怪しげな
三日月の夜は暗く、飛ぶのにも拠点を探すのにもあまり適さない。ただ、他に空を飛ぶものもあまり多くないので、ぶつかって大事故になる心配はない。
拠点を探すのは夜目のきくイーストンとカーミラが主になる。一応人質を隠しているだろうから、盛大に火を焚いているということもないはずで、見逃す可能性は十分にあった。
まっすぐに飛ぶこと数時間、行程も半ばを過ぎて、もう見逃してしまったのではないかという気持ちが強くなってきた頃だった。
「……あそこ、少し明るいね」
目を凝らしてみると薄ぼんやりと暖色の光が広がっている。
「よく見つけましたね」
「うん、目がいいんだ」
「私もそっちを見ていたら見つけられたと思うわ」
「はい、そうですね、お手伝いありがとうございます」
張り合うように主張してきたカーミラにハルカが礼を言う。満更でもなさそうな顔をしたカーミラは少し誇らしげな顔をして、ふんと小さく鼻を鳴らした。
「森の中ですね……、一度通り過ぎて降りられるか確認しましょう。ナギ、あそこの上をゆっくり飛んでください」
ナギは小さく口の中で返事をして、進路を変更し、光の上を通り過ぎる。するとすかさずカーミラが口を開いた。
「なんか建物があったわ! 森もちょっと開けてて、降りても大丈夫そう!」
「なるほど……。みんなは集まってください、障壁に乗って降ります。ユーリはナギと一緒に空でお留守番です。 ナギ! もう一度あのあたりの上を飛んでください!」
元々の計画通りなので滞りなく全員が準備を済ませた。ただカーミラだけが腕を組んでむくれた顔をしている。何事かと思い首を傾げたハルカに対して、モンタナがほんの少し表情を緩めてカーミラに話しかける。
「僕にはあまり見えないですが、カーミラはよく見えていいですね」
「これでも長命の吸血鬼だもの」
褒められたかったらしい。本当に子どものような反応だ。
「カーミラ、報告ありがとうございます。では、いきましょう」
ナギの上の障壁を維持したまま、新たな障壁の箱に乗って夜の空に漕ぎ出す。徐々に明かりが近づくにつれて、ハルカたちの目にもはっきりと建物が見えてきた。
かなり年季の入ったそれは、石を積み重ねて作られており、ところどころ崩れてはいるものの、かなり丈夫な建物であることが分かる。
「……屋上がいいですか? それとも外?」
「中にいっぱい人がいそうです。あと……、死臭がするです」
気を抜いていたわけではなかったが、モンタナのその報告でハルカたちは一層気を引き締めた。逃げ出そうとした人質が殺されたのか、それかここがただの賊の拠点という可能性も考えられる。
入り口らしき場所の近くでは小さく火が焚かれていたが、近くに誰かがいる様子はなかった。
「こっそり入って人質だけ助けられるならそれが良いんじゃないかな。だとしたら入口より屋上じゃない?」
「確かに。わざわざ火を焚いてるくらいだから、入り口は見張りとかもいそうだもんね」
「俺は、今回は後ろの警戒をするぜ。暗いところはよく見えねぇもん。イーストンとモンタナが前だな」
「では屋上に降ります」
音もなく着地したハルカたちはそのまま月明かりを頼りに入り口を探す。
しばらくしてそれらしい場所を見つけたのだが、内側にものがたくさん積まれていて降りられそうにない。どけることは難しくないが、何かの拍子に音が出てしまいそうだ。
「だめだなこりゃ。窓とかどうだ?」
アルベルトが屋上から身を乗り出し下を覗き込む。戻ってきたアルベルトは仲間たちに手招きして場所を移動して下を指さす。
「……ここの窓だけ塞がれてなかった。他にねぇならここから行くしかねぇと思うけど」
「塞がれているところは人質の部屋、ここは見張りの部屋ってことかな?」
「人、いなさそうです」
「……行くか」
アルベルトが言うとカーミラ以外の全員が頷いた。窓の外に障壁を張って、それを足台にして、まずはモンタナが潜り込む。中に誰もいないことを確認したモンタナは、窓から顔を出し、上に残るハルカたちに向かって手招きをした。
最後にアルベルトが部屋に入ったところでハルカが障壁を消した。
部屋に扉はつけられておらず、荷物が乱雑に放り込まれている。既に廊下を確認していたモンタナは忍び足でそのまま先へ進んでいく。イーストンがすぐ横に続き、それからハルカ、カーミラ、最後尾でアルベルトとコリンが目を光らせる。
暗い廊下に風が抜けると、時折奇妙な音がして、ハルカはまるで肝試しをしているような気分になった。アンデッドを散々討伐しておいて、肝試しもどうなのだろうと思ってから、余計なことを考えていることに気がつき首を振る。
しばらく進むと扉が一つ。やけに新しいそれは、きっと最近使うために作られたものだ。カギがかけられるようになっているのに、南京錠はそこにぶら下がっているだけで用をなしていなかった。
既に全員が始末されてしまった可能性を考えて、ハルカはすっと心が冷えるのを感じる。しかし先ほどモンタナが、人がたくさんいると言っていた。
もう人質が誰も生きていないのならば、人がたくさんいることなどないはずだ。
モンタナがそっと扉に手をかけてわずかに開く。隙間から部屋を覗き込んでから、そのまま扉を押しながら中に入り込んだ。
中では十数人の人が床に転がって眠っていた。
皆一様に汚れた服を着ていて、顔色はあまり良さそうではない。
その多くは女性や子供だったが、その中に二人だけ成人男性が混じっていた。やたらと頬のこけた男性と、以前あった時よりも随分と見すぼらしくなったヒエロだ。眠っている女性たちの中にはジョゼの姿もあった。
そっと人質たちを起こすことができれば、このまま脱出することもできるかもしれない。声をかけるのならきっとコリンがいい。
女性だし、ここで人質になっている人たちと同じ人間だ。
コリンを手招きして、先に進ませ女性たちの方へ近寄らせる。
何とかなりそうだ。
緊張の糸がほんの少し緩まった瞬間に、ハルカの首に何か衝撃が走る。
影が真後ろを駆け抜ける。
振り向くと、目を見開いたカーミラの首が部屋の中を舞い、そしてすぐに蝙蝠になるのが見えた。アルベルトの大剣が振られるが、その剣筋は影を捉えることはなかった。
「…………訳が分からん」
頬のこけた死神のような顔をした男は、両手に長いナイフを持って油断なく構えた。手足がやたらと長く、体が常にふらふらと揺れている。
蝙蝠が集まり首がくっついたカーミラは、わなわなと震えて叫ぶ。
「何するのよ!! みんな不意打ちばっかりして!」
「……吸血鬼は分かる。しかしなぜ魔法使いの首が落ちていないのだ」
大声に目を覚ました人質たちが、悲鳴を上げて壁に寄る。
ハルカは自分の首を撫でてごくりと唾をのんだ。
死んでいた。
体が丈夫でなければ今の一撃で間違いなく死んでいた。
ゆらりと体を揺らす死神のような男は「訳が分からん」と再び首を振って呟いた。