きを整える
息を吐きながら立ち上がったモンタナが、耳から順に体中をぶるっと震わせて、最後に尻尾がぼんっと広がる。体調は大丈夫なのか注視していたハルカだったが、尻尾が広がったのを見て一瞬そちらに目を奪われる。
気が逸れすぎたことを自省してユエルへ視線を戻すと、彼女もまた、ゆっくりとしぼんでいくモンタナの尻尾をじっと見つめていた。
「それで?」
視線を奪われたまま、ユエルは続ける。言葉が少ないけれど、先ほどの返答を促されていることは分かった。
「マグナス公爵が人質を使って各家へ脅しをかけているようなので、救出に」
「ふーん」
沈黙。
饒舌なタイプではないのだろう。
「あなた」
ハルカに向けて人差し指を向けてユエルは声を発した。一斉に戦闘態勢に入るハルカたちに何の反応も返さないのは強者の余裕か。
「前にネアクアの近くで会った、嘘がつけなそうな美女ね。そういえば冒険者だったかしら」
「はい、その節はどうも」
「何がどうもなの?」
「あ、いえ……、決まり文句のようなもので」
「…………あら、その剣」
「な、なんだよ」
つーっと指先が動いてアルベルトの方へむかう。いつもは元気のいいアルベルトも究極的にマイペースなユエルに押され気味だ。
「クダンのね。そう、ふーん。仕方ないわね。外に行くわよ」
「何がだよ、勝手に納得してんじゃねぇよ!」
「私に勝ったら連れてってもいいわよ、人質」
仲間たちとアイコンタクトをするが、言葉もなく答えが出るとも思えない。ハルカたちが返答に戸惑っていると、ユエルは勝手にしゃべり続ける。
「全員一斉に来ていいわよ?」
「あ、のー?」
「なに?」
「どうしたら勝ちなのかなーって」
コリンの質問にユエルは口元に手を当てて黙り込む。何も考えていなかったらしい。
「……私がここの入口を守るから、そこを通り抜けられたら勝ちでいいわ。時間制限は……一分かしら」
そう言うと返事も待たずに振り返ったユエルは、そのまま廊下の奥に消えていく。階段を降りる音が聞こえて、イーストンがふーっと音を立てて息を吐いた。
「モンタナは、大丈夫なの?」
「大丈夫です。体変な感じはないですね」
「毒ってそんなにすぐ何とかなるもんなのかよ」
「さー? でも逃げられちゃったねー」
「な、なぁ!」
自分たちのペースを取り戻すために会話をしていると、壁際に寄っていたヒエロが声をかけてくる。
「に、逃げようぜ。やばいんだよ、あの人!」
「いえ、でも……」
確かに今なら窓から全員逃がせる可能性はある。しかし、それはあまりにも危険な賭けだった。ハルカたちは彼女が瞬間的に場所を移動できることを知っている。
今から戦うことよりも、約束を違えたときに起こることの方が恐ろしかった。
「渋ってる場合じゃねぇって!! あの人、ここの見張りと仲間割れして、一人で何人も殺したんだぜ! 無理だって、今のうちに逃げよう!」
「うるせぇなぁ……、勝てばいいんだろ、勝てば。別に俺が負けたって、お前らは殺されやしなさそうだから安心しろよ」
そう言ってから、自分を奮い立たせるように鋭く息を吐いたアルベルトは、ユエルを追って廊下へ進んでいく。ヒエロには悪いが、ハルカもまたそれ以外の選択肢があるとは思っていなかった。
勝利条件が定められたということは、命の取り合いにはならない可能性が高い。ユエルがなぜこの場でマグナス公爵に雇われているかわからないけれど、ハルカたちが負けたところで、この場にいる人質を皆殺しにする可能性は限りなく低いように思えた。
「行きましょう」
アルベルトの後を追って廊下を進みながら、ハルカはモンタナに話しかけた。
「すみません。私がもうちょっと治癒魔法について勉強しておくべきでした。いつも使う治癒魔法ではなく、師匠が使う体を元に戻すタイプの治癒魔法であれば、解毒ができた可能性があります。博打に出るのが嫌で、相手を逃がすことになりました」
「傷を負った僕が悪いです。防いだのに、するっと抜けられたです……」
「……もっと強くなろうぜ。生きてるからまだ強くなれるだろ」
モンタナもアルベルトも、ぎゅっと強く剣の柄を握る。個々の実力で言えばユエルはもちろん、逃げた男にも劣っていたことが悔しかったのだろう。
「まず、ユエルさんに勝たないとだけどねー」
「ハルカさんに魔法をたくさん用意してもらって、それの後ろから連携して接近。気を引いているうちに、入り口を抜けるのはモンタナの役かな」
コリンの現実を見た発言に、イーストンが具体的な作戦を考える。階段をゆっくりと降りていくのは作戦を立てるためだ。ああでもないこうでもないと話していると、後ろからか細い声が聞こえてくる。
「これ、私も一緒に戦わなければいけないのかしら……? あと、ここ凄い血の臭いがするのだけれど……?」
血の臭いはハルカたちも感じていた。階段で足元を照らすために出していた魔法の炎が、薄ぼんやりと階下のフロアを照らす。
黒ずんだ床から臭う鉄錆の香り。
外の焚火の傍にうずたかく積まれたものから漂う腐敗臭。
ハルカたちはそのことには触れずに、ざりざりと妙な音のする床の上を通り抜けた。
外に出ると焚火とわずかな月明かりで、足元くらいは見えるようになる。
入り口のすぐ横の壁に寄りかかっていたユエルは、全員が出てきたことを確認して薄っすらと笑う。
「逃げなかったのね」
「逃げねぇよ」
「そうみたいね。……あら、吸血鬼」
後ろに隠れていたカーミラに気付いたユエルが、一言呟くと、カーミラが体を跳ねさせた。夜、紅く輝く瞳はわかりやすい吸血鬼の特徴だ。その力を振るわなければ輝かないイーストンと違い、カーミラの瞳は夜の間常に一定の光を放ち続ける。
「わ、私悪い吸血鬼じゃないわ! 犬も作ってないし殺してもないもの!」
「そう。やっぱり吸血鬼って美人が多いわよね」
「……あ、ありがとう?」
世間話でもするように褒められて、カーミラは首を傾げて礼を言う。御しやすいと踏んだのか、カーミラは引きつった笑顔を作って提案する。
「わ、私戦わなくてもいいかしら?」
「仲間を裏切るってこと?」
嫌な空気を感じたハルカは、慌ててそれに口を挟む。
「いえ、彼女はついてきているだけで、戦力として数えていません」
「吸血鬼なのに?」
「はい、戦いが嫌いなんです」
「そ、そう、私戦いが嫌いなの!」
「ふーん……。いいわよ」
許可を得た瞬間、カーミラはハルカの傍を通って、そそくさと森の方へ寄っていく。すれ違いざまに「ありがとう、お姉様」と少し震えた声で告げていったことから、本当にユエルのことを怖がっていることがわかる。
もはや争いが嫌いだというのが演技だとはとても思えない。
連れてきてしまって可哀想なことをしたと、ハルカは少し反省していた。