本音はともかく
拳が当たったにしてはやけに軽い感触だった。肉や骨に響いた感覚が残っていない。つまり、ダメージが入る前に飛び退かれた可能性が高い。
そんなことがわかるようになった自分を、昔だったら嘆いただろうが、今は誉めてやりたい。
ピリリとわずかばかりこめかみに違和感はあれど、体の調子が悪くなるほどではない。
振り返ってみれば、咄嗟にザクソンのために出した障壁が役に立っているようだった。公爵の兵士たちが、近づくことができずにざわめいている。ザクソンは兵士に囲まれながらも、手を出されていないようだった。
「閣下、魔法使いが潜んでいるやもしれません」
「なんでも良い。護衛は捕らえた。魔法使いがいるのならそれも捕らえよ。どこかに姿を隠しているに違いない」
ハルカは騎士らしき人物と公爵の会話を聞きつつも、自分に腕輪を嵌めた兵士の方を油断なく見つめる。
しかし実力者であるはずのその兵士は、ハルカの方を全く警戒せずに、辺りに目を配っている。
「ハルカ様! 大丈夫ですか!?」
障壁の中からややくぐもったザクソンの声が聞こえる。注目を集める前にと、ハルカはそれに答えずに腕輪を嵌めてきた兵士へウィンドカッターを放った。
動作もなく、詠唱もないその魔法は、風が唸る妙な音だけを立てて兵士の足元へ迫る。直前で異変に気がついた兵士は咄嗟に飛びのこうとしたが、周囲にいた兵士にぶつかり避けることができなかった。
不可視の刃が兵士の片足を弾き飛ばし、そのまま謁見の間の壁に傷をつける。
人を傷つけることに慣れたわけではないが。竜を操るような腕輪をつけられて、笑って済ませるわけにはいかなかった。
「魔法使いはそちら側だ! 探せ! そのエルフを気にする必要はない!」
魔法の放たれた方向に手を振ったのは騎士だった。未だにハルカが操られていないことをわかっていない。
兵士たちが戸惑い、ハルカを避けながら魔法使いを探すのに対して、首脳陣はこの腕輪のことをよく知っていそうだ。
「闇雲に探しても仕方なかろう。仲間なら、あのエルフに尋ねればいいのではないのか?」
「なるほど、確かに。ガゼル、その女に魔法使いの位置を吐かせろ!」
足を弾き飛ばされた兵士に対して命じた騎士は、その怪我を心配する素振りも見せずに命令する。ガゼルと呼ばれた男は、顔を真っ青にしながらも足を止血して、喚き散らすようにハルカに命令する。
「女! 魔法使いの居場所を答えろ!! くそ、忌々しい、俺の足を飛ばした魔法使いの場所だ!!」
こめかみにくる妙な刺激にうんざりしていたハルカは、腕に手を伸ばしながらザクソンに声をかける。
「この腕輪、偽物だと思います」
腕輪を外すと、それまで来ていた妙な刺激がなくなる。ハルカにとってはその程度で済んでいたが、普通の人間がつけていたらどうなっていたかわからない。
使者にそれを無理矢理につけて何をしようとしていたのか。そのぐらいのことはハルカにも想像がつく。
公爵の先ほどまでの態度は仮面だ。
忌々しげに表情を歪め、ハルカを睨み、左右に立つ騎士に何か指示を出している姿こそ本性なのだろう。
ハルカは外した腕輪を両手で持って、無理矢理引きちぎりその場に捨てる。金属で作られた腕輪は、それでも破壊を拒むことはできず、石畳に落ちるとカランと音を立てた。
こんなものがあっても、いいことなど何もない。
ハルカはこれからも見つけ次第破壊して回るつもりでいた。
一人毒づいているガゼルと呼ばれた男に近寄り、手元にあった腕輪に思い切り足を踏み下ろす。
腕輪がひしゃげ、石畳が砕ける。
「何をしている、殺せ!!」
公爵の側に立つ騎士が叫ぶと、今まで遠巻きに見ていた兵士たちが一斉に槍を突き出した。
ハルカは彼らの前に障壁を張りそれを防ぐと、そのまま壁に向けて障壁を動かし、兵士たちを謁見の間の隅まで追いやった。
「な、なんだ貴様」
騎士が動揺して問いかけるのに答えずに、ザクソンの周りにいる兵士も同様に壁まで追いやって、ハルカは公爵の方へ向き直る。
そして全員を箱型の障壁で囲ってから、口を開く。
「特級冒険者のハルカ=ヤマギシです。この度はザクソンさんの護衛で参りました。交渉の場で暴力的な手段が取られるようなら、やり返していいと、依頼を受けています」
全ての障壁の中に、ハルカは魔法で水を生み出す。ハルカが言葉を発するたびに上がっていく水位に、兵士たちは初めは動揺し、やがて半狂乱になって障壁を叩いた。
公爵のそばで控えていた騎士が剣先で刺突し、その近くにいた筋骨隆々の男が拳を繰り出し、黒髪の浅黒い肌をした女が拳につけた半円形の武器を振るい、それぞれ障壁を破る。
雄叫びと共に走り、拳を振るった男に合わせて、ハルカも拳を繰り出す。それと同時に女が投擲した武器が、明後日の方向へ飛んでいったのを確認し、ハルカはザクソンの周りを囲う障壁の数を増やした。
拳同士がぶつかる。
インパクトの瞬間は、殴り慣れた男の方に分がある。しかしそんなことはハルカだってわかっていた。
