変わるもの
「よくやってくれた、ご苦労。下がっていいぞザクソン」
夜も更けた頃に戻ったハルカたちだったが、エリザヴェータは眠らずにそれを待っていた。戻ったことが伝えられるとすぐに天幕まで通されて三人きりになる。
ハルカにとってはいつもの光景だったが、エリザヴェータの部下にとってはとても珍しいことだ。信頼されている証でもあり、それだけで一つのステータスでもあった。
そんな状況であっても、ザクソンはエリザヴェータに求められるまま、事実だけを客観的に報告する。一言一句とまでは言わないが、誰が何を話したかまでほぼ正確に報告するその記憶力は素晴らしい。
ハルカの行動を報告する際には少々詰まることもあったが、それは言葉を選んでいたせいだろう。
ザクソンは労いの言葉を受けると、深く頭を下げ、そのまま天幕から退室する。するとそこには、邪魔をしまいと静かにしていたハルカと、エリザヴェータだけが残ることになった。
「ハルカも、よくやってくれた。てっきり私はもう少し大人しく帰ってくるかと思ったのだがな、思ったよりしっかり暴れてきたじゃないか。その上戦力も削ってきたか。想定以上の働きだな」
「あちらが攻撃的だったので、結果的にそうなってしまっただけです」
「差配の腕輪か。確かに宝物庫から消えているものの一つではあるが、その腕輪は偽物だったのであろうな」
これはザクソンからエリザヴェータに報告していないことの一つである。ハルカはあの腕輪を人を操るためのものであると確信していたが、その経緯が複雑であったため、ザクソンと情報を共有することができなかったのだ。
「あれは恐らく中型飛竜を操っていたのと同じようなものじゃないかなと。人のサイズに作り替えてはありましたが」
「だとするのならば、一つくらい持ち帰ってくれても良かったのだがな。使うべきでないものにしても、調査ぐらいしておきたい」
その場の雰囲気に呑まれて破壊してしまったが、確かにポケットに忍ばせて持ち帰るという手もあったかもしれない。ただ、ハルカ個人としては、どんな技術の果てに作られたものにしても、あんなものは全部なくなってしまったほうがいいとは思っていた。
「……まぁ、そうですね。きっとまだ公爵の城に残っているのではないでしょうか」
「なんだその気の乗らない返事は。なんにせよ、これであとはハルカに頼むことは、ナギと戦場の空を飛び回ってもらうくらいだな。夜も遅い、今日はもう休むといい」
エリザヴェータにそう促されてから、ハルカはふと気になったことがあって尋ねる。
「マグナス公爵も……、あなたのことを一度リーサと呼んでいました。そんな風に仲が良かった時期もあったのですか?」
「まさか」
エリザヴェータはフンっと鼻で笑う。
「ただ、父上がそう呼んでいたように、奴が勝手にそう呼んでいたというだけだ。私は爺が大好きだったから、爺のことを嫌い、悪く言う奴のことが小さな頃から嫌いだった。奴に気を許したことなどない。少なくとも、私が覚えている範疇ではな」
「そうでしたか。……私も良い印象は持っていませんが、一応血の繋がった親戚ではありますから。リーサは戦うことが辛いとは思いませんか?」
「ハルカ、私は女王だぞ。奴は父上を殺した。大事な人を蔑んだ。大陸に多くいる人以外の種族を認めようとしない。もはや王国に奴の居場所はないのだ。私は奴を城から追い出し、辺境へ押し込み、こうして攻め入っている。辛いと思うか?」
「女王のエリザヴェータはそうでしょうけれど、リーサもやっぱりそうですか?」
「……ハルカよ。もし私が辛い気持ちがあったとするのなら、それは今ではない。もっとずっと前、もはや取り返しのつかない昔の話だ」
噛み締めるように答えたエリザヴェータにハルカはほんの少し顔を歪めた。少女であったリーサが、女王になるまでに殺してきた心や、捨ててきた気持ちに思いをはせる。
それはハルカには想像のつかないような過去ではあったけれど、平坦な道であるはずがなかった。
「余計なことを尋ねました。すみません」
「いい、過ぎたことだ。さて、今度こそ私も休む。……そうだな、ハルカ。お前は仲間たちと冒険することが楽しいか?」
「はい、とても」
「羨ましいことだ。ではさっさと無事な姿を仲間に見せてやれ。奴らなら軍の一番後ろにいるはずだぞ」
手を振って追い出そうとするエリザヴェータに、ハルカは一礼して天幕から出ることにした。
「ご案内しましょうか?」
外で待っていてくれたザクソンが近寄って声をかけてくれる。
「いえ、飛んでいきます。居場所は分かっていますし、ナギが目印になりますから」
「そうですか。それでは、しつこいようですが護衛ありがとうございました。あなたがいなければ、やはり私はあの場で命を落としていたような気がします」
「いえ、そんなことはないと思いますよ」
「あの腕輪、何かあったのでしょう? 兵士たちは私を害するよりも、あれを嵌めることに専念しているようでしたからね」
「……さぁ、どうなんでしょう」
あまりに素直な反応に、ザクソンは顔をそらし声を殺して笑う。
「これ以上尋ねるのはやめましょう。それでは、これからのご活躍もお祈りしております」
「はい、では失礼いたします」
軽く頭を下げてハルカは空に飛び立つ。
高度を上げるまでの間、兵士たちの幾人かが空を見上げていたが、既にハルカが空を飛ぶことが伝わっているせいか、大騒ぎにはなっていないようだった。
自分以外だったらあの場面、どんな対応をしていたのだろうか。
そんなことを考えながら、夜の空を一人飛んでいく。
ノクトなら、クダンなら、ユエルなら、どうするのか。いずれも違う結果を残していただろうし、きっとハルカ以上の効果を上げていたはずだ。
きっとそれに寄せる必要はないのだろうけれど、考えざるを得ないというのが本音だった。ああすればよかった、こうすればよかった。自分はダメだ、上手くいかない。
夜に一人でいると反省ばかりして、寂しくなってきてしまう。
遠くに小山のようなナギの姿が見えてくる。
みんなもう休んでいる時間だろうか。
焚火が見える。
夜番にしてはそれを囲んでいる人数が多い。
少し離れた場所で、アルベルトが素振りをしている。
焚火以外のぼんやりとした光源は、恐らくトーチがお腹を光らせているのだろう。
近づくとモンタナが空を見上げて自分の姿を目で追っているのが分かった。
速度を緩めることなく降下して、少し離れたところで降りると、ハルカは小走りで仲間たちへ寄っていく。
無事に戻ってきたこと、それから今日あったことを早く仲間に報告したかった。