南の事情と得たものと
「んじゃ俺はいったん地元に戻るぜ。レジーナ、てめぇこら! これで俺に勝ったと思うんじゃねぇぞ」
なかなかいい勝負をするも、結局一度も勝てていないシュオは、気絶から目を覚ますと突然そんな宣言をした。
驚くハルカたちであったが、レジーナはいつもと変わらず鼻を鳴らした。
「じゃあな負け犬」
「こん畜生め! 最後までムカつく奴だぜ!」
どすどすと地面を踏みながら立ち去っていくシュオ。
「ちょ、ちょっと待ってください。えーっと、今すぐ帰るんですか?」
「おう! そろそろ帰らねぇと仲間に怒られそうだからな!」
「……仲間?」
「妊娠したとかなんかで夫婦で地元に残ってやがんだ。そろそろガキもでかくなってきただろうし、顔見せて頭の一つでも撫でてやらねぇとな。ここでガキ共をみてたら、あいつらのガキにも会ってみたくなってよぉ」
その視線は、少し離れたところで訓練しているユーリとサラに向いていた。口が悪いが意外と世話好きなこの男は、子供に割と好かれているようだ。
そのうちクランに入るのかとハルカたちは思っていたので、地元に戻るというのは寝耳に水な話だった。
同じく驚いていたコリンだったが、話を聞いて口を開く。
「シュオさんさー、その仲間にちゃんと一人で冒険行くって話してる?」
「ん? ったりめぇよ。ちょっと出かけてくらぁってな」
不安しかない回答だった。
「……それっていつ頃ー?」
「そーさな、もう二年くらいたつぜ」
「地元ってどこ?」
「南方大陸の【鵬】ってとこだぜ」
南方の勉強をあまりしていないハルカには、国名を言われてもあまりピンとこない。北方大陸との玄関口には【グロッサ帝国】がでんと構えているので、その先のことを学ぶことを後回しにしていた。
「あー、うちのパパはそっちの出身だったらしいよ。帝国より南にあるかなり大きな国でしょ?」
「そうだぜ。ま、最近のことは詳しくねぇけどな」
「私、南方は殆ど帝国のものだと思ってました」
「馬鹿言っちゃいけねぇ、南方大陸ってのは結構広いんだぜ。まー、だいたいこんな感じでな」
ずりずりと地面に棒で描かれた地図は歪だったが、大まかな形は分かる。
まずドットハルト公国の南がすり鉢状になっていき、細い道のようになって南方大陸につながっている。つまり、南方と北方は完全に海に隔てられているわけではないということだ。
南方大陸の北側には帝国。それから西の半島にドワーフの国と小人族の国が湖を囲うようにして広がっている。
東へ目を移すと帝国の南東に【鵬】、更にその南の東西に広く伸びた地域に小さな国が割拠しているそうだ。ダークエルフが住んでいるとされる森は、その更に南東の大陸の端だ。当分立ち寄る機会はないだろう。
「噂によりゃあ帝国はまた自由国家を攻め始めたらしいぜ。ねぇとは思うが、うちの地元は国境がちけぇんだ、今のうちに帰っておかねぇとな」
この言葉のせいで途端にきな臭い話になってきた。
つまり侵略戦争を再開できるくらいには、皇帝の周りが落ち着いてきたということなのだろう。余裕ができたのならば、ユーリの捜索にも力が入る可能性がある。
「っつーわけだからもう行くぜ。恩人の留守を守ることもできた。悔しいがいい鍛錬にもなったぜ、レジーナめ! 次は絶対叩きのめしてやるから楽しみにしてやがれ」
レジーナは金棒を地面について怖い顔でシュオの方を睨んでいる。
「あ、お土産とか、何か旅の準備とか」
「いらねぇぜ! 居心地が良くていつまでも居たくなるからな。んじゃ、また会おうぜ、忘れんじゃねぇぞ【鉄腕】シュオ様の名をな!」
ぼろぼろの荷物袋を肩から背負い、シュオは笑いながら去っていく。来るのも急だが去るのも急だ。仲良くしていたフロスに挨拶した様子もないから、本当に思い立ってすぐに帰ることを決めたのだろう。
しかし、冒険者というのはそういうものなのかもしれないとハルカは思う。
そういえばクダンだってハルカたちがいない間に風呂を作り、どこかへ行ってしまっていた。
ふと隣を見ると、レジーナが見送った姿勢のまま動いていない。ずっと難しい顔をしているのを見て何かを考えていることを悟った。
「レジーナ……どうしました?」
ハルカが尋ねると、レジーナは金棒の先をぐりぐりと地面に押し付けながら更に眉間にしわを寄せて答えた。
「わかんねぇ」
「……もしかして寂しいんですか?」
その場にいる全員がレジーナに注目していたが、レジーナはそれに気づかずに、首を僅かに傾げる。
答えが返ってこないのを見て、ハルカは質問を変える。
「シュオさんが心配?」
「別に」
「えーっと……、どんな感じですか?」
「なんか……ムカつく」
モンタナがふいっと顔をそらしその場から離れると、退屈そうにしているアルベルトを連れて、コリンもそれについていく。
この場を任されたことが分かったハルカは、頬をかいてからその場に腰を下ろした。
「いったん座りましょうか」
ハルカの提案に従って、向かい合って座ったレジーナに語り掛ける。
「毎日一緒に訓練をして、楽しかった……、いえ、充実してましたね」
レジーナが少し考えてから控えめに頷く。
否定されたらどうしようかと、ハルカはちょっとドキドキしていたが、そんなことは顔には出さない。
「つまり、シュオさんがいた生活は、いないよりも良かったということです。だから勝手にいなくなってしまったことがムカつく」
返事はないが否定はないのでそのまま続ける。
「多分、シュオさんはあなたの友人になってたんです。いないより一緒にいたほうがいいと互いに思える相手は、そうだと言って差し支えないでしょう」
「…………ハルカたちは?」
「うーん……、仲間ですかね。行動を共にすることが多いものです。一つの集団に所属する人たちのことも、仲間というかもしれませんね」
「同じパーティを組んでも裏切るやつもいるじゃねぇか」
「……うーん、それは仲間のふりをしていただけかもしれません。話が逸れましたね。友人と別れたとき、ちょっと感じる胸の痛みは多分寂しいって感情です。レジーナ、覚えておいてください」
「わかった」
「良かったです」
ハルカが頷いて立ち上がると、レジーナもその後に続いて立ち上がる。
金棒の先で荒らされた地面を、足で整えながら、レジーナはハルカの方へ顔を向けずにこう言った。
「おい、次出かける時はあたしも連れてけよ、おいてくな」
「……ええ、はい、もちろん」
今の話をした後にそれを言われると、ハルカも色々察してしまい、思わず口元を押さえた。なんとなくレジーナが可愛らしく思えてしまって、緩んだ頬を隠す必要があった。