秘密の関係
拠点での平和な日々が過ぎていく。
平和と言っても旅に出ている時よりも熱心に訓練に取り組んでいるから、怪我は絶えない。
戻ってきてから二月が過ぎ、カーミラがたまに遠くを見つめる日が増えるようになった。方角は西、恐らくここに来ると言って別れた犬の心配をしている。
そろそろついてもおかしくない頃だが、戦闘能力のない者が森を抜けてこの拠点までやってくるのは難しい。護衛を雇う必要があるが、果たして支払い能力はあるのかは微妙なところだ。
カーミラのためにハルカは街へ行く頻度を増やしていたが、今のところそれらしい人物をまだ見かけていない。一応冒険者ギルドには言付けて、護衛を雇えるだけのお金を預けておいている。
そんな事情はさておき、一応は今のカーミラは他人の心配をして、切ない眼差しを送る美女という構図になっている。比較的穏やかな性格で、色っぽいドレスを纏い、肩にストールをかけたカーミラの姿は、どこぞのいい所のお嬢様だ。
毎日土いじりをして、女っ気のない暮らしをしている人物が、カーミラに「あら、綺麗な花ね」なんて声をかけられた日には、のぼせ上がってしまうのも無理なかった。
『犬が来るの遅いなー』と心配しているカーミラに、勝手な想像を膨らませて悲劇のヒロインと思い込んでいるフロスは、今日もその後姿を悲し気な表情で眺めていた。
それの横に並んでポンと肩を叩いたのは、居候のシュオである。たまに開墾作業に付き合ってやったりしているので、二人は意外と仲がいい。
「フロス、恋愛は当たって砕けろだぜ?」
「いや、しかし、その。見てくださいよ、あの憂いを帯びた表情。あんな素敵な人ですから、きっともう相手がいて、その人の心配をしているんです。俺の入り込む隙なんてありませんよ……」
「この意気地なしのひょうたん野郎が!」
独特の悪口を言いながら、シュオはフロスの首に腕を回し軽く締め付ける。いじめているわけではない、これはシュオなりの励ましだった。
「やりもしねぇでごちゃごちゃ言うもんじゃねぇぜ、おら、いけ!」
無理やり背中を押し出されて、たたらを踏むどころか、前に転がってしまったフロス。しかしそのおかげでカーミラの視線がフロスへと向いた。
夕日が出ているというのにまだ日傘をさしているカーミラ。フロスには、その顔に落ちた影が、カーミラの心情を表しているように見えた。
見つめ合う二人。
フロスは動揺して下を向き、手元に一輪の花が咲いていることに気がつく。
そっとそれを摘んで手に取ったフロスは、カーミラを見上げた。
「その、綺麗な花が咲いたので、あなたにと思って」
それを少し離れたところで見ていたのは、ハルカだった。
ナギが見たことの無い毒々しい色をした蛇の魔物を取って見せに来たものだから、食べないように言い含めていたのだが、妙な光景に目を奪われてしまった。
これは邪魔してはいけない場面だな、と思いつつも目をそらさずにいると、折角の獲物を捨てなさいと言われたナギが、ハルカの目を盗んでどたどたとその場から離れていく。
飛んで逃げないだけ可愛らしい。
「あ、こら! ……あー、まぁ、大丈夫だとは思いますが」
魔物に毒性を持つものは少ない。
なぜならそんなものがなくても魔物は強いからだ。もしあったとしても、牙や爪にあるくらいで、肉そのものが毒という可能性は低いはずだ。
「おなかが痛くなったら戻ってくるんですよ」
聞こえたのかナギは一度振り返ってからそのまま、中型飛竜たちの下へ歩いていった。大きな獲物が取れるとわざわざ見せに来てくれるので、最近ではこの森の生態がなんとなくわかりつつある。
それはそうと、と思いハルカが先ほどの場所へ目を戻す。
差し出された一輪の花、後方で腕を組んで頷くシュオ、何やら目を泳がせてハルカに向かって首を横に振り続けるカーミラ。
ハルカには何が起こっているのか途中から理解できなくなっていた。特にカーミラの行動についてだったが。しかし、何か自分に言いたいことがありそうなことだけは分かる。
フロスには申し訳ないと思いながらも、ハルカは仕方がなくその場へ歩み寄った。
「違うのよ、お姉様、これは違うの」
「何がですか?」
カーミラが何を心配しているのか、ハルカにはわからない。
フロスのことをちらりと気にしてからハルカの耳に唇を寄せたカーミラは、囁くような、しかし少し焦った早口で言う。
「私、犬を増やそうとはしてないの。魅了とかは使ってないわ、本当よ?」
ハルカにしてみれば、なんだそんなことかという話だ。
どこに出しても恥ずかしくない絶世の美女なのだから、一緒に暮らしていればこんなこともあるだろうと思うのだが、カーミラはやけにそわそわしている。
魅了していない、つまり悪いことはしていないと一生懸命アピールしているのだ。
「……あの、そんなに心配しなくても、私カーミラのことは信用していますよ」
「お姉様……」
キラキラした視線を向けられても困る。むしろ、そんなに融通の利かない怖い人物だと思われていたことに、ハルカはショックを受けていた。
吸血鬼を生首のまま持ち歩くような人間は、一般的に怖くないはずはないのだが。
堪ったものではないのは、勇気を出して花を差し出したフロスの方だ。別に告白したわけではないのに狼狽し始めたカーミラは、ハルカの姿を探して「違うの」と言い訳を始める。
そして内緒話をし始めたかと思うと、カーミラが感激した様子で指を組んでハルカを見つめ始める。
そっと立ち上がりズボンについたほこりを払ったフロスは、滲む涙を堪えてぎくしゃくとした足取りでシュオの下へ戻る。
シュオはそんなフロスのことを黙って迎え、背中を何度か叩きながらこう言った。
「よし! 酒飲んで忘れるぞ!」
二人で酒盛りをして、すぐに立ち直ったフロスは、その後カーミラをぼーっと見つめることはあれど、モーションをかけるようなことはなくなった。
ちなみにシュオは、その日の酒を飲む理由ができたくらいで、特にこの件について思うようなところはなかったようである。