緩やかに
「いや、特に理由はねぇけど」
「は? じゃあさんをつけろよ」
さっきまで気にしていなかったのに、他と並列に並べられたら突然気になり出したようだ。アルベルトは面倒そうな顔をしつつも質問をし直す。
「テトさんも、勝てない相手とかいたのかよ」
「いたに決まってんじゃん」
「まじ?」
「お前さー、俺のことなんだと思ってんの? お前くらいの歳の時は……、覚えてないけど、多分しょっちゅう怪我してた、ような気がする」
話しながらテトは右に左に首を傾げる。人間百年も経てば大体の記憶は曖昧になる。仕方がないだろう。
「俺が若い時って、北方も南方も今より荒れてたんだよなー。今の北方は平和ボケだ。内戦なんかしてたら、あっという間に領土切り取られてたぜ。事実こうして【独立商業都市国家プレイヌ】ができてるし。俺はめんどくさいから便乗して国土拡張しようなんて思わないけど、そうじゃない奴もいたりしてなー……、戦争は儲かるからしょうがねーけどさー。あいつらいい港も欲しいみたいだし、……んなんだよ」
ついに書類を枕にして机の上に寝転がり始めたテトの肩をシルキーがつつく。そっと耳打ちをされて、その耳をピクピクと動かしたテトは、天井を見上げたまま、とぼけた声を上げる。
「……あー、今のなし。聞かなかったことな、忘れろよ」
頭からずるずると机の上からずり落ちていったテトは、床に手をついて一回転し立ち上がり、アルベルトを指差した。
「お前やるじゃん、俺から情報引き出すなんて」
「あんたが勝手に喋ったんだろ」
「あんた?」
「テトさん」
「いや、誘導尋問されたね。ま、シルキーもあれこれ聞き出そうとしてたしお互い様……、なんだよ」
またもシルキーに耳打ちされたテトは腕を組んで難しい顔をする。
「俺、もう何も喋んないから。情報を引き出そうとするなよ」
「別にしてねぇよ」
「あ、そういやユエル元気?」
喋らないと言ってから早速会話を続けるテトを、シルキーは微笑んで見つめている。おそらくシルキーが甘やかしているせいでテトはここまでがばがばなのだが、それをどうにかするつもりはなさそうだ。
一方ユエルに完敗したアルベルトは苦い顔だ。
「元気じゃね?」
「あ、お前もしかしてボコボコにされた?」
アルベルトは答えない。テトが代わりにハルカの方を向いたので、代わりにうなずいて答える。
するとテトは振り返って、先ほど全身鎧の男を投げ落とした窓の方を向いて頭の後ろで手を組んで言う。
「負けたのに生きてたんだ。これでまた強くなれる」
思いのほかまともな言葉が来て、黙り込んでいるとテトはそのまま続ける。
「みたいなことをクダンなら言うんじゃね。ユエルなら、ふーんで済ますな。カナなら……、慰めようとあたふたするか?」
楽しそうに尻尾をゆらゆらとゆっくり揺らすテトは、もう一度ハルカたちの方を向いて窓枠に腰を下ろした。
「俺からは、んなこと気にすんなよ、だ。あいつらの顔もたまには見たいような、見たくないような……。ま、めんどくさいから行かないんだけど」
そのままずるずると床にずり落ちていき、テトの姿が見えなくなった。まるで軟体動物のような体の柔らかさをしている。
机の向こうから声だけが聞こえる。
「死なないように適当にやれよー。今回の内戦に北方冒険者ギルドは介入しねぇから。やるなら勝手にやれ。女王によろしくー。ほら、帰れ帰れ」
「……テトさん。ありがとな」
「うるせー、しらねー、帰れ」
シルキーもニコニコとテトがいるであろう床を眺めているばかりで、もう何も話す気はなさそうに見える。
「では、失礼いたします」
ハルカの挨拶と共に退室し、ギルドの外までの長い廊下を歩く。たまに掃除をしている人とすれ違うくらいで、広いわりに中は閑散としていた。
まだ通っていない場所の方が多いくらいなので、実際に働いている人の数が少ないと断定はできないが、本部というには少し寂しく思えた。
受付を通り過ぎる時、受付嬢が頬を膨らましながらフランクに手を上げて挨拶をしてくれる。受付嬢らしい仕草ではないが、冒険者たちにとっては気楽でその方がいいのかもしれない。
ハルカも手を軽く振って本部を出ると、そのまま大通りを歩いて街の外を目指す。
しばらく進むと、イーストンが食べ物屋を横目で見ながらハルカに話しかける。
「受付の子に食べ物あげちゃったし、みんなの分買ってきたら?」
「あ、そうでしたね。……じゃあ、ちょっと行ってきます。先に行っててもらっても追いつきますので」
「どうせ荷物増えるから一緒に行くよ」
「あ、いえ、今度は程々にしますので。ほんと先に行っててください」
少し迷いつつも、折角すすめてもらったからと、ハルカは三人横並びから外れて店の前を歩く。一緒に歩いているとつい買い過ぎてしまうので、今度は自分が持てる分だけにするつもりでいた。
一方で男二人はのんびりと人にぶつからないように、ハルカの方を見ながら歩く。
本人は気づいていないが、あちこちの男性から目を集めているのを、二人は気がついていた。絡まれると戻ってくるまで時間がかかるので、念のため見張っているような形だ。
「イースってハルカに甘いよな」
「……僕、君たちにはそれ言われたくないけどね」
「…………そんなか?」
「自覚ない方がまずいんじゃないの?」
早速男性に声をかけられたハルカの方へ、イーストンはため息をつきながら向かうのであった。