なんかある?
塀の中からきゃっきゃと楽しそうな声が聞こえてくる。
これはまだしばらく遊んでいそうだなと思ったハルカは、手に取った薪を窯の中へ放り込んでから一度手を止める。かなり暖かい季節なので、多少冷めてきても風邪をひくことはないだろうと思ったからだ。
「コリン、もし湯冷めしそうなら教えてください」
「なにー? 中に来てお湯足してくれるのー?」
「いえ、外の窯に火を入れます」
「あ、そっかー、本当はそうやって使うのかー。今のとこだいじょぶー!」
こうしてすぐ近くで音を聞いているのも変態臭いと思ったハルカは、少し離れて川の流れる音が聞こえる場所で座り込む。
雨の多い地域ではないが、水量が少ない川ではないのできっと水に困るようなことはないだろう。近くに通している川は支流で、本流はもっと広くゆったりとしている。
川面にきらりと何かが光り目をやると、小さな魚が群れを成して泳いでいるのが見えた。何かの稚魚なのかそれとも、メダカのような小さな魚なのか。冒険者として生きていくために食べられる草花や種族や魔物については学んできたが、そういえば魚にはあまり詳しくないことを思い出す。
必要な知識は増えたけれど、急ぎで必要のない知識は増えていない。人が普通に生活していくうえで身に付けるようなことはあまり知らないのだと思う。
ただそれでこの世界からの疎外感を覚えたかというと、そんなことはなかった。いつかそのうち、何かの機会にこの魚の名前を知ることもあるのだろう。そんなことを考えながら、時折光を反射する群れを眺めていると、屋敷の方からイーストンがやってきた。
楽しそうな声が聞こえてくる塀の中を訝しげに眺めながら歩いてきて、ハルカの近くで止まる。
「あのさ、近いうちに冒険者登録をしに行こうと思ってるんだけど、オランズに行く用事とかある?」
「あ、そうですよね。今日は……、もう遅くなっちゃうので明日ですかね」
「あぁ、別に急いでいるわけではないよ?」
「いえ、ラルフさんに事の顛末を報告するつもりだったので、明日はちゃんと活動します。今日は久々にのんびりしてしまいましたから」
イーストンは少し間を空けて隣に腰を下ろして、ハルカの視線の先を見る。
「イースさんはあの魚が何か知っています?」
「なんで? 知らないよ。でも綺麗な川にいるやつじゃない」
「そうなんですか。折角だから住み着いてくれるといいですけど」
「そうだね。ああいう小魚を食べるためにもっと大きな魚がきたりもするし」
ハルカとしては自分の引いてきた川に魚が住み着いてくれたら嬉しいというニュアンスの発言だったが、イーストンは意外にも現実的だった。気を使うイーストンにしては珍しいことだ。ぼんやりとした表情をしているので、まだ完全に目が覚めていないのかもしれない。
この世界に生きて八十年も暮らすイーストンもあの小魚の名前を知らない。やはり案外そういうものなのかもしれないと思いつつハルカがぼんやりしていると、再びイーストンから質問が飛んでくる。
「まだ宿の申請していないよね? 名前とか決まってるの?」
「……あ、そうですね。決めないといけないですよね。普通どうやって決めているんでしょうか」
「さぁ? 僕はほら、まだ冒険者ですらないからね。よほど変な名前じゃなきゃいいと思うけど」
「どんなのがいいでしょうねぇ」
二人で首をひねってしばらく黙り込んでいると、下流からバシャバシャと水音が聞こえ、小魚たちが逃げていく。目を向けるとユーリとモンタナが川の中を歩いてきていた。
ユーリの後ろにぴったりくっついているモンタナは、いつもは垂れている尻尾の先をまっすぐ空へ向けている。じっと川の中を眺めながら歩くユーリと、その脇を支えながら歩くモンタナの姿は、まるで幼い兄弟のようで可愛らしい。
ゆっくりと川を逆流するユーリが目の前まで来るのを待って、ハルカは声をかける。
「何か探しものですか?」
びくんと肩を跳ねさせたユーリは、バランスを崩してモンタナに支えられる。
「あ、ママ。小さい魚がいたから探してるんだけど、どっか行っちゃった」
意外なほどに子供らしいユーリの姿に、ハルカは思わず微笑んで答える。
「多分静かに待っていればそのうちまた現れますよ。追いかけると逃げてしまうものです」
「そっかー……。近くで見たかっただけなのにな。モン君、あがるね」
「ですか」
二人して川辺によって腰を下ろし、横並びになって足だけ水につけている。からりとしているが気温は高いので、きっと気持ちがいいのだろう。
そういえばとハルカは風呂の方へ目をやったが、今のところお声はかかりそうにない。
「モンタナは、宿の名前とか考えてますか? というか、普通どうやって決めるものなんでしょう?」
「……リーダーの特徴とか、宿としての目標とか、メインチームの特色を示すことが多いです」
「うちだとどうでしょう? モンタナは何か希望がありますか?」
「ないです。多分アルもないですよ。かっこいい名前にしようって言ってたです」
「……コリンとか、考えてそうですか?」
「考えてないと思うです。ハルカはどうです?」
「考えていませんでした」
振り返ったモンタナとハルカはしばし無言で視線を交わし、それから互いに目をそらした。
「話し合いするですか」
「……ですね」
「君たちさぁ……。まぁ、いいんだけど……」
呆れたイーストンは二人を順番に見るが、どちらも余所を向いている。
拠点を作って準備万端で誰も名前を考えていない。
一度全員で集まって互いの考えをすり合わせる時間が必要だった。