戦術
ゆらゆらと体を揺らしながら、男は敵のことを観察した。あまり隙がない。一対一ならどうにかなる相手でも、この人数の実力者を同時に相手するとなると、かなり厳しい。
相棒から聞いた情報では、あの隙だらけのダークエルフは魔法使いのはずだった。それが間違っていたとは思えないから、何かしらの魔法で攻撃を防がれたとみる。
だとしたらあの気の抜けた立ち姿は、自分を誘う演技だったのかと嘆息した。
隙だらけの美女が二人。
真ん中の二人を先に始末すれば、勝機があると考えての先手だった。しかしこうなってしまうと、人質たちに紛れて不意をつくために仮面を外したことは失敗だったと思う。顔を見られてしまった。
北方大陸に来てから見誤ってばかりだ。味方につく勢力から始まって、手を引く時期も、エルフの実力も、挙句大事なところでしくじった。
年貢の納め時なのかもしれない。
そう思いながら死神のような顔をした男は、ゆらりゆらりと体を揺らす。
入り口側にはアルベルトと今しがた切り付けられた二人、残りは人質の前で警戒している。抜けるのに容易いのは入り口側だが、得体の知れない二人をこれ以上相手にしたくなかった。
窓側ならば相棒からの援護も期待できる。
男はゆらりと、今にも倒れ込むほどに左へ体を傾け、その姿勢のまま右手の短剣をアルベルトに向けて投げつけた。
その手から短剣が離れた瞬間、倒れ込むかに見えた男の体は、床を滑るように、一瞬にしてコリンの方へ近づいた。
それと同時に腰から新しいナイフを数本まとめて引き抜いた男は、そのうちの一本を、今度はコリンへ投擲する。後ろに人質を庇っているコリンは、手甲でそれを弾いた。
ハルカは人質たち全員の前に障壁を張る。動いている仲間たちの近くに張ると、かえって動きを阻害してしまう可能性もあるので、慎重に展開を見守った。
大剣で短剣を防いだアルベルトは、男の背中を追いかける。
男が右手のナイフを、今度はコリンに向けて纏めて数本、鋭く放る。手の動きを見て先に一歩踏み出していたイーストンがそれを弾くと、男は流れるような動作で、左手の短剣をモンタナへ振るった。
きちんと迎撃したかに見えたモンタナの剣を、男の短剣がするりと潜り抜ける。素早く体をよじったモンタナの頬に一筋赤い線が走った。
同時に、板で打ち付けられた窓の外から、細い銀色の何かがモンタナに向けて飛び込んでくる。体勢を崩していたモンタナは、それでもさらに床をとんと蹴って、無理やりハルカたちの方へ転がるようにして身をかわした。
戻ってきたイーストンの突きを、男は体を捻って窓に向かって飛び込むようにして躱す。板を破ればそのまま外だ。着地さえうまくいけば逃走は成功だ。
肩から板をぶち破った男は、そのまま見えない壁にぶつかって床に落下した。思わぬ衝撃に目に火花が散った男の足へ、大剣が振り下ろされる。
床が割れる。
綺麗に切断された足を見て、それでも男は冷や汗だらけの顔を上げて、唇に三日月を作ってみせた。
「ぐうぅう、だめ、か。嫌な予感はした……」
そのまま剣を振り上げたアルベルトに、男は呼吸を荒くしたまま片手を差し出す。
「待て、まだ殺さないほうがいい」
ハルカは男を注視していたが、足元から荒い呼吸音が聞こえてそちらに目を向ける。するとモンタナが床に転がったまま、仰向けになって手足を大の字に広げていた。
頬が紅潮し、一見酒に酔ったようにも見えるが、手足が僅かに痙攣して呼吸が整う様子もない。
「アル! 待ってください!」
「……毒かっ」
「解毒薬、あるぞ? あんた、治癒魔法使えるだろ、足、治して、見逃してくれるのならば渡す。薬をたくさん持ってるから、殺して正解を見つけられるか、わからんぞ? 間違えて、他の毒を飲ませたら、それまでだ」
「治癒魔法を……」
ハルカがモンタナに駆け寄ると、辛そうに話していた男がカッと目を見開いて一喝する。
「使うな!! ……はぁ、その毒、治癒魔法を使うとよくまわってすぐ死ぬぞ。そいつに死なれたら、交渉、できないだろうが」
ほんとか嘘かなんてわからない。それでもモンタナの苦しむ姿を見ていて、放置できるほどハルカは薄情じゃなかった。
「……足を治します」
早足でツカツカと歩いていき、男の腕を遠慮なく鷲掴んで、空いた手で乱暴に切断された足を寄せて治癒魔法をかける。
「これはすごい、が……、代わりに腕を、折ることないだろうに……!」
「解毒薬を、早く」
男は懐をあさり小さな丸薬を取り出して、ハルカが差し出した手に乗せる。
「俺はこの件から一切手をひく、だからお前らも追跡するな。俺の隠し球が毒だけだと思うな、約束だぞ」
「わかってます」
コリンに丸薬を渡し、腕を掴んだまま経過を見守る。薬をなんとか飲み込んだモンタナの呼吸が少しずつ静かになり、痙攣が治まっていく。
「……だいじょぶ、そ、です」
小さなモンタナの声が聞こえて、ハルカはようやくホッと息を吐いた。
「約束は守った、離してくれ。というか、俺の相手なんかしてる暇はないぞ。後ろを見てみろ」
誰も気づかないうちに、入り口には一人の女性が立っていた。ハルカたちは一度話したことがある、しかしあまり再会したいとは思えなかった人物だ。
「【致命的自己】、俺はこいつらと、この件から降りると約束した」
「そう。ところであなた、悪い人なのかしら」
死神のような男は、腕の痛みからくるのではない冷や汗が流れ出てくるのを感じながら、じっくり、唇を湿らせてから答える。
「いや、意味もなく悪さをしたことはない」
「…………そう、じゃあ降りたらいいわ」
長い沈黙ののち、【致命的自己】ことユエルは、そう答えて今度はハルカの方を見た。
「約束したなら、守らないといけないわね」
この場の空気を支配するユエルからそんな言葉が出て、ハルカはそっと男の腕から手を放した。
「もう会いたくないが、次に会うときは敵ではないことを祈る」
誰もが動こうとしない中、男だけがそのまま窓から飛び降りて姿をくらました。
追いかけるのが難しいくらい、十分な時間を置いてからユエルが再び口を開く。
「あなたたちは、人質を取り戻しに来たのかしら? だとしたら、邪魔しないといけないのだけれど」
ごくりと誰かが唾を飲んだ。
物語で語られるような特級冒険者を前にして、誰もが余裕なんて持てるはずもなかった。