
飛竜相手にはあまり用をなさない柵を乗り越えて、ハルカたちは街中へ向かう。
多くの人種が行き交う〈プレイヌ〉であっても、ダークエルフの姿は珍しい。街を歩けば注目を集めるのはいつものことであった。
加えて変わった尻尾と角を持つ獣人と、顔に大きな傷がある身の丈ほどもある金棒を持った女性。その二人だけでもそれなりに目立つ。だからといって何か不利益があるわけでもないので、ハルカは気にしないようにしていた。
ふと屋台の良い匂いに惹かれて振り返ると、視界の端で不自然に人影が動く。背格好ははっきりしないが、明らかにハルカの動きに合わせて隠れたように見えた。
ハルカは指先で耳のカフスをいじりながらノクトに尋ねる。
「もしかしてつけられてますか?」
「おや、気づきましたか。偉いですねぇ」
「雑魚だろ、ほっとけ」
レジーナは知っていながら気に留めていなかったようだ。彼女の言うところの雑魚の追跡にしばらく気付いていなかったハルカは、勝手に少し傷ついて肩を落とす。
「ユーリの件もありますし、放っておくのは気持ち悪くないですか?」
「……じゃあ始末するか」
「いえ、正体の確認だけでもしておきたいなと」
レジーナはじろっとハルカの方を睨んで「めんどくせぇな」と呟きながらも、路地を曲がる。
追跡者をはっきりさせるには、結局裏道に入っていくのが一番だ。
仕掛ける機会を待っているものなら、人の目がなくなれば現れる。そうでなくとも人が減ることで相手方の動きを窺いやすくなる。複雑な小道であれば待ち構えることだってできる。
ただしこれは、あくまで自分達の方が強いことが前提の動きだ。
そうでなければわざわざ人気のない場所へ行って隙を作るような真似はしない方がいい。
ハルカたちが角をいくつか曲がってしばらくすると、後ろからどかどかという遠慮のない足音が響いてくる。
襲ってくるタイプかと理解したハルカが振り返って待っていると、すぐに冒険者らしい男が角から姿を現した。
背中に差した鉄製の六角棒を取り出したその男は、びしりと隙なく構えて太い眉を吊り上げて大きな声を出す。
「ここで会ったが百年目!! 勝負だ!!」
ハルカには心当たりがない相手だ。ノクトを窺うとこれもまたニコニコしているだけで何の反応もない。では、とレジーナを見ると面倒くさそうに小指を耳に突っ込んでよそ見していた。
武器を構えた男は律儀にもこちらの動きを待って攻撃に出てはこない。なんだなんだと窓を開けたり、他の角から覗いてくる子供がいる中、気まずくなったハルカが口を開いた。
「違っていたら申し訳ないのですが、私、あなたとお会いするのは初めてだと思うのですが」
「……ちょっと待て」
男はすっと武器を下げて足を揃えると、ぺこりと頭を下げる。
「その通りです。突然不躾に現れて申し訳ございません。俺はそっちの――」
男が頭を下げた瞬間、レジーナの体が突然ぶれた。
そっちの、と顔を上げたときにはその姿はもう男の目の前まで移動して、握られた拳が男の顎を打ち抜く。
「は」
レジーナの姿を見て、何を言おうとしたのか声を漏らした男は、一瞬にしてかくんと全身の力が抜けて、そのまま地面に崩れ落ちた。
「あの、レジーナ、お知り合いですか?」
「知らねぇ。でも何度か殴ったことある」
「いいんですか、こんな感じで?」
鮮やかすぎる不意打ちをハルカが尋ねると、レジーナはその意図が分からずに首を少し捻る。
「まぁ、油断したほうが悪いです。さ、いきましょうねぇ」
ノクトがさっさとその男を跨いで道を戻っていく。
ハルカは男を避けてその後に続き、すぐ後からレジーナもついてくる。
「おい、ハルカ。今の何がいけないんだ?」
ハルカはしばし考えてから首を横に振る。
「いえ、何もいけなくないと思います」
勝手に後をつけてきて喧嘩を売ってきた相手だ。何かしらの因縁はあるかもしれないけれど、気絶で済んでいるのだから穏便な対処であると言えるだろう。おそらくずれているのが自分であると、はっきりと自覚をして、レジーナに返答をした。
「なんだよ」
「気にしないでください。ああいうことはよくあるんですか?」
「ある」
「そうですか、一人旅ってやっぱり大変だったんでしょうね」
「別に」
これから帝国へ、いわば敵地へ向かおうというのだ。
レジーナを参考にするくらいでないといけないなと、ハルカは気持ちを改めるのであった。