技術的な面で、闘い続けてきたものに勝つことは容易でない。
だからハルカは背後に出した障壁を利用し、その場に踏ん張る。
男はどちらかといえば、数を打つ素早い攻撃より
も、身体強化を十分にして防御を固め、強力な一撃を放つタイプだった。
ハルカとは非常に相性が悪い。
一度ならず、二度三度、必殺の拳がハルカの素人のような攻撃に阻まれて、男は目を疑って思わず飛び退いた。
その瞬間ハルカの首元に、奇妙な軌道を描いて飛んでいた円形の刃が着弾する。本来であれば首を落とすほどの威力であろうそれは、ハルカの首をわずかに傾かせるにとどまった。
男と女、どちらもが息を呑んだのを見て、ハルカは即座にその二人の頭部に水球を作りそのまま凍らせた。
毎日訓練をしていたからハルカは知っている。
戦いの最中、息を思わず吐いた瞬間、呑んだ瞬間、呼吸が続かなくなった時。それは即座に体が動かないタイミングなのだ。
そのままジタバタと暴れ、結局幾らかの氷を削り取る程度しかできなかった二人が床に倒れる。
騎士が公爵の前に出て油断なく構えた。
ハルカは魔法で作った礫を倒れている男と女の膝に飛ばす。戦力を削るくらいはしておいてもいいはずだ。
邪魔をしてくるかと思い、次の攻撃も準備していたが、騎士は公爵の前から一歩も動こうとしなかった。
守るべき相手を決めているということなのだろう。
礫の先端が突き刺さり、じわりと二人の膝に血が広がるのを確認して、ハルカはまたも盛大に顔を顰めて二人の頭部の魔法を解いた。
襲いかかってくる様子のない騎士と公爵に向かってハルカは話しかける。
「この辺りで失礼します。この戦いの始末までは、私の仕事ではありませんので」
障壁を全てとくと、一斉に水が流れ出し、かろうじて息を止めていた兵士たちがその場に這いつくばり、荒い呼吸を繰り返す。
「待て」
振り返って歩き出そうとしたところで、公爵が後ろから声をかけてくる。
返事をせずに振り返ったハルカに公爵は続ける。
「陛下は、リーサはお前にいくら払った。いくら払えばお前は私につく」
なぜだか、この男にエリザヴェータのことをリーサと呼ばれたことに苛立ちを感じたハルカは、そちらを睨みながら答える。
「リーサのことが好きだから手を貸したんです。いくら払われようともあなたの味方にはなりません」
「……理屈の通じない愚か者め」
謁見の間の出入り口に向かおうとしていたハルカは、突然進行方向を変え、壁のほうへ歩き出す。
「ザクソンさん、行きますよ」
「いくって言われましても、私壁に囲まれていて動けないのですが」
「あ、すみません」
ハルカは障壁で囲ったままのザクソンを、ほんのわずか空中に浮かせて自分の隣へ連れてくる。
「歩かなくても動くなんて、まるで物語の世界ですね。ところで、そちらには壁しかありませんが」
「ええ、はい、いいんです」
ハルカが歩いていくと、壁沿いにいた兵士たちがバタバタとその道を空ける。
壁に向かって小さな炎の球を放ったハルカは、それを爆発させる。
崩れ落ちる壁。その先にも次々と魔法を放ってから、ハルカは公爵の方へ言葉を投げた。
「それでは、失礼致します」
返事はない。
追ってくるものもない。
ハルカは壁を真っ直ぐに壊して歩き、途中で出会った人を障壁で押し退け、誰にも止められることなく城の外へ出た。
それから空を飛び、一番高い公爵の旗が掲げられている塔までやってくると、中に人がいないのを確認する。
何も文句を言わずに運ばれてきたザクソンは、黙ってハルカの奇行を見守る。
塔を障壁で何重にも囲ったハルカは、その中にまたも膨張する火球を生み出して爆発させた。ハルカは爆発に合わせていくつもの障壁を掛け直す。
破裂音と凄まじい光。
障壁を解除すると熱されてボロボロの砂が、サーっと建物に沿って下へ流れていく。
城の近くに住む人たちがこぞって家から飛び出し、あるいは、音と光に振り返り、城を見上げ、その塔が跡形もなくなったのを目にしたのだった。
ハルカはそのまま空を飛んで、街の外へ向かっていく。隣にはザクソンが黙って障壁に囲まれたまま飛ばされている。
街の外へ出た頃、ずっと難しい顔をしていたハルカが、久しぶりに口を開いてザクソンに尋ねた。
「……やりすぎたでしょうか?」
ザクソンはそんなことを気にしていたのかという思いと、先ほどまでの蛮行とのギャップ、それに話が通じそうなことにホッとして、しばし答えに迷う。
「……あの、ザクソンさん。まずかったと思いますか?」
ハルカの追加の質問に、ザクソンはゆるりと首を横に振って答えた。
「いいえ、ちょうど良かったと思います」
ザクソンは思っていた。
この人が味方でいる限り、多少変なことをしたとしても、否定することはやめておこうと。
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内心とか詳細はまた明日にでも