あー…………
離れている間にあったことを余すことなくノクトへ説明し終えたのは、空が白み始めた頃だった。
あとは任せたといって、仲間たちはその場で眠ってしまったが、昼寝でもしたのかノクトは眠らずに話を聞いていた。
ハルカも説明しているうちにどんどん目が冴えてしまい、結局朝まで説明していたというわけである。
流石に目が細くなってきたノクトは、白んできた空を見上げながら呟く。
「僕は世の中が大きく変わる時に戦ってきました。長いこと平和にのんびりとしてきましたが、そろそろまた、何かが大きく変わる時なのかもしれませんねぇ」
「リーサが頑張っていますから、王国はこれから変わっていくでしょうね」
ノクトはくすりと笑い、上目遣いでハルカを見る。イーストンも、カーミラですら、ノクトがそういうことを言ったわけでないとわかっていたが、当の本人であるハルカだけが解釈を間違えている。
「退屈しなさそうです」
ノクトは否定も肯定もせずにそう言うと、体を大きく伸ばして立ち上がり、屋敷へと向かった。
「ちょっと夜更かしすぎましたねぇ。昼くらいまで休むことにします」
「はい、おやすみなさい」
扉を潜ったノクトは、一人呟く。
「夜明けですか。いい時代になりますかねぇ」
疑問を持つような言葉であったが、それとは裏腹に、ノクトは穏やかに微笑みながら自室へと戻るのであった。
ノクトとの話が終わると、イーストンとカーミラも、一度休むと言って部屋へ戻っていった。
妙に目が冴えてしまっていたハルカは、仲間たちを起こさないようにそっと間を縫って歩き、帰ってきて早々気になっていた風呂へと向かった。
数人は入れそうな大きな浴槽。
薪でお湯を沸かすこともできるが、ハルカならば初めからお湯を溜めてしまうこともできる。
底についている栓のようなものを引っ張ってみると、キュポンと音がして抜けた。
魔法でお湯を出して、少し流し込むと、お湯は綺麗に穴へと吸い込まれて消えていった。
目を凝らして見てみると、風呂桶の下には筒が入っており、川の方へ排水される作りになっているようだ。
しばらくお湯を流し込み続けて、それが溢れないことを確認して、ハルカは穴に再び栓を詰めた。
しばらくの間腕を組んで考え込む。
一度囲いから出てみんなが眠っているのを確認してから、戻ってきて手早く大きな風呂に魔法で湯を張った。
いそいそと一度外へ出て体を拭く布を持ってきたハルカは、ついていたカンヌキをおろして髪の毛を紐で縛り、服を脱ぎ、体をサッと拭いてゆっくりと湯に体を沈めた。
「あーーー…………」
目を瞑ったまま後頭部を風呂のふちに預け、顔を空に向ける。じんわりと体が温まり、湯に溶けていくような気持ちだった。
薄く目を開けると、グラデーションのかかった空の色が、少しずつ変わっていくのがわかる。
なんとも贅沢な時間だった。
そもそも一人暮らしを始めてから湯を張って風呂に入ることなどほとんどなかった。だというのに、いざこうして浸かってみると、なんとも言えない気持ちよさがあった。
入れないと入らないは違うということなのかもしれない。
随分と長いことそうして空の色が変わっていくのを眺めていると、外から物音がして声をかけられる。
「あれ、誰か使ってますか?」
フロスの声だ。
農業をしているフロスはどうやら朝が早いらしい。
「あ、すみません、今出ますので!」
「え、あ、いえいえ、ごゆっくりどうぞ!! 知らない人だったら大変だと思っただけですので!」
話しているうちにどんどん声が遠くなっていく。
フロスにしてみれば、女性が使用しているので近づいてはまずいという思いがあった。妙な誤解をされたらどんな目に遭うかわかったものじゃない。
正直なところ、フロスは未だハルカのことをかなり恐ろしく思っているところがあった。初めて遭遇した時のトラウマが抜けきっていない。
ハルカは少し迷ってから、きゅぽんと栓を抜いた。お湯がゆっくりとそこへ吸い込まれていく。体を拭いて、魔法を使って髪を乾かしているうちに、やがて水量の減ったお湯は渦を作り、音を立てて穴の中へと消えていった。
ハルカは寝ぼけ眼を擦っているコリンの横を通り屋敷へ向かう。せっかく風呂に入ったので、ベッドで眠るつもりでいた。
ほんの少し。
朝ごはんの準備ができるくらいまでの間。
ハルカはベッドに潜り込み目を閉じる。
目が覚めたのは昼も過ぎた頃だった。
「ハルカ! もう昼も過ぎたよ、ねー、お風呂使ったんでしょ? 使い方教えてよー! ねーねーねー」
「はい…………はい!」
布団の中にいる気持ち良さにぼーっとしていると、お腹の上に重量がかかりハルカは慌ててきちんと返事をした。
コリンがベッドの上に飛び込んできて、体の上でゴロゴロと転がっている。
一緒に旅をしてきて今更どうだと言うわけではないが、行儀はとても良くない。旅の途中は頼りになるが、拠点でのんびりしていると、コリンはたまに年相応かそれ以下になることがある。
「コリン、わかりましたからどいてください。起きられません」
「……いやー、なんかこのままもう一度寝てもいいかも。昨日も外で寝たからさー、なんかちゃんとベッドの上は気持ちいいよね」
正確にはベッドの上ではなくハルカのお腹の上だ。くつろぎ始めたコリンに、仕方なくハルカは無理やり体をゆっくりと起こす。
それに合わせて足の方へごろりごろりと転がったコリンは、仰向けになって体をそらしたままハルカの方を向く。
「じゃ、お風呂使い方教えて」
「……魔法でお湯を張っただけなので、使い方はフロスさんに聞いてください。今使うのならお湯は出してあげますから」
「そう言ってくれると思ったよー。じゃ、行こっか」
「はいはい」
跳ね起きたコリンは床に着地して先に歩いていく。ハルカも体を起こして、ベッド脇に置いていたリボンで髪を結った。
「結構広いみたいだから、ハルカも一緒に入ろうね」
「はいは……だめです」
「だめかー」
「だめかー、じゃないです。前に私の話はしたでしょう。本当はあんなふうにベッドに飛び込んでくるのもですね……」
「今のハルカは今のハルカだからいいじゃん別に」
「……私が申し訳なくなるのでダメです」
「しょうがないなー、もー。そのうちね、そのうち」
ハルカはさらに何か言おうと口を開きかけてやめた。イヤーカフを指先で撫でて、少し悩んでから結局苦笑して答えた。
「ダメったらダメです」
「そんなとこばっかり強情! きっと楽しいのに」
「サラとかカーミラを誘ってください」
「サラはもう誘ったもーん、カーミラは寝てる」
コリンの足取りは軽く、随分と楽しそうだ。
拠点にいる間にやらなければいけないことはたくさんあるけれど、急ぐようなことは何もない。
ハルカもしばらくの間はのんびりと、この拠点生活を楽しむつもりだった。